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令和最初の春に、日本の始まりを知る展覧会「出雲と大和」

吉田さらさ

吉田さらさ

寺と神社の旅研究家。

女性誌の編集者を経て、寺社専門の文筆業を始める。各種講座の講師、寺社旅の案内人なども務めている。著書に「京都仏像を巡る旅」、「お江戸寺町散歩」(いずれも集英社be文庫)、「奈良、寺あそび 仏像ばなし」(岳陽舎)、「近江若狭の仏像」(JTBパブリッシング)など。

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令和最初の春に、日本国の始まりを知る

 

こんにちは。寺社部長の吉田さらさです。

今回は、上野の東京国立博物館で開催中の「日本書紀成立1300年 特別展 出雲と大和」の情報です。(会期:2020年1月15日<水>~2020年3月8日<日>)

令和2年、2020年の今年は、わが国最古の正史である「日本書紀」が編纂された養老4年(720年)から数えて1300年目に当たります。日本書紀の冒頭には、出雲の国を治めるオオクニヌシは、「幽」と呼ばれる人間の能力を超えた神々や祭祀の世界を司り、大和では天皇が、「顕」と呼ばれる目に見える現実世界、政治を司ると記されています。今回の展覧会は、神の世界と現実の世界を象徴する二つの地、島根県と奈良県による共同開催です。現在につながる日本という国の始まりを知ることができる、とても充実した展覧会です。

 

展示物を見て回る前に、まずは、出雲と大和の関係性について知っておく必要があると思います。「古事記」や「日本書紀」には、出雲神話に基づく記述が数多く見られ、特によく知られているのは、以下の「国譲りの神話」です。

 

“出雲の国はオオクニヌシが治め、栄えていたが、それをアマテラスオオミカミが見て、「あの国を譲ってもらいたい」と言った。使者が送られたもののなかなか話が進まなかったが、オオクニヌシは、最後には、空に届くような高い神殿を作って自分を祀ることを条件に、出雲の支配権を譲り渡した。”

 

これはあくまで神話ですが、大和が中央集権的な仕組みを作っていく過程で、出雲の大きな勢力を何らかの形で従えたが、それ以降も、出雲を特別な存在として扱ったという状況が想像できます。出雲は辺境の地ではなく、弥生時代から、独特の進んだ文化を持った地域だったということが、今回の特別展でもよくわかります。

 

会場でまず驚くのは、平成12年に出雲大社境内地下から出土した「心御柱(しんのみはしら」と「宇豆柱(うづばしら)」が展示されていることです。この2つが揃って公開されるのは史上初。杉の3本重ねて1本の太い柱としているものです。出雲大社本殿には9か所の柱があり、3か所が発掘により確認されました。心御柱は本殿の中央部、宇豆柱は前面の中央に位置します。これによって、出雲大社本殿が現在の建物よりもはるかに高く大きかったことがわかりました。

いずれも重要文化財 心御柱(左)・宇豆柱(右)

鎌倉時代 出雲大社境内遺跡出土

 

 

巨大だった出雲大社本殿を想像させてくれる展示物がもうひとつ。出雲大社本殿の10分の1スケールの模型です。

模型出雲大社本殿 平成11年

 

こちらは、島根県立松江工業高等学校の生徒14名が制作したもので、京都大学名誉教授の福山敏男氏の考えをもとに作成された復元図に基づきます。平安時代の資料によれば、高さ48メートル!太古の昔の本殿の姿が実際にどんなものであったかは謎のままですが、見上げるほど高く壮麗な建物であったことは間違いないようです。

 

 

「幽」の世界を司る出雲には、弥生時代に稲作の文化が伝播し、日本海を介したさまざまな地域との交流を基にした出雲独特の文化が生まれました。のちに出雲の役割とされたカミマツリ(祭祀)の源流がここにあります。こちらは、銅鐸が大量に出土した加茂岩倉遺跡に埋められていた銅鐸の状況を復元した模型です。

模型 加茂岩倉遺跡埋納状況復元 令和元年

 

 

銅鐸の用途についてはまだはっきりとわかっていませんが、このように土中に埋まっていることが多く、何らかの祭祀のために埋めたのではないかという説もあるそうです。

加茂岩倉遺跡出土品の銅鐸 弥生時代

 

 

大和の始まりは、巨大な前方後円墳から。これは政治や王族の権力、つまり、現実世界である「顕」の象徴です。ここでの展示物は、古墳の副葬品の数々です。

宮山古墳出土品 古墳時代

 

奈良県御所市の古墳から出土した、さまざまな埴輪です。右から、靫(ゆぎ)、冑(かぶと)・盾、家、草摺(くさずり)、盾。

靭とは矢を収める入れ物、草摺とは、腰部を守る甲冑型埴輪の一部です。古墳は権力者の墓なので、闘いを連想させるものが多いのでしょうか。

 

 

重要文化財  埴輪 見返りの鹿

古墳時代

 

こちらは出雲地方(島根県松江市)の平所遺跡からの出土品です。鹿の表情とポーズがかわいらしいですね。

 

 

埴輪 椅子に坐る男 古墳時代

 

奈良県三宅町の石見遺跡からの出土品。これも実にかわいらしい姿です。

 

 

今回の特別展では、国宝も数々見ることができます。

こちらは奈良県天理市の石上神宮に伝わる神宝の七支刀(しちしとう)です。

七支刀 国宝 古墳時代

 

百済王から倭王に贈られたものと解釈される銘文があり、当時の朝鮮半島の状況を物語る史料としても貴重です。

 

 

こちらは奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から出土した黄金の馬具です。未盗掘だったため、豪華な金銅製の装身具や武器、ガラス玉など、おびただしい副葬品が出土しました。

国宝 金銅装鞍金具 前輪(左) 後輪(右)

 

 

勾玉は、この時代を象徴する祭祀の道具のひとつです。

玉作りは、「幽」を司る出雲の大切な仕事として、平安時代まで伝えられました。

子持勾玉 勾玉・管玉 古墳時代

島根県松江市で出土したものです。

 

 

六世紀半ばに仏教が伝来し、飛鳥時代には、各地に仏教寺院が造られるようになりました。神々の世界から仏教を中心とした国家作りの時代へ。日本は大きな転換期を迎えました。今回の特別展では、大和と出雲に伝わる素晴らしい仏像も展示されています。

 

こちらは大和の国の法隆寺に伝わる如来坐像。小さいながら、飛鳥時代の仏像の特徴がよく表れています。

重要文化財 如来坐像 飛鳥時代

 

 

こちらは島根県鍔淵寺の観音菩薩立像。少しおなかを突き出すようなポーズもこの時代ならではです。

重要文化財 観音菩薩立像 飛鳥時代

 

 

今回、初めて寺の外で公開されることになった石位寺の石仏。この時代の石仏は日本では数が少なく、しかも、保存状態が極めてよいため、石仏好きにとっては垂涎の的。

重要文化財 浮彫伝薬師三尊像 飛鳥~奈良時代

 

 

脱活乾漆造という古い技法で作られた奈良の当麻寺の持国天像。あごひげのある厳めしいお顔が人気の像です。

重要文化財 持国天立像 飛鳥時代

 

 

奈良、唐招提寺の広目天立像。どっしりとしたバランスのよい立ち姿にほれぼれ。

国宝 広目天立像 奈良時代

 

 

一方、こちらは、出雲地方の仏像。島根県の萬福寺(大寺薬師)の四天王像のうち増長天立像。同時代の大和の仏像と比べると、彫りは浅く、ポーズもややぎこちないかも知れませんが、いかにも地方仏らしいおおらかさと独自性があり、とても魅力的な像だと思います。

重要文化財 増長天立像 平安時代

 

 

東京国立博物館の特別展で、ミュージアムショップで売られているグッズもいつも楽しみです。

今回のヒット作は、石位寺の石仏の模様の瓦せんべい。畏れ多くて食べられない?

出雲大社に行かないと買えない献納茶などもあります。

埴輪グッズも魅力的です。

 

 

日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」

2020年1月15日(水)~3月8日(日)

午前9時30分~午後5時(金曜日、土曜日は午後9時まで)

東京国立博物館 平成館

 

https://izumo-yamato2020.jp

 

 

吉田さらさ

公式サイト

http://home.c01.itscom.net/sarasa/

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