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トム・クルーズ、栄光のキャリアの裏にある“光と影”

中島由紀子

中島由紀子

映画ジャーナリスト

ロサンゼルスでハリウッド映画のことを書き始めて25年。

ゴールデン・グローブ賞を主催する「ハリウッド外国人記者クラブ」会員で、ゴールデン・グローブ賞への投票権を持つ、3人の日本人のうちのひとり。

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『トップガン』の続編の撮影を終え(アメリカ公開は2020年6月)、終了後の作業に入ったトム・クルーズですが、『トップガン2』の内容は全く知らされていません。オリジナルの『トップガン』から33年。湾岸戦争以前の1986年にオリジナルが作られたのですから、ビデオ・ゲームのような遠隔操作の戦争はまだまだ現実的ではなかった時です。

 

中島さん_photo

スッゴいキャリアとサクセスなのに、親しみやすさは変わらないトムです。(C)HFPA

 

 

『トップガン』は、戦闘機を巧みに操縦して敵陣に乗り込んで行くパイロットの訓練の話でしたが、ドローンを基地のコンピューターの画面を睨みながら操作し、敵軍を爆破するなんてことも可能な現在、新作ではパイロット達のカッコよさがどんなふうに描かれるのか、楽しみにしてるファンも多いのです。

 

 

この後『M:I (ミッション:インポッシブル)-7』(2021)と『M:I-8』 (2022)の撮影が続くのです。トム・クルーズなしではできない“トム・クルーズ ブランド”の大作に、次から次へと関わって行くトムは、ほとんど超人だと思います。以前「睡眠時間は4, 5時間で大丈夫」と言ってましたが、もうすぐ57歳になる今も、きっと8時間寝るなんてことはないのではないでしょうか?

 

中島さん_photo

前作の『M:I-6/フォールアウト』も大評判でした

 

中島さん_photo

体当たりのアクションもトムの代名詞。果敢なチャレンジ精神には頭が下がります…

 

素敵に年を重ねていくトムの大スター人生の裏は、当然ながらいろいろありました。最後にトムがインタビューを受けてくれたのは2010年なんです。寂しい思いをしてるのは私だけではありません。LAの映画ジャーナリストはみな、「今度いつ会えるのかなあ」と指折り数えています。

 

 

彼が限られたテレビインタビューしかしなくなったのは、3度目の結婚相手、ケイティ・ホームズとの離婚騒動(2012) がきっかけでした。ニコール・キッドマンとの離婚(2001) の時は、トムもニコールもその後別々にインタビューは続けてました。ところがケイティの離婚をきっかけに、トムはメディアから完全に距離を置いてしまったんです。

 

 

「まったく予期してなかった」と、突然の離婚訴訟にトムが落ち込んでしまったのは多くの知るところです。ケイティの方が離婚訴訟を起こし、その後11日間で離婚に関する諸事(親権, 慰謝料、養育費など)が解決されたという、異様なスピードで進んだ離婚でした。

 

 

何はともあれトムがいつもインタビューの時に運んで来てくれた、ポジティブなエネルギー、明るい会話、前向きな姿勢、滲み出る勤勉さ、絶えることのないサービス精神に、インタビュアーはみな、明日への明るい希望を感じながら取材を終えることができました。離婚の原因などの暗い影は、すべて彼が属しているサイエントロジーという宗教団体に結びつけられています。こればかりは周りがとやかく言う事ではないので触れませんが、ニコールの時もケイティの時もそれが原因だったことは明白なのです。

 

 

トムのたった一人の血を分けた娘シュリちゃんももう11歳なのですが、ケイティが親権を持っているためか、最近はあまり会っていないと報道されてます。シュリちゃんを絶対にサイエントロジーに近づけないというのが、離婚成立時の第一条件だったと聞いてます。


トム・クルーズは『タップス』 (1981) で映画デビューしました。その頃から持ち続けている確固とした信念と、目的に向かって一心不乱に邁進する強い意志が、彼を支え続けてきたように思います。彼の今までを振り返って「何がトムを変えたのか?」を知るべく、1981年に、初めて私たちメディアの前に登場した19歳のトムのインタビューをはじめ、何十回というトムとのインタビューのアーカイブを紐解いてみました。

中島さん_photo

変わらぬ笑顔です。親日派っていうとこもうれしい。(C)HFPA

 

 

この若い俳優さん、誰?みたいな感じの『タップス』で のインタビュー。すでに『普通の人々』で注目されていたティモシー・ハットンと一緒だったので、彼にばかり質問が集中し、1時間近い会見でトムに向けられた質問は4つくらいしかありませんでした。それも「どんなスポーツが好き?」とかどうでもよい質問ばかり。それでもトムが、今も変わらない礼儀正しさとポジティブな態度で「高校時代はレスリングをしてたけど怪我でやめることになった。投槍もやってた」とか答えてて微笑ましい限りでした。

 

 

その時の彼はショーン・ペン、ティモシー・ハットンをもかすませてしまう、強い何かで輝いていました。当時から言い続けているのが“Do the best I can” 、ベストを尽くす、です。 「あの新人は誰?」と、他の2人を食ってしまったデビューでした。

 

 

その時のことを「4歳の時からアクターになりたかった僕だから『映画の撮影をやってる!この夢よ終わらないで』と毎晩思ってた」と言ってます。『タップス』の前に1本だけ、『エンドレスラブ』にちらっと顔を出してます。「撮影と言っても6時間現場にいただけだった」そうですが、自分の姿を初めてスクリーン上で見た時の感想を 「緊張の塊になってて、“オーノー、トム、リラックス、リラックス!“と赤面してるだけだったんだ」と言ってました。

 

 

1983年の『卒業白書』で、彼はティーンアイドルになります。一気に 加速してスターへの道を進んだトムです。びっくりするのは『卒業白書』の役作りにベッドシーンをすでにきちんと計算してやってたということです。「どの程度のセックス・アピールで演じるか、考えて役作りをした」と言ってます。

 

 

常にどこか冷静に物事を見つめているトムがいるのです。トップに押し上げたのが『トップガン』(故トニー・スコット監督)です。同じ1986年にポール・ニューマンとの『ハスラー2』(スコセッシ監督)も公開されるというすごさでした。『トップガン』のインタビューの時(24歳)にはすでに、「名声に巻き込まれて自分の道を見失わないようにするのは、中々大変なこと。あくまでも演技力を磨くと言う目的を忘れないようにしてる」と言ってます。

 

 

『トップガン』の頃は、トムはまだNYに住んでました。「NYのアパートには家具というものが何もなくて ベッドとデスクだけ。それと『ハスラー2』の為のビリヤードのテーブル。朝から晩までビリヤードの練習をしてた。何しろあの映画までビリヤードをやったことがなかったから」と思い出を語ってます。

 

 

その後“ほとんど”失敗作がないトムのキャリア。順風満帆を絵に描いたようなキャリアですが、その裏の努力とチャンレンジは想像を絶するものではないでしょうか。ケイティとの離婚を「50歳になって人生が何かを分かりだしたと思った矢先のことだった」とドイツのテレビインタビューで語っていました。寝耳に水だったケイティとの離婚から7年。今のトムは静かに人生の傷を癒やしてるのではないでしょうか?

 

中島さん_photo

(C)HFPA

 

また私たちの前にあの明るい笑顔で現れると信じてます。

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