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卵巣で育てていたものは

佐々涼子

佐々涼子

 1968年生まれ。日本語教師を経て、ノンフィクションライターに。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『駆け込み寺の男 ―玄秀盛―』(ハヤカワ文庫)、『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』(早川書房)など

PHOTO©Hayakawa Publishing Corporation

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卵巣は、直径2,3センチの楕円形をしたちいさな臓器で、下腹部に左右ふたつ存在している。

 

 

普段、胃の調子が悪いとか、飲みすぎて肝臓が心配とか、ほかの臓器を意識することはあっても、今日の卵巣の調子はどうだろう、快調に卵子を作っているかな、なんて考えたこともなかった。そもそもふたつあることすら知らなかったのだ。

 

 

でも、このちいさい臓器が女性ホルモンを出し、卵子を放出することによって、ろくでもない男に惚れたり、子どもを生んだり、月に一度の鬱陶しい月経を経験したりするのだから、これがどれだけわたしの人生を操っていたのだろうと考えると、ちょっと恐ろしくもあるし、そこに今まで気づかなかったことを反省もする。考えてみると、なんと卵巣のたくらみに操られることの多い人生だったことか。

 

 

西洋医学がそれほど発展していなかった時代には、人々はからだに不調が起きると、何かにつけ神さまに祈った。その神さまは、わたしの外にある、何か人類を超越したものだと理解していたが、もしかすると、神さまは自分のからだの中にもいて、昔の人は、意識では思い通りにならないからだに向かっても、ちゃんと手を合わせていたのではないかと思う。昔の人は賢かったな。頭のすることなんてほんのわずかで、からだという自然が、自分の人生を統べているのだと理解していたのだ。

 

佐々さん_photo

 

さて、年末に、わたしは良性の卵巣嚢腫のため、直径7センチほどになった右の卵巣を取った。これは卵巣のなかに皮脂などが溜まって腫れてしまう病気で、原始細胞の暴走により、毛髪や歯を作ってしまうこともあるという、なんとも不思議な病気だ。ブラックジャックのピノコは、この病気に着想を得て描かれたと言われているので、きっと手塚治虫先生も、この病気に興味を抱いたのだろう。

 

 

手術自体は、新人の医師でもできる簡単なものだそうで、その言葉どおり、次の日には歩くことができ、3日目には電車に乗って家に帰った。しかし、この手術を決めるまでの道のりは長く、3人の医師を渡り歩いた。手術しない方がいいという話を含めると、4人になるか。でも、とにかくわたしは長考のすえ、右の卵巣を取ることにして手術をした。

 

 

そして、手術から一週間後に病理検査の結果を聞きに行ったのである。

 

 

わたしの主治医は、ものしずかで理知的なジェントルマンといった風情の人だ。彼の話し方を聞いていると、滋味ある和食をしみじみと食べたときのような、落ちついた気持ちになる。彼は、病理解剖の結果が書かれているであろうカルテをしばらく眺めると、わたしに目をやり、いつものしずかな調子でこう言った。

 

「髪の毛が生えていました」

 

 

わたしはそれを、麻酔から醒めたときにちゃんと見ていたので、彼とおなじく落ちつきはらった調子で、「そうですか」と返事をした。

 

 

わたしの卵巣には髪の毛が生えていた。日本の首都は東京、と言われたぐらいのインパクトのなさである。それはもう知っている。最初に見たときは、興奮し、まわりの人間に、「わたしの卵巣には髪の毛が生えていてね……」と言って歩いた。
わたしは落ちつきはらったままの調子で、あらためて医師に尋ねた。

 

 

「あのー。もっと、めずらしいものは入っていなかったんでしょうか。歯とか、目とか」

 

 

すると、医師はしばらく言うのをためらっていたようだが、わたしの抑えきれない好奇心に気づいたらしく、落ちついた声を出そうと務めるようにして一言、

 

 

「脳の組織が入っていました」

と言った。

「えっ、脳?」

 

 

これにはさすがにおどろいて、思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。

 

「はい、脳が入っていました」

佐々さん_photo
そう言うと、ジェントルマン医師は、こらえきれないと言わんばかりに、ついに嬉しそうに笑った。もちろんわたしも笑った。

 

 

じつに不謹慎で健康的な反応だ。彼も、生命の不思議に少なからず感動を覚えたから医師をやっているのだろうし、こちらも、命には興味がある。

 

 

それにしても、卵巣に脳があったとは、想像のはるか上を行っていた。人間の人格形成にきわめて重要な臓器が入っていたという事実は、わたしに深淵な問いを投げかける。

 

 

この脳は、いったい誰のかけらなんだろう。わたし自身だろうか、わたしとおなじ細胞でできた一卵性の姉妹なんだろうか、それとも、わたしの卵巣が作ったのだから、わたしの子で、息子たちの兄妹なんだろうか。考えれば、考えるほどわからなくなる。ちいさいころ、宇宙のことを考えていたら、眠れなくなってしまった、あの感覚に似ている。なつかしくて、少しこわくなるあの感覚だ。

 

 

からだが悪くなったのは、おととしのことだ。ここまでにいたるまでに、いろいろなことを考え、調べてきた。更年期について。からだにメスを入れることについて、医療とのつきあいかたについて。このコラムでは、そんなわたしの、ごく個人的な心の道程について、綴っていこうと思う。

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