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横森理香 連載小説「大人のリアリティ小説~mist~」シーズン4 幸福という名の地獄 第7話 癒しのコーヒータイム

横森理香

横森理香

作家・エッセイスト。1963年生まれ。多摩美術大学卒。 現代女性をリアルに描いた小説と、女性を応援するエッセイに定評があり、『40代 大人女子のためのお年頃読本』がベストセラーとなる。代表作『ぼぎちんバブル純愛物語』は文化庁の主宰する日本文学輸出プロジェクトに選出され、アメリカ、イギリス、ドイツ、アラブ諸国で翻訳出版されている。 著書に『コーネンキなんてこわくない』など多数。 また、「ベリーダンス健康法」の講師としても活躍。 主催するコミュニティサロン「シークレットロータス」でレッスンを行っている。 日本大人女子協会代表

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骨折し入院している母親のところへ病院通いが始まった。本来なら陰々滅々とした状況のなか韓流ドラマ「愛の不時着」だけが心の救い。一人になる時間を見つけてドラマを見ることを考えるだけで、ウキウキする貴美子だった。・・・・・・作家・横森理香が描く、大人女子たちのセツナイ内情。リアリティ小説「mist」第7話。

横森理香小説

第7話 癒しのコーヒータイム

 

母親の骨折は順調に回復していた。最初のZoom面談以降は、電話で病状を聞くことになっていた。

 

先生は、

「このお年にしては素晴らしい骨密度と回復力ですよ。リハビリがうまく行けば、あと数週間で退院できるかと」

と言う。

「ありがとうございます!」

 

しかしそれは貴美子にとって、また家にずうっと家族がいるようになる、という残念なお知らせでもあった。

実の母だから元気に退院してもらうのは嬉しい。母は、最初は病院生活が新鮮だったのかどこか楽しそうだったが、だんだん元気がなくなって来ていた。

「病院のごはんは美味しくないから、もう食べたくないよ」

といつももらす。

 

「量ばっかり多くてさ。年寄りがこんなに食べられるわけないじゃない」

「でもお母さん、食べないとダメだよ。ワクチン打ってたって100%じゃないんだから。栄養摂って、体調良くしておかないと」

昼間もリハビリのとき以外はベッドの上だから、うつらうつらしているとまた食事の時間がやって来る。

「一日中ゴロゴロしてるから、お腹も空かないし、夜もよく眠れないんだよ。それ先生に言ったら、睡眠薬くれたけどね」

お腹が空かないと言ったら消化剤もくれたという。

 

こうやって母親が、病気でもないのに薬漬けになっていくことを考えると、一日でも早く退院したほうがいいのだが・・・。

 

 

夫が出勤して母親もいないリビングの心地よいこと。

それがなくなると思うと貴美子はやるせなかった。

 

「愛の不時着」に嵌ってから、常にその登場人物たちを思い出しながら、暮らしている貴美子だった。お笑いキャラで脇を固めている純愛ドラマなので、面白いシーンを思い出してはにやにやし、純愛シーンを思い出してはじんわりとする。

コーヒーを淹れていても、主人公の姿と自分を重ね合わせた。セリに飲ませたいがため、闇市で生のコーヒー豆を買って来て、竈で焙煎し、すり鉢で挽いて、ガラスのドリッパーでネルドリップするのだ。

 

貴美子の家ではコーヒーメーカーで淹れていたが、「愛の不時着」に嵌って、思わずガラスのネルドリップポットを買ってしまった。アマゾンで3247円。

「どこにも出かけないんだから、これぐらいいいよね・・・」

と自分に許した。

「愛の不時着」が面白すぎて、貴美子は舞い上がっていた。

まるで初恋中の女子中学生のように。

 

 

貴美子はアサカ病院に着替えやお菓子を届けた後、駅前のコーヒー屋さんに行って、挽きたての深煎りコーヒー豆を買い、手挽きした。そのコーヒー屋さんは、何十年も前からそこにあり、一度も入ったことのない店だった。

 

いつも、コーヒーを焙煎するいい香りが漂っていたのだが、百グラム600円~の豆は、うちには贅沢過ぎると、見て見ぬふりをしていたのだ。

貴美子の家では、一キロ千円ぐらいの、「ちょっと美味しいコーヒー屋さん」という挽いた豆を定期購入していた。それを毎朝五杯分コーヒーメーカーで淹れ、朝夫婦で一杯ずつ飲み、残りを夫のステンレスポットに入れてもたせた。

 

それは実に「ちょっと美味しい」コーヒーだった。

「安いわりに美味しいよね」

と、夫とも言い合っていたのだ。息子がいる時はもう一度淹れる。なんせ夫も息子もコーヒーをがぶがぶ飲むので、時に2リットルほどのコーヒーを消費する。

だから、こんなにいい豆は、貴美子には一生縁のないものだと思っていた。が・・・。

 

 

「愛の不時着」のあのシーンを見て、どうしても、自分のために丁寧に淹れたコーヒーを、こっそり飲んでみたくなったのだ。コーヒー豆を挽くグラインダーは、古いものが食器棚の奥にあった。

 

それは貴美子の父が結婚当初、サイフォンコーヒーに嵌っていて、買いそろえたものだという。あの厳格な、趣味もない仕事人間だった父が、当時まだ日本では珍しかったサイフォンコーヒーを家で母に淹れさせていたという話を聞き、貴美子は不思議に思っていた。そんな人だったのかと。

 

貴美子が物心ついたときには、タダのケチなくそ親父となっていて、家にはサイフォンも既になかった。割れたっきりないものとなった贅沢だったに違いない。木製のグラインダーは、割れないのでずっとそこにあった。

 

改築する際にも捨てきれず、取っておいたのだ。可愛い、小さな、コーヒーグラインダーだった。それに買って来た深煎りのコーヒー豆を入れ、きこきこと手挽きした。半世紀以上前のものが、まだこうして使えることに感動を覚えた。

 

馨しい香りが漂って来る。

トリセツ通り、煮沸して冷蔵庫内で水に浸しておいたネルドリッパーを固く絞り、金物の枠に差し込み、小さい可愛いガラスポッドにセットする。

自分だけの贅沢のためなので、二、三杯用ではなく一、二杯用にした。

 

そのころっとした形も小ささも、貴美子の心を癒した。

持ち手が木で出来ていて、ガラスポッドのウェストマークのように皮の紐が結んである。

「可愛い」

 

挽きたてのコーヒー豆を入れ、お湯を少し注ぎ、蒸らす。キッチンからリビングまで、いい香りが立ち込めた。

コーヒーはカフェインで目が覚めるだけのものと思っていたが、実に安息効果が高いものだと、貴美子は初めて気づいた。

 

ああ、なんていい時間なんだろう・・・。

貴美子は束の間の幸せを噛みしめた。

横森理香小説

イラスト/押金美和

 

◆mist シーズン4、シーズン1、2、3のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆次回は、11月25日(木)公開予定です。お楽しみに。

 

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