松本千登世/背中

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松本千登世

1964年生まれ。美容エディター。客室乗務員、広告代理店勤務、出版社勤務を経てフリーランスに。自らの経験に基づいた審美眼によって語られる、エッセイや美容特集がつねに注目の的。近著に『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。今日も「綺麗」を、ひとつ。』(講談社)がある

ある日、大学受験を控えた「息子」の部屋の壁を見て、愕然とした。そこにあったのは、大きな穴。えっ? どういうこと? 何があったの? 「私」はショックのあまり、腰の力が抜け、膝の力が抜け、その場にへたり込んで、しばらく動くことができなかった。

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小さな頃から素直で明朗、いや、もっと言えば能天気。どちらかというと、手のかからない子どもだったと思う。もちろん、思春期を迎えてからは、多少、態度がぶっきらぼうになり、それまでのようには話をしてくれなくなったけれど、人にも物にも、行動も言葉も、攻撃的になることは一切なかった。これも大人への準備期間、時期が来ればまた元に戻るはず、そう高をくくっていたのだ。だからこそ、余計にショックが大きかった。同じ年齢の子どもを持つ友人なら、わかってくれるだろうか?

 

 

迷いに迷った挙げ句、思いきって彼女に話してみた。

 

 

「カロリーメイトのCM、見た? すべてがわかるよ、その行為のすべてが。いや、彼のすべてが」

 

 

とめどなくあふれる涙。120秒に凝縮された物語に、鬱屈としていた心の中が、雲が晴れるようにクリアになっていくのを感じた。

 

 

壁の穴? それも、いいじゃない。部屋の傷も手の痛みも、きっといつか彼の奥行きになるから。
彼の奥行きは、私の奥行きになるのだから。素直にそう思えたのだ。
…と、実はこれ、私の友人の話。聞けば、このCM「夢の背中」篇は、受験生を持つ母親たちの間で、すでに大きな話題を呼んでいたという。私自身、テレビのスポットを何度か偶然目にしたことがあり、気になっていた映像だった。改めてウェブで見てみると…?

 

 

たった120秒ながら、それはまるで映画のよう。母の目線で子どもの背中を追った深い深い物語がこめられていた。生まれた日からやがて巣立つ日まで。時に背中を優しくさすり、時に遠くから背中を見つめる。時に背中を叩いて人生を戒め、時に背中を押して人生を促す…。ああ、母親って、いつもいつでも、こうして子どもを見守っているんだ。私も見守られていたんだ。その目線に初めて触れたのである。
子どもを持たない私は、思えばずっと、「自分目線」だった。初めて自転車に乗れたとき、前輪と青空と希望しか視界になかったし、受験勉強に必死になったとき、問題集とノートと不安しか視界になかった。親元を離れて一人暮らしをしたときは好奇心しかなかったし、仕事に就いて程なく壁にぶつかったときは絶望感しかなかった。つねに、自分のこと、生きることで精いっぱい。その「後ろ」に母親の視線があるなんて、思いも寄らないままに、今…。振り返れば、私以上に私の人生を思う人がいたのに。私以上に私の幸せを願う人がいたのに。そして、気づかされたのだ。今まで、親の背中を見ているつもりだったけれど、見られていたのは私のほうだった、と。

 

 

私たち世代はちょうど、子どもの背中を親の目線でとらえ、親の背中を子どもの目線でとらえて、心を「行ったり来たり」させることのできる、「感受性の頂点」にいるのかもしれないと思う。だから、隣にいるパートナーの背中や、長くつき合っている親友の背中が語り出すさまざまなことを、最も感じ取れる世代に違いないって。もう一度、そんな目でいろいろな背中を見つめてみたいと思う。自分の背中にもまた、大切な誰かの温かい目線が注がれていることを、忘れずに。

 

 

写真/興村憲彦

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