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第1章 巡礼旅は怖くない 6・ガイドブックを持たない旅、予約をしない旅

大滝美恵子

大滝美恵子

フードライター&エディター、ラジオコメンテーター。横浜生まれ。「Hanako」からスタートし、店取材を続けること20年。料理の基礎知識を身に付けたいと一念発起、27歳で渡仏。4年の滞在の間にパリ商工会議所運営のプロフェッショナル養成学校「フェランディ校」で料理を学び(…かなりの劣等生だったものの)、フランス国家調理師試験に合格。レストランはもちろん、ラーメンや丼メシ、スイーツの取材にも意欲を燃やし、身を削って(肥やして!?)食べ続ける毎日。

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ワインがほとばしる、魔法の蛇口を目指して

 

ルンルン。使うと年寄り認定される昭和言葉(!)が思わず口からこぼれてしまうのは、待ちに待った「ワインの泉」に向かっているから。今朝ばかりは早起きも苦じゃありません。朝焼けに溶けていく白い月を眺めながら、足取りも軽く、緩やかな登り坂を上がって行きます。

 

カミーノ(巡礼)の本を読んで一番、行ってみたいと思っていたのがこの「ワインの泉」。昨晩、宿泊したエステーリャから約2.7km、サンタ マリア デ イラーチェ修道院の隣にあるボデガス・イラーチェ社というワイナリーが、巡礼者のために無料で提供しているワイン飲み場です。工場の壁に設置された蛇口をひねるとワインがほとばしるという、酒好きには夢のような話…。

 

このあたり、ナヴァラ地方は遡ること紀元前2世紀頃、古代ローマ人がワイナリーを建設したのが最初で、巡礼最盛期の12世紀には当時の巡礼のガイドブックでもあった「カリクストゥス写本(Codex Calixtinus)」に「おいしいパンとワインの土地」として紹介されていた土地。その珠玉の飲み物は外国にも輸出されるようになり、18世紀にはかのロシアのピョートル大帝もナヴァラの赤ワインのファンだったとか。

 

 

「なぞる旅」ではなく「感じる旅」を

 

仕事柄もあって、私は旅行前、色々と情報を調べて行くほうだと思います。その土地の名物、おいしいレストラン、朝市やスーパーマーケット、行くべき名所や美術館…(食いしん坊の私の場合、重要度は間違いなく、この順序)。行き方、営業時間から安いクーポンの存在まで、かなり緻密に調べることも。

 

でも今回の巡礼旅にはガイドブックの類を一切、持って行きませんでした。この旅の目的は「巡礼地に歩いてゴールする」こと。「名物を食べ歩く」ことでも「観光名所を訪ね歩く」ことでもありません。もっと言ってしまうと、800kmを歩き通せるかまるで自信がなかったので、観光したり、おいしいものを食べたりするのに使う気力・体力を、とにかく「歩く」ことに使わなくてはと思っていたのです。

 

巡礼を終えたいまとなっては「そんなに肩肘張らなくて大丈夫だよ」と自分に声をかけたいくらいですが、そういう切羽詰まった思いのもと、事前に細かい情報を集めるのもやめました。立ち寄る村々のインフォメーション、周辺の見どころ、アルベルゲ(巡礼者向けの宿泊施設)やホテルの情報がまとまった日本語のガイドブックも数冊出版されていますし、日本からも大勢の方々がスペイン巡礼をしていらっしゃって、写真満載のブログや面白い旅日記がたくさんあるのですが、あえてそういったものを読まないようにしたのです。

 

今回ばかりは情報をなぞる旅ではなく、「心で感じることを大切にしたい」と思いました。何世紀もの間、数えきれないくらいの人々が辿った道を歩くシンプルな旅なのだから、現代的な物差しで、便利に、おトクに物事を運ぶための情報はいらないのではないかと。もし情報がないせいで失敗したり、損をしたとしても、まぁいいか、それも旅の経験として受け入れてみようじゃない。

 

…こうして文字にしてみると「カッコいいなー」と自分で自分に酔いたくなりますが、実はドタバタの出発で、下調べをする余裕がなかっただけという話も(苦笑)。そして、憧れの紀行小説「深夜特急」の主人公気分で!?心に誓った決意を後悔する時は、すぐにやってくるのでした。

 

歩いていると、時折、地元の人で賑わう市場に出くわすことも。いつもなら市場は何曜日の開催で、場所はどこどこの広場で、ここの名物はこれこれで、と下調べは万全なのがワタシ流。情報を調べるのが大好きだし、おいしいものに出会うためならどんな労力も厭わない。残念ながら美術館で絵や彫刻を長時間愛でる感覚は持ち合わせていないけれど、おいしいモノと人々の笑顔に満ちた市場になら何時間でも滞在していられるのだ。

 

 

 

国道1110号線を横切って細いサンティアゴ通りに入ると、T字型に広がる幹が植えられたぶどう畑。さらに進むとありました! 石造りの建物の壁に巡礼者の彫刻と夢にまで見たワインの蛇口。空のペットボトルを近づけて、コックに手をかけてひねります。…あれ? 出てこない。なんで?

 

横の看板に書いてありました。なんと、蛇口が開くのは朝8時から。嘘でしょ!?ヤル気満々でエステーリャのアルベルゲを早朝に出てきたので、現在、まだ朝7時。開栓時間まで、まだ1時間もあるんです。

 

真剣に悩みました。ここで1時間待つか、否か。うーむ…。

 

結局、朝早く出たせっかくのアドバンテージを無駄にしてはならぬと、泣く泣くワインの泉を後にすることにしました。もしちゃんと情報を調べてあったら、開栓時間に合わせて出発したでしょうし、もっと言ったら昨日の夕方、チェックインした後にワインをたらふく飲みに来ることもできたかも…。そのショックで、隣にあったはずの旧ベネディクト派のサンタ マリア デ イラーチェ修道院を眺めることすら、忘れてしまいました。

 

情報に頼らない、「心で感じる旅を」なんてカッコよく言ってみましたが、無料ワインを口にできなかったことをその日一日中、いいえ、今日に至るまでずーっと後悔しています。あーあ、嫌になっちゃうなぁ、もう。

 

ホタテ貝のオブジェが付いた2つの蛇口。左はワイン、右は水。手ですくって飲む? それとも昔の巡礼者のようにホタテ貝をコップ代わりに? …昨夕、よくよく考えた挙句、わざわざ小さい水のペットボトルを購入、中身を飲み干して空のボトルを用意した。いくら無料で飲み放題といっても、その先のトイレの心配もあるし、容器に入れて持って行くには荷物になって辛いだけ。小さいボトルくらいなら持って行けるかなと、本当にたくさん悩んだのに…(泣)。

ホタテ貝や黄色の矢、残された優しさが目印

 

 

必要があれば携帯のマップ機能で居場所を確認することもできましたが、ほとんどそれをしたことはありませんでした。なぜなら、様々なホタテ貝が進むべき道をわかりやすく指し示してくれているからです。ホタテ貝以外にも黄色いフレッチャ(スペイン語で矢印という単語)が道端の標識に、建物の壁に、岩や木に記してありました。もともとサンティアゴ デ コンポステーラを目指して西に進むだけの旅ですが、本当にホタテ貝の目印をたどって行ったら目的地に着くことができました。だからどんな方向音痴さんでも大丈夫、とにかくホタテ貝を探せばいいのです。

 

私の経験では800kmのうち、迷ったのは1、2回だけ。それも道に迷ったというより、メインルート以外に、他の村を通って同じ目的地に着く別ルートが設定されている場合があって、どちらに進もうか「迷った」だけです。

 

必ずしもと言う訳ではないけれど、ほぼすべてのスペイン巡礼路がサンティアゴ デ コンポステーラがある西(左)へ向かうように、ホタテ貝のすぼまっている側が左になるように置かれている。中世以降、ホタテ貝が巡礼者の印になったのは、エルサレムで殉教した聖ヤコブの亡骸を運んだ船の底にびっしりとホタテ貝が付いていたからとか、無事にサンティアゴ デ コンポステーラについた巡礼者たちがガリシア地方の海岸でホタテ貝を食して記念に持ち帰ったからなど諸説ある。フランス語で「スペイン巡礼」を「シュマン ド サンジャック」(Le chemin de Saint-Jacque)と言うが、ホタテ貝はそのものスバリ、「コキーユ サンジャック」(Coquille Saint-Jacque)。

 

 

ただし、まだ暗いなかを出発する場合、懐中電灯であたりをぐるぐると照らしながら、路上のホタテ貝を探さなくてはなりません。

 

一度、早朝の月明かりに照らされた畑の畦道で、たまたま私の懐中電灯の光に浮かび上がった矢印は左折を指示していました。ところが、前を歩いていた男性は200メートルくらいだったでしょうか、迷うことなく直進中。「Not this way!(そっちじゃないよ)」「Hora!!(おーい)」などと闇をつんざく大声で、一緒にいた同行者たちと後ろから一生懸命叫んだのですが、彼は全然気付かない…。まったく逆方向であれば走って行って止めましたが、もしかしたら別ルートがあるのかも?…と微妙な気持ちになり、「…やれることはやったよね」「彼のグッドラックを祈ろう」「あっちが近道なのかもしれないよ?」と言いながら、私たちはしっかり左折。あの先、彼がもし途中でホタテ貝のないことに気付けば、ブツブツ言いながら戻ってきたはずですが…。

 

いまでこそ、巡礼路はとてもわかりやすく整備されていますが、こんなシーンがきっと何世紀もの間、繰り返されてきたのでしょうね。

 

また、先に歩いた人が残してくれた花や小石で作られた可愛い矢印も路上にたくさんありました。それを目にすると、疲れた身体にも少しだけ、また元気が戻ります。ひとりで歩いていても、ひとりじゃない気持ちにさせてくれ、そんな優しさがじんわりと心に染みるのでした。

 

 

歩けるところまで行って泊まればいい

 

ガイドブックを持っていないので、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーの巡礼事務所でもらった宿のリストをなくしたら大変です。巡礼路のすべての街や村のアルベルゲの情報(宿名、電話番号、ベッド数、キッチンなどの設備の有無)がぎっしり書かれたA4サイズの用紙を、ついうっかり置き忘れたりしないように、クリアファイルに入れて大切に持ち歩いていました。

 

クレデンシャル(巡礼手帳)を持つ巡礼者なら誰でも安価に泊まれる宿泊施設、アルベルゲ(Albergue)。市や村、キリスト教系団体などが運営している公営のものと、個人が営業している私営のものと2種類です。公営だと1泊6〜12ユーロ、私営だと10〜20ユーロくらいでしょうか。たいていのアルベルゲには大部屋のベッドルーム、共同のキッチンとテーブル、そしてシャワールームと洗濯のためのスペースがありました。

 

公営アルベルゲは宿泊費が安い分、設備が質素で古いのですが、稀にツインベッドルームの大当たりのアルベルゲがあったりも。サンティアゴ デ コンポステーラに近づくにつれ、利用する人が段々と増えてくるせいか、公営アルベルゲの宿泊料金は高くなり、反対に設備はしょぼくなり、巡礼者たちには不評を買っていました。

 

高年齢層はしっかりと休息をとるために、私営アルベルゲや普通のホテルに泊まる人が多かったです。結論として、私は1度もホテルには泊まりませんでした。疲れが溜まってホテルにひとりでゆっくり泊まりたいと思ったこともありましたが、結局、疲れ果てて街に到着すると、ホテル探しが面倒になってしまい、まわりの巡礼者の後について公営アルベルゲになだれ込む、というパターンがほとんど。

 

ホテルはもちろん、私営アルベルゲでもインターネットのホテルサイトで予約ができるところもありますし、公営でも電話予約ができるところもあります。私も最初のうちは心配して予約をしていましたが、途中からはパッタリと止めました。予約をしてしまうと、どうしてもそこまで行かなければならなくなり、その義務感が窮屈に感じられてきてしまったのです。

 

つまり、宿泊場所は行き当たりばったり。街や村にはアルベルゲが複数あるので、どうにかなるだろうと思っていましたし、事実、幸いにもベッドが取れなかったことは一度もありませんでした。

 

その日、歩けるところまで行けばいい。予約をしていない不安より、予約をしていない自由が心地よくなっていきました。「Que será sera(ケセラセラ)」、なんとかなるさ、って、いい言葉ですね。

 

(次回に続く)

 

 

  • MEMO 第6日目 計21.8km

エステーリャ(スペイン/ナヴァラ地方)

ロス アルコス(スペイン/ナヴァラ地方)

 

イラーチェの「ワインの泉」を通り過ぎると、巡礼路は森のなかへ。小高い丘のビジャマヨール デ モンハルディン村を横切り、巡礼路は緑の平原へとひたすら続いていく。日差しに照りつけられながら、うず高く積まれた麦の山を横目に約12km。オドロン川沿いの小さな街・ロスアルコスに到着。ナヴァラ王が愛した古い街は、ナヴァラ風バロック様式のサンタマリア教会が美しい。

 

 

地図イラスト/石田奈緒美

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