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第2章 旅はいつでもドラマチック 1・悪い魔女といい魔女に出会った村

大滝美恵子

大滝美恵子

フードライター&エディター、ラジオコメンテーター。横浜生まれ。「Hanako」からスタートし、店取材を続けること20年。料理の基礎知識を身に付けたいと一念発起、27歳で渡仏。4年の滞在の間にパリ商工会議所運営のプロフェッショナル養成学校「フェランディ校」で料理を学び(…かなりの劣等生だったものの)、フランス国家調理師試験に合格。レストランはもちろん、ラーメンや丼メシ、スイーツの取材にも意欲を燃やし、身を削って(肥やして!?)食べ続ける毎日。

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ぬか喜びだったグラニョン村の到着シーン

「…ホントにあんたってバッカじゃないの!?」

 

村の外へと向かう、両脇に民家ひとつない車道の真ん中を歩きながら、自分に大声で悪態をつきました。そして、肩を落としてがっくり…。トボトボと足を進めるアスファルトの道は緑の森へと向かい、左手の休耕田の向こうには塀に囲まれた墓地らしきものが見えます。

 

ついさっき、目的地・グラニョン村に着いて「今日のノルマ終わり!」と喜びの声を上げたばかりでした。約20キロメートルを歩き続け、「もう歩けなーい」と荷物も降ろさず、倒れ込んだ村の入り口の小さなベンチ。そよぐ風はあったものの、照りつける日差しに体力を奪われてクタクタです。

 

隣のプラタナスの木陰のベンチには、しばらく前後しながら歩いてきた若い男性の巡礼者。ペットボトルを咥えた口を手で拭いながら、彼と目が合い、何となく微笑み合います。ガイドブックを持つ手で指差して「アルベルゲ(巡礼者用の宿泊施設)はそこだね」と彼。「今日は民営アルベルゲに泊まるの?」と聞かれ、「そのつもりだよ。ふたつあるうちの大きい方にね。荷物も送ってあるし」とバックパックからA4サイズ紙の宿泊リストを取り出しました。「ちょっと見せてくれる?」と彼のガイドブックの地図のページを覗き込むと、…ん????、疲れた頭にとんでもないことがカタチになって浮かんできました。

 

…ええっ、私が荷物を送ったアルベルゲって、この村の中じゃないの!?

 

失敗の始まりは荷物の送り先指定から

 

昨晩泊まったアルベルゲの掲示板に、この先々の宿泊地のインフォメーションが貼ってありました。電話番号だけが記載されている手元の宿泊リストを見ると、目的地・グラニョン村のアルベルゲは二箇所。そのふたつめ、「Na Seño. Carrasquedo」という名前の宿泊施設は歴史的建造物を改築した建物だと、掲示板の案内に書かれています。

 

スペインでは古城や貴族の邸宅、修道院などを改修した「パラドール」という宿泊施設が有名です。国が観光事業を盛り上げるために着手し、1928年の最初のオープン以来、いまでは全土で94のパラドールが営業されています。グラナダのアルハンブラ宮殿の敷地内にある修道院を改装したものや、聖地であるサンティアゴ デ コンポステーラにも15世紀に建てられた旧王立救護院を改装した5つ星パラドールがあります。

 

「歴史的建造物に泊まれる」という言葉が、清貧巡礼者だったはずの私の心をくすぐりました。そりゃあアルベルゲなんだから、高級施設のはずはないけれど、なんだか面白そうじゃない!?

 

そんな観光客らしい欲求に従って、陥った罠…。私が荷物を送ったリストのふたつめのアルベルゲ「Nuestra Señorade Carrasquedo(ヌエストラ セニョーラ デ カラスケド)」は、グラニョン村からさらに約2キロメートル、それも進路とは関係ない南に行った場所にあったのです。ええ、ええ、わかっておりますとも、急ぐ旅じゃなし、のどかな田園風景を、木々の散歩道を楽しめばいいんですよね…って、疲れ果てたこの身体にはそんなの無理ムリ。普段なら嬉しくなる下り坂も、またこれを登ってこなくちゃならないと思うと、腹立たしいこと、この上ありません。

 

自分の中の不機嫌を持て余しながら約30分ほど歩くと、風にのって人々の明るいさざめきが聞こえてきました。森の中に見えてきたアルベルゲは、17、8世紀頃の病院を改装した石造りの質素な建物。古そうな鐘楼が屋根の上に残されています。芝生の上にはテーブルと椅子が並べられ、おしゃべりに興じるスペイン人の家族連れやグループがあちらこちらに。子供遊具があったり馬がいたり、ここは自然を楽しめる郊外の人気スポットらしく、イースター最後の休日を皆、のんびりと楽しんでいるようです。

 

 

レセプションの入り口が見当たらなかったので、とりあえず人が出入りしている扉をそっと覗いてみました。中は食堂になっていて、大賑わいのランチの名残りか、テーブルの上には食べ終わりの皿やカトラリーが山積みに。奥のカウンターに近づいて行くと、50代くらいの痩せた男性と30代前半のがっしりした体格の黒髪の女性が忙しそうに立ち回っています。宿のご主人でしょうか、八の字眉毛のどことなく寂しげな印象の男性は、ビールやワインの追加注文をしにきたホロ酔いの客を相手に、時折、笑顔を浮かべますが、その後にうっすらと浮かぶのは疲労の色…。やりとりが済むのを待っていると、ようやく私に顔を向けてくれました。小さく微笑んでくれた彼に、つたない英語で話しかけます。「空いているベッドはありますか?」「ありますよ、10ユーロです」「夕食は食べられますか?」「20時に降りてきてください。いまは忙しいので、その時にスタンプも押しますね」。

 

 

歓迎されていなかった!? 外国人巡礼者

 

別送した荷物を受け取って案内された階上のフロアは、ひんやりと肌寒く、外の子どもたちのはしゃぎ声がはっきり聞こえるくらい、シーンと静まり返っています。「こんな辺鄙な場所のアルベルゲにわざわざ泊まる人なんていないよね…」と思いながら、ドアを開けた部屋にはなんと先客がいました。4つあるシングルベッドのうち、一番窓際に陣取っていた茶色のセミロングヘアの女性、私よりひと周りくらい年上でしょうか。嬉しくて必要以上に大きなボリュームが出てしまった「ハロー」もそこそこに、まずパッと目がいったのは半袖のTシャツから伸びる腕の刺青…。なにやら大きなマークのような絵柄が腕全体に幾つも彫られています。日本人特有の「刺青ってちょっとコワイ…」気持ちを瞬間に抱き、平静を装って、大きな笑顔を作りました。うっ、荷物を床に下ろした視線の先にも、これまた甲全体に模様のある彼女の裸足…。

 

イギリス人のジェーンは、私の戸惑いにはまったく気付かない様子で、今日の道中の出来事を陽気に話し始めました。3回目のスペイン巡礼になること、インターネットでここに予約と支払いをしたこと、それゆえ街から離れていると気付いたけれど仕方なく来たこと…。そして洗濯物を窓際に並べ終わると「朝から何も食べてなくて、予約した夕食まで待てないから、グラニョン村に行ってくる」と言い残し、部屋を出ていきました。

 

 

建物のまわりを散歩したり、ひとりでグラスワインを飲んだりして、暇を持て余すこと数時間。結局、今晩は私たち以外に宿泊する巡礼者はいないようで、8時になるのを待ちかねて、ふたりで階下の食堂へ降りて行きました。村まで往復したにもかかわらず、イースター当日のため、開いている店を見つけられなかったジェーン。かく言う私も、朝からドライフルーツとナッツしか口にしていなくて、お腹ペコペコ…。

 

食堂ではカウンターとテーブルで何組かのお客が賑やかにグラスを傾けていて、忙しさが続いたのか、ほとんどのテーブルは変わらず使い終わった皿やグラスが置かれたまま。それでもセッティングがなされたテーブルがひとつだけあったので、ジェーンと私はそこに腰掛けました。

 

しばらくそのまま待っていたのですが、忙しそうな主人もお客と会話している黒髪の女性も気付かないようだったので、ジェーンがカウンターに声をかけに行きました。「オーダーを取りに行くから少し待って、だって」と戻って来たものの、それからまたしばらく何の動きもありません。時計の針はもう8時半近く。お腹が空きすぎて1分が1時間にも感じられ、渇望の眼差しでカウンターを見ていると、主人が何かを女性に頼んでいる様子。彼女はしばらく無視していましたが、繰り返し言われたことに腹を立てたのか、彼に捨て台詞を吐き、私たちのテーブルにずかずかとやって来ました。そしてスペイン語で何かをまくし立てるのです。言葉のわからないジェーンも私もキョトン…。

 

すると彼女、いきなり私たちの前にセッティングしてあったお皿とカトラリーをガチャガチャと音を立てて片付け始めました。

 

一体、どうしたって言うの?

基本的はいい人ばかり、でも意地悪な人も…

巡礼路を取り巻くスペイン人は笑顔の素敵ないい人ばかりです。バルでグラスワインを頼んだら、サービスだと生ハムを出してくれたり。ふくらはぎを揉んでいたら、バケツにお湯を入れて持って来てくれたことも。すれ違う時に「Buen Camino!(ブエン カミーノ)」と向こうから声をかけてくれる住民の方や、車道脇の道では挨拶代わりにクラクションを軽快に鳴らしてくれるトラック野郎たちもいました。巡礼はたくさんの手助けや応援の声に支えられています。

 

けれども路上には少ないながら意地悪な人も、泥棒も、やたらと触ってくる痴漢ジジイもいました。とくに「フランス人の道」はメジャーゆえに、歩きやすい環境であると同時に巡礼者目当てのビジネスの場所になっているのも確かで、笑顔の欠片もない物売りは大勢いましたし、「ぼったくり」と文句を言いたくなるNOホスピタリティーバルもありました。「昔は無料でトイレを貸してくれたバルも多かったのに、断られることも多くなった」と言う嘆きの声も…。

 

もちろん、いい人ばかりがいる訳でないのは地球上のどこにいても同じです。それぞれの立場や誤解もあって、ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」が夢の国にしかないのを私たちは知っています。

 

巡礼者にも落ち度がある場合もあるでしょう。言葉の問題でうまく意思疎通できないこともありますし、「私は正しい行いをしている」という気持ちが横柄な態度になっている巡礼者もいるでしょうし、私だってその立場になれば、連日訪れる巡礼者に無料でトイレを貸すのを躊躇するかもしれません。とくに巡礼路に落ちているポイ捨てゴミの多さを思うと、地元の方に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

 

巡礼という非日常を歩む巡礼者は、日常を営む人々の生活空間にお邪魔させてもらっているという気持ちをどこかに持たなくてはならないのかもしれません。あらゆる人が巡礼者に対してプラスの感情を抱いている訳ではない現実に直面した時、それはごく普通の人間の感情であるはずなのに、巡礼と言うどこか特殊な空間の中で忘れていたことに気付きます。

 

…で、私は、あの女性に何か悪いことをしてしまったんでしょうか…。

 

人生で初めて使った憧れの“wicked”

 

びっくりした後に、怒りと呆れた気持ちが湧いてきた私は、席を立って部屋に戻ってきてしまいました。自分の短気を悔やんでも後の祭り。明日の昼用に買ってあった小さなりんごをかじって、空腹をごまかすしかありません。

 

妄想してみると、あの女性は主人の再婚したばかりの年下の奥さん。優しくて穏やかな彼の経営するアルベルゲを手伝うことになったのですが、仕事は忙しく、不満はたまる一方。この連休もお客が多く、目が回るような忙しさで、とくに最終日の今日は疲れ果て不機嫌MAX…。

 

だから、夕方、グラスワインが飲みたかった外国人巡礼者(注・私のことです)がカウンターにやってきても見ないフリ。「エクスキューズ ミー」と英語で声をかけられても聞こえないフリ。

 

夜は夜で、「こんなに疲れているのに、私にオーダーを取りに行けって?」「うるさいわね、今、話してるでしょ!? だいたい、あそこは別の客のためにセッティングしたテーブルなのに、なんで外国人が座ってるのよ?」「ここは予約席だからどけって言ってるのに、なんで理解できない訳? いい加減にしてよ」と、イライラが爆発…。

 

「ごめんね、ひとりで置いてきちゃって」と部屋に戻ってきたジェーンに謝りました。「だって我慢できなかったんだもの。あの人、とっても…」意地悪だったよね、と言いたかったのですが、その英単語がわかりません。「She was…, she was…」と口ごもっていたら、ジェーンが私の言葉尻を捉えて言いました。

 

「Yes,she was wicked! 私も不愉快だったけど、お腹が空きすぎて食べない訳にはいかなかったのよ。でも…」とおいしくなかったらしい巡礼者用メニューの愚痴を続けるジェーンに「え、ちょっと待って、wicked(ウィキッド)って言った!?」

 

 

私がこよなく愛するブロードウェイミュージカル、西の悪い魔女と南のいい魔女の友情物語「Wicked(ウィキッド)」。あの有名な「オズの魔法使い」のサイドストーリーで、西の魔女がどうして「ウィキッド(邪悪な、意地悪な、と言う意味)」と呼ばれるようになったかを描いた大ヒット作です。劇中歌を暗記するほど繰り返し観たミュージカルのタイトルを実生活で初めて耳にして、テンションだだ上がりの私。「そうよ、そうよ、彼女はウィキッドだわ」「ここはウィキッドハウスなのよ」とシュプレヒコールばりに「ウィキッド」を唱え、ひとりで大興奮。こうやって外国語のボキャブラリーは自分のものになっていくんですね(苦笑)。

実はもうひとりいた「ウィキッド」

 

早朝5時30分。「ギィィ」と錆びついた金属音を響き渡らせ、重たい木のドアを開けました。外は漆黒の闇で、建物の薄明かりから離れると、自分の指先すら見えません。ジェーンの持っていた懐中電灯で足元をわずかに照らし、猛スピードの車が来る恐れのある車道ではなく、でこぼこの土の脇道を歩くことにしました。そして、ふたりで振り返って言いました。「さよなら、ウィキッドハウス」。

 

暗闇の中を歩くのは予想以上に恐ろしく、後ろから黒いマントととんがり帽子の魔女が追いかけてきても、ある意味、きっと驚かないほど。ふたつのバックパックが揺れる乾いた音と、緩やかな上り坂で少しずつ荒くなる息遣いだけが聞こえること約30分、やっとグラニョン村に戻ってきました。ホタテ貝の目印を再び見つけ、この村に滞在していた巡礼者ともすれ違い、「あぁ、よかった、助かったね」と安堵する私たち。

 

今日は思いのほか寒い朝で、かじかむ手を擦り合わせながら、開いていた国道沿いのバルに駆け込みました。壁のピンボールゲームが物悲しく点滅する、トラックの運転手を相手にした素っ気ないドライブインでしたが、暖かいカフェオレとドーナツで生き返った心地…。

 

 

いま思うと、もしタイミングが違っていたなら、あの宿の滞在は楽しいものだったかもしれないのです。巡礼中、クレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプをもらわなかった唯一のアルベルゲでしたが、実はくつろげた宿でした。人数が少なかったせいか、二段ベッドではなくシングルベッドの部屋に入れてもらえましたし、硬さのあるマットレスには清潔なシーツが敷かれていました。4つのベッドの脇にはサイドテーブルと枕元を照らすランプ。そして部屋付きのバスルームにはバスタブがあって、後にも先にも巡礼中のこの1回だけ、お湯を溜めてお風呂に入ることができました。ボタンさえ掛け違わなければ、きっと「ウィキッド」には出会わなかったのかもしれません。

 

隣でコーヒーを飲むジェーンの長袖の袖口から、ちらりと腕のタトゥーが見えました。「見せてもらってもいい?」と素直に尋ねると「もちろん」と彼女。腕に彫られていたのは、なんと、見慣れたホタテ貝の目印や巡礼マーク。「ウソ!?」と思わず日本語が飛び出した私に「だって巡礼が大好きなんだもの」と涼しげに微笑みます。私はひと晩、巡礼好きの「ウィキッド」と一緒に過ごしていたのでした。そう、「ウィキッド」はスラングで「(いい意味で)ヤバイ」「かっこいい」とも使われる言葉なのです。

 

 

(次回に続く)

 

  • MEMO 第11日目 計28.4km

グラニョン(スペイン/カスティーリャ・イ・レオン地方)

ビジャフランカ モンテス デ・オカ(スペイン/カスティーリャ・イ・レオン地方)

 

一面の緑の畑の間の道は、幾度も立ち止まって深呼吸をしたくなるほどの気持ち良さ。カスティーリャ・イ・レオン地方に入ると、国道120号線を走るトラックのクラクションに手をあげて挨拶するのに忙しくなる。その昔、盗賊が巡礼者を襲ったというオカの森の入り口にある小さな村、ビジャフランカ モンテス デ・オカ。王族が建てた巡礼者のための病院を改装した素晴らしい3ツ星ホテルの一画に、巡礼者向けのアルベルゲがある。

 

 

地図イラスト/石田奈緒美

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