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折れない心を作るための小さな習慣ーマイクロ・レジリエンスって?(前編)

5歳のときに右脚の切断手術を受けて、義足生活に。養父からの性的虐待、母親の自殺未遂、貧困……と、困難の多い生活を強いられたというボニー・セント・ジョンさん。しかし、そうした肉体的・精神的難題を乗り越えて、パラリンピックでスキー競技のメダリストとなり、その後はビジネスコンサルタントとして活躍。「全米で最も影響力のある5人の女性」(NBCニュース)にも選出されている。

 

 

そんな彼女が、小さな工夫の積み重ねで心を休め、自分の力を最大限に引き出すための実用的なガイド『心を休ませるために今日できる5つのこと マイクロ・レジリエンスで明日のエネルギーをチャージする』を出版。「身を持って学んだメソッドが全てつまっている」という同作と、その背景にある人生について話を聞いた。

 

 

撮影/堀内亮 取材・文/小林資子

 

 

Bonnie St.John ボニー・セント・ジョンさん

 

Bonnie_photo

1964年11月7日、カルフォルニア州サンディエゴ生まれ。5歳のときに右脚を失い、義足生活に。エリートスキー選手養成校「バーク・マウンテン・アカデミー」を卒業後、84年のインスブルック冬季パラリンピックにおいて、スラロームとジャイアント・スラロームで2つのメダルを獲得。86年、ハーバード大学を卒業。その後、ローズ奨学金を得てオックスフォード大学のトリニティ・カレッジに進学し、経済学位を取得。ビジネスコンサルタントとしてフォーチュン500社の経営幹部や起業家たちにアドバイスすると同時に、テレビやラジオのパーソナリティや会議のファシリテーターとしてキャリアを築く。また、クリントン大統領(当時)からホワイトハウスのアメリカ合衆国国家経済会議における人的資源問題担当ディレクターに任命され、オバマ大統領(当時)の公的な代表団メンバーとして、2010年のバンクーバーと16年のリオのパラリンピックに派遣されている

 

 

人間は悲観的な生き物です。
だから心を鍛えて、楽観性を身につけないと

 

 

片脚切断や性的虐待など、子どものころからさまざまな困難に直面してきたボニーさん。躊躇しながら当時のことを切り出すと、「大丈夫よ。どんどん質問して」と、オープンマインドに答えてくれた。

 

 

「子どものころは、もちろんつらかったですよ。たとえば、当時の義足は装着するだけで痛いし、歩くともっと痛い。あまりの痛さに一晩中泣いたこともあります。でも、そこで『つらい、つらい』と言って過ごしていても何も変わりません。なんとかポジティブに考え方を切り替えて、肉体を鍛えるように、心も鍛えていくことが大事なのだと思います」

 

 

しかし、それは簡単なことではないのでは。

 

「そうですね。肉体のように目に見えることに対しては、こうすればいい、ああすればいいと、比較的ラクに前向きになれるかもしれません。ただ、養父から性的虐待を受けた〝心の傷〟のように、目に見えないし見せたくないものにどう対応して、どう回復させていくかを見出すのは容易ではありませんでした。私の場合は、信頼できる人に話を聞いてもらいながら、繰り返し繰り返し自分の心を見つめ、心を耕し、立ち向かっていく道を切り拓いてきたように思います。今は、夫のアレンが一番の話し相手ですね(笑)」

Bonnie_photo

夫のアレン・P・ヘインズは『マイクロ・レジリエンス』の共著者でもある

 

 

つらくても前を向くことの大切さは、母親からも学んだという。

 

 

「母は心の中にある種の思い込みを抱えていて、いつも闘っていました。ただ、少しでも前を向くために、ポジティブな言葉や本を身近に置き、『今の自分をどうにかしたい』と思っている人々の話し合いの場や講演会に、私を連れて参加していました。そこでさまざまな話を聞けたこと、そして自分が抱えているものに抗い闘う母の姿を見てきたことで、私は『どんな困難に直面しても、自分で(前向きな)選択をして行動すれば、道は必ず拓ける』ことを学んだのだと思います」

 

 

雪の降らないサンディエゴで生まれ育ったボニーさんが、冬季パラリンピックでメダリストとなる過程にも、いくつかの選択と行動があった。

 

 

「第1の選択は、高校時代に友人からスキー旅行に誘われたときに『行く』と決めたこと。第2の選択は、障害者用の用具を借りようと、スキークラブに出向いたこと。第3の選択は、そのクラブで義肢のメンバーがレース(競争)をしているのを見て、『私もやりたい。やるからには勝ちたい』と思ったことですね。義足の私は、それまで学校で何のスポーツチームにも参加できませんでした。

 

 

ところが、この3つの選択のおかげで、スピードを出して走る(滑る)経験や、最初は下手でも、そこを乗り越えればスムーズになるし楽しくなるという経験ができた。これが非常に大きかったですね。そりゃあ最初はくたくたに疲れましたよ、片方の脚しかないのですから。ただ、初心者必修のボーゲンは、左右のスキー板が重なったりぶつかったりして難しいらしいのですが、私は初めから1本脚だから、それがない。ある程度できるようになると、1本脚のほうが簡単よ(笑)」

 

 

いやいや、簡単なはずはないが、とにもかくにも経験を積むうちに「コーチについてきちんとトレーニングすれば、自分はうまくなれる」と自信がついたボニーさん、今度はアメリカ有数のエリートスキー選手養成校「バーク・マウンテン・アカデミー」への入学という選択をし、行動を起こした。

 

 

「学費や寮費に2万ドルかかるのですが、100ドルしかかき集められなくて(笑)。校長先生に電話して窮状を訴えたら、『とにかく来てみなさい』と。最終的には、全額奨学金を得られました」

 

 

それは、ボニーさんの超人的な努力が認められたからにほかならない。

 

 

 

苦労してようやく入学したまさにその日…次のページに続きます。


学校での初日、トレーニングマシーンから転倒して、足首を骨折した。ギプスを付けながら腹筋や体幹を鍛えるトレーニングに励み、6週間後にギプスが取れてみんなでランニングを始めたとたんに、今度は義足が折れた。

 

 

「当時は木製だったので、ボキッと(笑)。そこで初めて気づいたのですが、義肢を付けているのは私だけだったんです(笑)。もちろんすぐに修理に出したけれど、配送ミスでなかなか戻ってこなくて……。そのとき誰かに『もうあきらめたら』と言われました。私は例によって自分の心と向き合い、こんなふうに気持ちを立て直しました。

 

 

――『できない理由』はこれからもたくさん出てくるだろう。退学を言い渡されるかもしれないし、家族が帰って来いと言うかもしれない。でも幸いなことに今は言われていない。アスリートになって、チャンピオンになれるかもしれないチャンスが目の前にある。だったら、『自分からやめるのだけはやめよう』と――。

 

 

自分でやめたら、そこで終わり。でも、自分でやめなければ、思いもかけない素晴らしいことが起こる可能性が誰にだってある。振り返ってみれば、どんな肉体トレーニングよりも、精神的な回復力の方が重要だったと思いますね」

 

 

こうして94年のインスブルック冬季パラリンピックでメダルを獲得――。すごい、すごすぎる。もしやボニーさんは、もともと超ポジティブな性格なのでは?

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雪のないサンディエゴからスキーでパラリンピックに出場するまでに!

 

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メダルを胸に、晴れやかな笑顔

 

 

「いえいえ、著書にも書きましたが、人間は生物として生き残るために、もともと悲観的(ネガティブ)に生まれついています。危険や不快、恐怖や不安を敏感に察知して、すぐさまリアクションしないと生き残れないでしょう? でも、現代社会でこれをやっていたら、怒りを爆発させたりイライラしたり、ストレスをため込んで心が折れてしまう。

 

 

だから、悲観的で落ち込みがちな元の心を鍛えて、前向きな楽観性を身に着けることが大切なのです。これができると、自分がもっているエネルギーや生産性を飛躍的に高めることも可能になりますよ」

 

 

しかも、日々の小さなことの積み重ねで、これを実現するのが「マイクロ・レジリエンス」のテクニック。次回はその詳細を教えてもらおう。

 

 

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