OurAge読者のみなさま、はじめまして!谷口真由美と申します。
大阪在住で大学の先生をしたり、テレビやラジオでお話しをしたりしていますが、ときどき、ラグビーのイベントなんかにも呼ばれることが増えてきました。某サンデーモーニングという番組でも、スポーツの「かぁぁぁつ」「あっぱれ!」と張本勲さんがおっしゃっているスポーツのコーナーでも、ラグビーの話題だと振っていただく機会も増えました。
そんなことから、最近は「なんでアンタがラグビーの話をしてるの?」とよく聞かれます。また、近頃では「人は見かけよね!」とばかりに、昔ラグビー選手だったんでしょ?と言われることもあるのですが、わたし、ラグビーをしたことはないんです。ただ、ラグビー場に住んでいただけなんです。
ラグビー場に住んでいた?なんじゃそりゃ?どこのラグビー場の近所に住んでいたの?なんて聞き返されることもあるのですが、大阪の東大阪市にある花園ラグビー場のなかに、1981年から1991年まで住んでいました。きっと、そんなところに人が住んでいたなんて想像できないと思うのですが、住んでいたんです。
理由は、当時は花園ラグビー場は近鉄という会社が所有していたのですが(現在は東大阪市)、父が近鉄ラグビー部の選手のあとコーチになって、母は父がコーチになるタイミングで頼みこまれて近鉄ラグビー部合宿所の寮母になったのです。その頃、近鉄ラグビー部の合宿所は、花園ラグビー場のメインスタンドの下にありましたので、父と母と兄とわたしの家族4人で花園ラグビー場に移住したのは私が小学校1年生のときのことでした。いま、そのときの話をエッセイにまとめて出版しようとしているのですが、世界を見渡してもラグビー場のなかで育ったムスメはわたし一人だそうです(谷口真由美調べ)。
ですから、「ラグビーのことお詳しいんですね!」とか、「ラグビーお好きなんですか?」と聞かれても困ることがあります。私にとっては、家業みたいなもので、和菓子屋さんのお子さんに「和菓子好き?」って聞いているみたいなもんなんですよ。グラウンドから徒歩10歩くらいのところが自分のお部屋で、お部屋を出たらすぐロッカールームなのでラガーマンがいつも何十人もいて、階段を昇ったらメインスタンドという生活でした。花園にはお風呂がひとつしかなく、国際試合のあとでも、社会人や大学生、高校生の試合のあとでも選手が入るお風呂が、普段わたしが入るお風呂でもありました。
そんなことから、このたび世界にひとりのラグビー場育ちのオンナとして、間もなく開催されるラグビーのワールドカップに向けて、OurAge読者のみなさまに、ラグビーの魅力をお伝えできればと思っております。どうぞ以後お見知りおきを!
イラスト/村上テツヤ