もうすぐ3月11日、東日本大震災が起こった日ですね。
ゆっくりと全てを飲み込み、破壊していくあの津波の映像。さらに追い討ちをかける原子力発電事故の恐怖は忘れられませんね。
当時息子の通っていたアメリカンスクールの親御さんたちも母国の大使館の発する情報にパニックになっていました。「東京が保たない」と即刻帰国をした家庭、父親だけ日本に残しハワイに転居した家庭。日本政府だけでなく、世界から出される情報もかなりいい加減なものがありましたが、当時は何を信じて良いかわかりませんでした。今となっては各国の中でイギリス大使館の特設科学部が発表した「福島はメルトダウン状態、東京にまでは影響を及ぼすことはない」という見解が最も正しかったと言われています。
先日福島県の広野町に講演に伺いました。東京駅から常磐線に乗り、北へ向かいます。途中から海岸線は怖いくらいに真新しい家ばかりに変わります。そして「いわき」に到着。役所の方と車で広野町に向かいました。東京で暮らしていると過去になりかけている震災が目の前に広がります。本当にまだまだ何も終わっていないのだと痛感、自分の認識が恥ずかしくなるほどの現実がそこにありました。
広野町は、福島第1原発の南側、ちょうど20km圏の外側。原発事故後、収束のための中継基地として使用されたJヴィレッジは、20km圏内の楢葉町と、この広野町に跨がって立地しています。
町は2012年3月末に避難指示解除になりましたが町民の戻りは鈍く、小さな商店街に人影はありません。津波に負けないまちづくりとして、土壌全体をあげる大規模工事が続きます。復興のために全国からやってくる工事人口の方が町民よりも多いという状態。広野町は原発ではなく火力発電の町、道一本隔てた隣の原発の町とは事故の保証金額に大きな差が出るなど、町民心理も複雑な問題が山積みだと遠藤町長がお話ししてくださいました。それでも講演に参加してくださった町役場の方たちは皆さん、前向き〜、明るい!元気をいただいたのは私の方でした。