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認知症の老女のひとり語りに、心震える読書体験(前編)/日常の延長線上に「死」があるということ

今、話題の本『ミシンと金魚』
著者インタビュー 永井みみさん

 

 

『ミシンと金魚』著者 永井みみさん

永井 みみ (ながい・みみ)

1965年神奈川生まれ。ケアマネージャーとして働きながら執筆した『ミシンと金魚』で第45回すばる文学賞を受賞

 

あたしはいったい、いつまで生きれば、いいんだろう。
鍵かっこなしの老女のひとり語りがずんずんと胸に響き、いつのまにか物語に引き込まれていく。昨年、すばる文学賞(第45回)を受賞した永井みみさんの『ミシンと金魚』が大きな反響を呼んでいます。この作品の主人公は、認知症を患う「カケイさん」という老女。昔のことは鮮明に覚えているのに、今の記憶はどんどんこぼれ落ちていく。そんな混濁した現在と過去の出来事が、カケイさん独特なユーモラスな口調で語られていきます。行きつ戻りつしながら、しだいに浮かび上がるカケイさんの人生は、痛ましく、壮絶そのもの。

 

自分を介護してくれるヘルパーさんたちを、なぜカケイさんは、みんな一緒くたに「みっちゃん」と呼ぶのか。「ミシンと金魚」とはどういう意味なのか。物語の後半に明かされる秘密に、胸がつぶれるような思いがこみ上げます。
作者の永井さんは、今も現役のケアマネージャー。生々しい介護現場の圧倒的なリアリティーは、その経験から生み出されたもの。今、なぜこの物語が多くの読者を魅了し、感動を生んでいるのか。永井さんご自身にお聞きしました。

 

私も「カケイさん」のように在りたい

 

──昨年、すばる文学賞を受賞したときから、この作品は大きな話題でしたが、2月に単行本が発売されると、続々と重版がかかって、「すごいものを読んだ」「素晴らしかった」「ズシンと来た」「涙が止まらない」など、多くの読者から感想が寄せられて、すごい反響を呼んでいますね。

 

永井 ひょとしたら、この小説は誰にも読まれなかったかもしれません。すばる文学賞に応募するときも、夫に読んでもらうつもりでしたけど、「読まなくてもわかるから」と言われて、誰にも読んでもらわないまま送って。審査で落ちていたら、それっきりでした。本を読むのは労力がいります。電子書籍でも紙の本でも、買って読むまでにはひと手間もふた手間もかかります。ですから、もう読んでくださるだけで、本当にありがたくて、お一人お一人にありがとうございますと言いたい気持ちです。

 

──感想を寄せられた読者層を見ると、この作品は若い世代から中年、介護する世代、される世代と、ほとんど全世代から支持されています。こうしたどの世代にも響く小説体験というのはめったにないことだと思います。

 

永井 この小説には、自分の母や祖母に、言ってほしかったセリフや言葉がけっこうあるんです。たとえば「親には子どもが一生懸命仕事してるだけで親孝行。だから、寂しいからといって、会いにこいとは言わない」という親の美学みたいなものは、今はもう薄れつつありますね。こっちの状況お構いなしで、「いつくる?」って自分の親にも言われるし(笑)。

 

でもカケイさんは、あまり人にすがることなく、自立して、どんなに大変でも頑張って自分でできることをやっている。そういう美学がある方なので、私もそうなりたいと思って、この小説を書いたんです。いろんな世代の方には、そういうカケイさんの生き方に共感していただけたのかな、と思います。

 

「棺桶に片足突っ込んで」はテッパン!

 

──本当にカケイさんは、魅力的なおばあちゃんですね。あれほどの辛い過去を抱えていても、どこかひょうひょうとして、憎まれ口叩きながらも、人間的にかわいい。社交辞令で「お元気?」と聞かれて、「半分、死んでる」「今度会ったら、あらかた、死んでると言ってやろう」とか、思わず笑ってしまいます。こういう言葉は、永井さんご自身が介護現場で聞いてきたことなんですか。

 

永井 はい。介護の現場って、死ぬということがタブーではなくなる世界なんですね。だから「そんなに生き急がなくても、どうせもうすぐお迎え来るんだから」って普通に言っています。「亡くなった連れ合いに会いたいな」とおっしゃったら、「そうだね。もうじき会えますよ」とか。「そんなこと言わないで」とはできるだけ言わないようにしています。現実にもう目の前のことだから、「ほら、そこに旦那さん立ってるよ」とか。「見えないけど」って言われたら「じゃあまだかもしれないね」って。そういうやり取りが普通にある。

 

「片足棺桶に突っ込んでるから」なんていうのは、もうテッパンです(笑)。入浴介助をしてるときに、「ほらね、片足、棺桶に」と、介助される側のお年よりも面白いこと言ってくれので、笑って、和やかになる。つまり、日常の延長線上に死があるということで、老いや死を語ることは特別なことじゃないんですね。

『ミシンと金魚』著者 永井みみさん

 

──なるほど。小説中のユーモラスなやり取りは、実情に近いことなんですね。でも、カケイさんから繰り出されるトークは、圧巻で、あの独特のリズムやグルーブ感に、ぐいぐい引き込まれてしまいます。前に落語やお笑いが好きで、その手法を取り入れたとおっしゃっていましたね。

 

永井 認知症の方は、話してもすぐ忘れてしまうので、ずっと同じことを繰り返し繰り返しお話されるんですが、それを聞いていると不思議なグルーブ感があるんです。同じことを言うのは、お笑いだと “被せ”ですね。認知症のカケイさんの語りは、その被せを使ったら面白いなと考えて。被せを使って面白さが最高潮に達する回数って、どこだろうと。ここでもう一個被せるとつまんなくなる。そのぎりぎりのところを狙ってみたいと。

 

たとえば、登場人物のひとり、「広瀬のばあさん」が決めゼリフを言ったとき、カケイさんがその心の内を代弁する場面。「~と、おもっている。と、おもう」と、同じ言い方を2回繰り返す箇所があって、自分の中ではおもしろいと思ったんですが、2回が限度で、それを3回被せるとつまらなくなる、やり過ぎだなとか。そういうことは、かなり考えながら書いていましたね。

人間、最後に残るのはお金じゃない

 

──あの小気味いい喋りには、そういう計算があったんですね。広瀬のばあさんにしても、遺産狙いの嫁にしても、登場人物一人一人に存在感があって、カケイさんの語りを中心に、みんなの掛け合いがすごく面白い。中でも「ばあちゃん、生きてる?」と訪ねてくる嫁とカケイさんのやり取りは傑作です。どなたかモデルになった方がいるんですか?

 

永井 いるんですよ。似たような方が(笑)。口が悪くて、お年寄りの扱い方もすごく乱暴で、「おばあちゃん、行くよ!」って、首根っこつかまえてズリズリズリみたいな。いや、ちょっと待ってと、こっちはハラハラしどうし。でもね、この人、何かあるとすぐそのお姑さんを病院に連れて行くんですよ。ちょっと肌荒れして、それは買った薬を塗っておけばいいんじゃないのと思うようなことでも、病院に連れて行く。ああ、けっこう根はいい人なんだと思って、その目線で見ると、それまでの行動のつじつまが全部あってくる。乱暴に見えるけど根底では心配しているんだなと。

 

──小説に出て来る「嫁」も、腹黒さ見え見えの感じですが、どこか憎めないですよね。

 

永井 やっぱり、100%悪い人はいないし、100%いい人もいない。人はそのグラデーションで見ていかないと。本当に遺産狙いの悪い人なら、「知らないよ」と放っておけば済む話なのに、あの嫁はなんだかんだ文句言いながら世話しに来ている。やっぱり心配なんですよ。たぶん、あのお嫁さんは、その後も見捨てずに通ってくるんだと思います。

 

──介護現場にいると、そういう人間関係も見えてくるんですね。カケイさんの人生は、読むのもつらくなるほど悲惨ですが、兄貴や広瀬の姉さんなど、人知れず陰で支えてくれた人もいるんだねと、ちょっとほっとします。

 

永井 人間、最後に残るのってお金じゃないですよね。健康でいたいと思っても、身体にガタは来るし、思うようにはいかない。認知症になって、ちょっと怒りっぽくなったりする場合もあるけれど、でも、人柄というのは最後まで残ると思うんです。カケイさんは、自分も他人も突き放してあっけらかんとしているけど、人柄は素直ですごくいい。だから、兄貴も、広瀬のお姉さんも放っておけなかった。たとえ記憶をなくしたとしても、人間には最後まで残るものがあると私は思います。

 

『ミシンと金魚』カバー表1帯ナシ

『ミシンと金魚』
定価:1,540円(10%税込)
著者:永井 みみ

【第45回すばる文学賞受賞作】
花はきれいで、今日は、死ぬ日だ。
暴力と愛情、幸福と絶望、諦念と悔悟……認知症を患う“あたし”が語り始める、凄絶な「女の一生」。選考委員絶賛!圧倒的才能が放つ衝撃のデビュー作。

 

撮影/中野義樹 取材・文/宮内千和子

 

後編に続く>

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