OurAge読者にも多い睡眠の悩み。「ニッポンマダムの睡眠改革」で連載中のヨシダヨウコさんも、実は睡眠に悩むひとりだったそうです。今ではすっかり“眠りのプロ”となったヨシダヨウコさん。誰もが必ずよい睡眠を得られるようになるメソッドを編み出すために毎日奮闘中。彼女がそこまで“睡眠の大切さ”にこだわるようになったのは、ある理由があったのです……。
ヨシダヨウコ/ネムリノチカラ代表、快眠コンシェルジュ
寝具屋の娘として生まれ、心地よい睡眠を幼児期より体験するが、社会人になりたての頃、働きすぎで体調を崩す。また、実母の介護生活からも睡眠の重要性を再認識する。漢方、発酵食、アロマ、呼吸、瞑想、ストレッチなどを取り入れ、日々「質の良い睡眠」を探求しながら、各方面へ発信中。代表を務めるネムリノチカラでは、企業の健康経営セミナーや個人の睡眠相談に応じるなど、睡眠全般についてのサポートを行っている。日本睡眠学会会員。
24歳で前髪が真っ白に
こちらの写真はご両親と祖母、そして一人っ子のヨシダさん。おばあさまは明治生まれでたいへんなご長寿だったそう。小学生の頃は夜8時には寝る生活で、さすが寝具屋の家庭だけあって、しっかりと睡眠をとっていたそうです。
「でも1960年代って多くの子どもたちはそうでしたよね。お店は早くに閉まるし、夜に出歩いてる人なんてほとんどいなかった。その頃の日本人の睡眠平均時間は8時間以上でしたが、ここ50年で約1時間も減っています。特に働き盛りの40代の男女は、推奨睡眠時間の最低限6時間を割る人が半数もいるというのが日本の現状です。私の人生も睡眠時間の量が大きく変化して今に至りますが、眠ることが幸せだということは子どもの頃から実感していたように思います」
その後、ヨシダさんは編集の仕事につき、あまりの忙しさで睡眠時間が3日で2時間ということもしばしばだったとか。
「当時はまだブラック企業なんて考え方はなかったので、働けるだけ働きました。特集ページをもっていて、徹夜は当たり前。印刷所にゲラを渡してそのまま玄関先で倒れたことも。ある日、前髪の一部が白髪の束になったんです。さすがに恐ろしかったですね、まだ24歳でしたから。髪は漢方では『血余(けつよ)』といいます。血が巡って体にいきわたっていないと髪に栄養が行かないのです。あの白髪は、相当なSOSだったのだと思います」
そんな日々が約1年半ほど続きましたが、幸か不幸かその媒体が休刊となり、眠れない日々は一旦終了します。
アロマや漢方、発酵食も勉強してみたけれど……
30代のヨシダさんは、石鹸や入浴剤づくりが趣味に。石鹸を作っては、人に差し上げたりしていたそうです。同時に元々お風呂が大好きで、「カラダを温めるとよく眠れるな」と実感していたのだとか。
「アロマテラピーや漢方、ヘッドスパ、発酵食などに元々興味があって、勉強もしたのですが、結局眠らなければ健康にはなれないとわかりました。人間は食べて、眠って、運動する。この3つが元気に生きていく柱なのです。だけど、睡眠に時間をとることに抵抗がある人がやっぱり多いんですよね。この頃から『どうやったら上手く眠れるのか』ということに興味を持ち、独学で勉強も始めました。日本睡眠改善協議会の認定試験を受験をしようと準備をしていたのですが、母の介護もあり、しばらくは後回しにしていました」
責任ある仕事と母の介護と勉強と
金曜日に仕事が終わって、電車に飛び乗り実家へ。一通りの家事と、母の介護で週末が終わる日々が始まりました。
「月曜日の朝に東京の会社に出勤し、また週末は実家へ。これが約4年続きました。私の2回目の睡眠不足期です。夜中に、母が寝ている1階から物音がすると2階で眠っていても『ハッ』と目を覚まし、慌てて階下へ。そんなことの繰り返しで、かなり眠りが浅かったと思います。仕事も新規の案件をいくつも抱え、リーダーでもあったので責任ある立場。仕事も介護もギリギリで、すべてが綱渡り状態という緊張感の中、とうとうメンタルにも不調が現れ、病院のお世話になることになりました。薬が処方され、効かないと伝えると次のときには倍量が処方される。この時期がもっとつらい時期だったと思います」
疲労はピークに達し、ヨシダさんはとうとう会社に辞める意思を伝えます。
「今でいう介護離職ですよね。でも、人事部長は辞意を受け入れず『どれだけ休んでもいいから、辞めないで』と言ってくれました。それでも私の意志は固かったのですが、それから2週間後に母が亡くなりました。結局、その時は会社を辞めず、50歳までその会社にお世話になりました。
母が亡くなってから介護の時間がなくなり、睡眠の勉強を再開。私の睡眠時間も確保できるようになると、体調もメンタルもあっという間によくなりました。この体験も、睡眠の重要性を自分が実感する出来事になりました」
「眠らなくていい方法」なんてない
現在、ヨシダさんは快眠コンシェルジュとして、眠りの重要性を企業向けに講演したり、個人にアドバイスをしたり、睡眠コンテンツの発信など、精力的に活動しています。東京都が行っているセカンドキャリア塾でも講師を行っており、各所から講演の依頼が絶えないといいます。
「それだけ、多くの方が睡眠に悩んでいるということです。睡眠負債という言葉が登場してようやく、睡眠の重要性に関心が集まり始めました。しかし、日本の睡眠時間は世界でワースト。未だに『ショートスリーパーになる方法はありますか?』と尋ねられる方もいらっしゃって驚きます。睡眠を削るという行為は命を削っているのと同じこと。それをどうしても伝えたい。だからこの仕事を始めました」
忙しい現代人は、時間が足りないと睡眠時間から削る傾向にあります。あるいは、仕事、家事、育児、介護などで、どうしても寝る時間を捻出できないという人もいるでしょう。
「少し発想を変えてもらいます。私のセミナーでワークを行うこともあるのですが、24時間のスケジュールを書いてもらいます。まず起きる時間を決める。次に何時間眠りたいかを決める。7時間ぐらいが理想です。そこからしなければならないことを埋めていく。どこかに無駄な時間(時間泥棒)は必ずあります。例えばスーパーに買い物に行くのをネットスーパーに変えれば、そこで30分ぐらい時間ができますよね。あるいは、家事は朝一気に効率よく行う。夕食のお皿は、思い切ってそのまま流しに置きっぱなしにして朝洗うとか。睡眠時間を増やす方法は工夫次第でいくつか見つけられるんです」
ヨシダさんが考案したリッチ睡眠TIPS101。ライフスタイルにより、快眠の方法は異なるそうで、自分に合った方法を見つけることで、睡眠の質を上げていけるのだそうです。たとえばルーティンを見直す方がいい人、食べ物を変えるのがいい人、眠る環境を整えるべき人、カラダ、あるいは脳の疲れが原因の人など、対処法はさまざま。(詳細はセミナーなどで公開しています)
「そして、日本は欧米に比べて照明が明るい環境にあります。蛍光灯の青白い光は覚醒するので、夕食後の明かりは暖色系の電灯や間接照明に切り変えるのがおすすめです。また、朝陽が入る部屋にはアイマスクを推奨しています」
「いざ眠ろうとするときに『よし、眠ろう!』と思ってもダメ。睡眠は日中の“通知表”のようなものです。1日どのように過ごしたか。それにより、ようやく良質な睡眠をとることができるのです。スケジュールはもちろん、食事の質やタイミング、お風呂に入って体を温めたり、適度に体を動かしたり。
眠るって毎日のことなのに、誰も教えてくれませんでしたよね。みんながみんな我流というか。ですから、私たちのような眠りのプロが日本人の睡眠負債を改善していかなければ。それが私の使命だと思っています」
ご自身の睡眠負債を見事克服した快眠コンシェルジュが教える睡眠術。
ヨシダヨウコさんの連載「ニッポンマダムの睡眠改革」はこちら
撮影/織田桂子 構成/島田ゆかり