水と踊りの小京都 郡上八幡を歩く
後編 郊外編
水と踊りと歴史の町、郡上八幡は、町なかも魅力的ですが、近郊にも見どころがいっぱい。
まずは「古今伝授の里フィールドミュージアム」に行ってみましょう。
古今伝授の「古今」とは、日本最初の勅撰和歌集である古今和歌集のこと。「伝授」とは、歌の解釈を中心とし、関連分野のいろいろな学説を師から弟子へ伝えることです。
この形式を確立したのが、室町時代の武士で歌人の東常縁(とうのつねより)という人物でした。この東常縁をはじめとする東氏一族は、鎌倉時代から戦国時代初めにかけて、このあたりを治めた領主でした。東常縁は、切紙(きりかみ)による伝授方法を取り入れ、古今和歌集や関連するいろいろな分野の学説を連歌師・宗祇(れんがし・そうぎ)に伝授しました。
「フィールドミュージアム」とは、野外博物館という意味。
美しい自然風景の中、およそ2キロに渡り、領主・東(とう)氏の居城であった篠脇城跡(しのわきじょうあと)や、古今和歌集その他の和歌に関する展示品や資料を見ることができる建物などが並んでいます。建物はどれも、水や木々などの風景を生かした現代の名建築です。
ホームぺージはこちらです。
http://www.kokindenju.com/kokindenju.html
とりわけお勧めは、「ももちどり」という名のフレンチレストラン。
フランスの三ツ星レストランで修行を積んだ地元出身のシェフが作るお料理は、美しく繊細なお味です。自然の風景を眺めながらいただけば、心まで澄んで来るようです。
緑に囲まれた素晴らしい建物も見どころです。
ホームページはこちらです
http://www.momochidori.info/index.html
さて、そのお隣にあるのは…。次のページでご紹介します。
古今伝授の里のお隣には、明建神社(みょうけんじんじゃ)があります。
東氏一族はもともとは下総国(今の千葉県)からやってきた、千葉氏の流れを汲む一族でした。千葉氏は北極星(または北斗七星)を神格化した「妙見」という神を氏神にしていたため、東氏も、この地にその神を祀りました。妙見と明建、字は違いますが、読みはどちらも「みょうけん」です。境内では、薪能(たきぎのう)や浄瑠璃も行われます。
次に訪ねたのは、美並(みなみ)という地域です。
こちらは、江戸時代の漂泊の仏師、円空の里として知られるところです。
円空さんの生誕地については、同じ岐阜県内に2か所の候補があります。
ひとつは新幹線の岐阜羽島駅がある羽島というところ。もうひとつがここ、美並です。
それぞれに円空さんの出自についての説も違い、ここ美並では、円空さんは木地師(きじし)の家に生まれたと伝わっています。
円空さんの作品を数多く展示しているのは、美並町粥川(かゆかわ)地区の「美並ふるさと館」です。こちらには、円空仏役95体と美並町の昔の暮らしに関する資料が展示され、なかなか見ごたえがあります。
詳細はこちらです。
http://www.minami-kanko.com/sightseeing/enjoy/post-7.html
美並では、現代の円空ファンによる円空彫りの作品を野外でたくさん見ることもできます。
次のページに続きます。
美並ふるさと館のお隣には、星宮(ほしのみや)神社があります。
唐破風(からはふ)や千鳥破風(ちどりはふ)を組み合わせた屋根の形が印象的です。
ここから少し上流に行くと粥川谷(かいかわだに)というところがあり、そこに世にも美しい滝があります。滝つぼには虹がかかり、それは神々しい眺めです。これぞ本物のパワースポット!
近くにある神明神社にも、怖いほどの神の気配が満ちていました。
またこの地域は「粥川のうなぎ伝説」でも有名です。昔、このあたりには妖怪が住み、村人たちを悩ませていました。藤原少将高光という人が、沢に棲むうなぎの力を借りてその妖怪を退治したため、人々は、うなぎを神の使いとして崇めるようになりました。そのため、この地域では今もうなぎの捕獲が禁止されています。昔は、上から見てもわかるほど天然うなぎがたくさん泳いでいたそうですが、果たして今は、いるのでしょうか?
グルメのお勧めは、次のページで!
グルメの方にお勧めは、郡上からさらに北上したところにある荘川(しょうかわ)のお蕎麦です。荘川は郡上市ではなく、高山市に属します。
地元荘川産のそば粉のみを使い、「挽きたて、打ちたて、茹でたて、ざるのみ」にこだわった香り高いお蕎麦。全国の蕎麦好きがはるばる訪れるそうです。窓から見える山の風景もごちそうの一部かな?
手打ち蕎麦 蕎麦正(そばしょう)の詳細はこちらです
http://www.westsho.jp/syoukawa/sobasyo/
帰りがけには、かの有名な「荘川桜」も見に行きましょう。
と言っても、夏には花は咲いていませんが、樹齢500年の巨樹を眺めるだけでも心癒されます。
昭和35年、「御母衣(みぼろ)ダム」建設により、荘川村(現荘川町)中野地区が水没することになり、同地区光輪寺と照蓮寺の境内にあった老桜も同じ運命になるはずでした。しかし、ダム建設を進める会社の社長さんが、この桜を水没から何とか救いたいと考えました。移植など不可能だという声の中、社長さんの想いを受け止めた多くの専門家や職人たちの力で世紀の大移植が行われ、この2本の桜は奇跡的に蘇りました。
御母衣ダムは、今年は雪が少なかったため渇水気味で、ダム湖の湖底が見えてしまっているところもありました。ここにかつて集落があったのだと想像すると、ちょっと切なくなります。
荘川桜の情報はこちらです。
http://www.shokawa.net/introduction/452
吉田さらさ
公式サイト
http://home.c01.itscom.net/sarasa/
個人Facebook
https://www.facebook.com/yoshidasarasa
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