あけましておめでとうございます、ミーナです。新年にお届けしている、いま輝いている同年代の女性たちの「新しいチャレンジ」のストーリー、2人目は塩川美佳さんです。non-noモデルとして活躍されていた頃、non-no編集部員だったミーナ、一緒にお仕事したことがあります。ナンタケットバスケットの作家としての今のご活躍、すばらしいですね。
新しい世界で、ますますパワフルに活躍する
4人のストーリー
最近、何かに夢中になったことがありますか?
ここでは、さまざまな分野で活躍する4人の、新たにOurAge世代で始めた夢中になっていること、充実の毎日を過ごすための方法などをご紹介します。
今までしてきたこと以外に新しく何かを始めることは年齢を重ねる中でもさらに人生を充実させる秘訣です。ぜひ4人のストーリーからそのヒントを見つけてください!
今回は、モデル・作家&講師として活躍する塩川美佳さんのストーリーをご紹介します。
ナンタケットバスケットに魅了され、
作家活動と講師としての顔も…
塩川美佳さん Mika Shiokawa
profile
1964年生まれ。第12代non-noモデルでデビュー。「心の豊かさがたおやかな美しさをにじみ出す」を信条に、その変わらぬ美しさで、雑誌や広告などで活躍。現在はモデルの仕事と並行して、「Mika ShiokawaNantucket Basket」の作家&講師としての顔も持つ
病気を克服。
命の恩人がこのバスケット作りです
18歳でモデルデビュー。その美貌は衰えることなく、現在に至るまでモデルとして活躍中の塩川さん。その一方で、ナンタケットバスケットの作家・講師としての顔も持っています。
「私がこのバスケットに出会ったのは、40歳を過ぎた頃、2006年のことです。当時習っていたプリザーブドフラワーの先生が製作されていて、お宅に行くたびに作品が増えていました。その美しさに魅了され、もともと手先を使うことが大好きで、特に編み物が得意だったこともあり、自分でやってみたいと思うようになったのです」(塩川さん・以下同)
塩川さんも作品作りに挑戦。そうしてひとつ完成させると、どんどんその魅力に引き込まれ、いつしか夢中に。あっという間に50個もの作品を作っていました。
ナンタケットバスケットは、アメリカ・マサチューセッツ州南東にあるナンタケット島の伝統工芸品。籐のかごというと、カジュアルなイメージですが、その緻密で優雅な容姿は、パーティシーンにも似合う、英国王室からフォーマルな席での使用が正式に認められている唯一のバスケットです。すべて手作りのためとても高価で、オードリー・ヘプバーンやジャクリーン・ケネディが愛用していたことでも有名です。
「使用するのはすべて自然素材。触っているだけで気持ちが落ち着き、製作していると時間がたつのも忘れてしまいます。細かい部分まで丁寧に手作りされた作品は、使って年月を経るとアメ色になり、ますます魅力が深まります。一生ものというより、きちんとメンテナンスをしていけば、時を超えて使い伝えることができるものなのです」
こうしてバスケット作りに夢中になり2年が過ぎた,08年、塩川さんに重篤な病気が発覚。一時は命にかかわる病との闘い。
「そんなときに生きがいをくれたのが、このバスケット製作でした。病棟で夢中になって編んでいると、気持ちが落ち着き、生きる力がわいてきました。つらい治療にも耐えられたのは、これがあったから。本当に私を支えてくれた〝命の恩人〞です」
その後、,09年に病気を完全克服。これを機に、何か恩返しができないか? と考えついたのが、ナンタケットバスケットの作り方を教えることでした。最初は材料費だけのボランティアで始めた教室。
「教えることで、不思議とお友だちの輪が広がっていきました。そのときに知り合った人たちは、今でも大の仲良しです。病気を経験したからこそ、触れられた人のぬくもり。得られたこともたくさんあり、病気も悪いばかりじゃないと、今は思うことができます」
現在はこのときの経験をもとに、紹介者限定で、自宅で本格的に教室を営んでいます。年齢層は小学生から82歳の女性まで。岡山や奈良などからも通ってくる、熱心な生徒さんもいるといいます。
内袋にファーなどをあしらったオリジナル作品も発表。京都の老舗呉服店「總屋(そうや)」に塩川さんの作品が置かれるなど、作家としても活躍しています。
「何かをやりたい…と思ったら、まずやってみることです。やらずに後悔するよりは、まずはチャレンジあるのみ。始めてみれば、そこに必ず何かが見つかるはずです」
次回は、HACCI’s JAPAN 代表 水谷仁美さんの、発想力と努力から生まれたストーリーをご紹介します。
撮影/洞澤佐智子(CROSSOVER) ヘア&メイク/久保りえ(プラス ナイン)
取材原・文/山村浩子