学生時代、まるで我が家のように過ごした親友の家がある。一人暮らしをする兄を除いて、ともに教師として働く両親とまだ中学生の妹、彼女の4人暮らし。気がつけば、家族の一員みたいに、私はいつもそこにいた。
彼女と夜遅く帰った翌朝「あんたたち、いつまで寝てんの!」とお母さんに起こされたことも、彼女がお風呂に入っている間にお父さんが炭酸水から手作りしたハイボールとともに家族の思い出話を聞いたことも、私が先に帰って食事をすませ、彼女を「お帰り」と迎えたことも、数えきれないほど。
そういえば、携帯電話などなかった時代、就職試験の合否を知るための私の連絡先は、彼女の家だったっけ。
コロナ禍で家にいる機会が増えたからだろうか? それによって思考のベクトルが内に向いたからなのだろうか? 最近、私はことあるごとに、あの家で過ごした特別な時間を思い出す。
そしてエピソードをひとつひとつたどるほどに、彼女にも彼女の家族にも、人格形成のうえでどれだけ大きな影響を受けたかを痛感させられている。それなのに、私はいまだきちんとお礼を言えていない…。
そうだ、「原稿」にしてみよう。ふと思い立ち、当時、彼女がいないところで「父ちゃん」が私にしてくれたある話を、改めて言葉に綴ることにした。すると後日、その文章を読んだと彼女からこんなメールが届く。
「あまり上手に生きてきたとは思えない父だけど、この文を読んで『父ちゃんは自分の生きたいように生きてたんや、きっと幸せな人生や』と思えて涙が出た。そんなことを千登世に話してたとは…! いい話を聞かせてくれて、ほんまに、ありがとう」
入院中の父ちゃんに読んでもらうよ。母ちゃんも、とても喜んでたわ…。私から感謝の気持ちを伝えるつもりが、それとは比較にならないくらい、大きく温かい何かをもらった気がして、思わず胸が詰まった。
会いたい人に会えない「今」はいったい、いつまで…? 閉塞感に苛まれているのは私だけじゃないだろう。でも、親友とのこのキャッチボールは、もしかしたら、そんな不安や辛抱が続くときだからこそ生まれたものかもしれないとも思う。
友達や仲間と冗談を言い合ったり、握手をしたりハグをしたり、当たり前だった何気ない触れ合いを奪われたことによって、心の奥からふわんと浮き上がってきたのが、あの頃のぬくもりだったのだ。
時代的にも、年齢的にも、立場的にも、私たちにとってはきっと、今が「好機」。一度立ち止まって、心の深呼吸とストレッチをして、自分という軸を創ってきた出会い、ひとつひとつに思いを馳せたいと思う。
意識的に出来事を思い出す、感情を呼び覚ます。そして、できることなら、言葉にして伝える。すると、また新しい発見が生まれて、絆が深まり、強まるはずだから。
ちなみに、ある話とは「僕はね、以前、生死をさまようほどの大病を経験したんですよ。こうして命があるのは、奇跡。だからこそ今を大切に、家族には全力で愛を注ぎたい。具体的に言葉や行動にしたいと思っているんです」。
引き出しに大切にしまい込んだ出会いという宝物は、年齢や経験を重ねた今、改めて磨き直してみると、無限の価値を秘めていた。気づきの日々は、まだまだ続きそうだ。
写真/興村憲彦