執着するものなど何もないはずという禅の教え「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉から、片づけで物を手放すことへの心得を、曹洞宗徳雄山建功寺(とくゆうざんけんこうじ)住職の枡野俊明さんに教えていただきました。
部屋の乱れは心の乱れ
禅に学ぶ、片づけの極意
禅の教え 本来無一物
人間は何も持たずに生まれてきたのですから、執着するものなど何もないはず。何かを手放すときは、本来の姿に戻っただけだと考えればよいのです。
<心得>
人間は本来、何も持たずに生まれてきた
新しい何かを手に入れるのではなく、手放すことこそが幸せへの道。禅では、そのように考えます。物に対する執着やこだわりを捨て、欲や見栄から自由になる。
不要なものをすべて捨て去ることで、本来の自分が見えてきて、本当に欲しいもの、必要なものがわかるようになります。シンプルで、豊かな暮らしは、そこからスタートするのです。
とはいえ、物に対して愛着があればあるほど、手放すことに不安や悲しみを感じるでしょう。けれど、人間は何も持たず、身ひとつで生まれてくるのです。いわば、物を手放すということは、振り出しに戻るだけ。
さらに言えば、今生(こんじょう)でどんなにたくさんの物を所有していようとも、あの世へ旅立つときは、何ひとつ持っていくことはできません。そう考えると、物を手放すことへの恐怖が少し薄れるのではないでしょうか。
教えていただいたのは
枡野俊明住職
Shunmyo Masuno
1953年生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺(とくゆうざんけんこうじ)住職。庭園デザイナーとして国内外で活躍し、多摩美術大学環境デザイン学科教授も務める。『片づける禅の作法』(河出文庫)、『限りなくシンプルに、豊かに暮らす』(PHP文庫)など著書多数
曹洞宗徳雄山建功寺
神奈川県横浜市鶴見区馬場1-2-1
※毎週日曜7時~8時坐禅会を開催(現在休止中。再開についてはHPで確認を)
撮影/福知彰子 取材・原文/村上早苗