「どうして私たちは、駅のホームで ハンドクリームを塗っちゃうんでしょ うね」。連載の今回のテーマを何にしようかと打ち合わせをしていたときのこと。編集長の口から飛び出した何気 ないひと言に、痛いところを突かれたとうなった。うーん、そうですよね。 どうしてなんでしょう…。私の場合は、 ホームより電車の中が多いのだけれど、 恥ずかしながら、最近ではほぼそれが 習慣になっていた。ハンドクリームな んて、あっという間に塗れるのに、朝 出かける前、その時間がない。でも、かさかさに乾燥した肌もささくれ立っ た指先も、放ったらかしはあまりに恥 ずかしい…だから、駅のホームで、電 車の中で、ささっと。冒頭の言葉に、私の日常を見透かされた気がして、思 わず苦笑いしたのだった。
電車での化粧も飲食も当たり前になりすぎて、「ああ、またか」と誰も気 にとめない時代である。それどころか、 着替えている女子高生を見たとか、脱毛しているOLを見たとか、それでもお酒の席で笑い飛ばして終わるほど、 もはや電車は、何が起こっても驚かない場所になってしまった。だから、ハ ンドクリームなんて、まったく問題ない。誰にも迷惑、かけてないし。いいじゃない、別に。
ところが…? 実は、こんな自分の日常にずっと後ろめたさ を感じていた。出かける前にハンドク リームを塗る「あっという間」さえ確 保できない余裕のなさに対しては、言わずもがな。それだけじゃない。「あ っ、しまった、塗り忘れちゃった」だ ったのが、いつの間にか「電車の中で 塗ればいいか」に変わり、やがて「ハ ンドクリームは、電車の中で塗るも の」という習慣を作り上げていた。家 での時間を電車での時間に置き換えて、 効率がアップしたような気になってい たのだと思う。これは、知らず知らず のうちに自分の中に芽生えていた思考 の「鈍感さ」や行動の「図太さ」みた いなもの。もしかして、このままエス カレートするんじゃないか。この図々しさが、全身に乗り移るんじゃないか。 こうして「中年マインド」ができ上が っていくんじゃないか…そんな心のざ らつきが澱のように溜まっていたのだ。
ふと思い出した。随分前の朝刊で偶 然読んだ小学生の投稿に、女性として の美しい生き方を教わったこと。
「電車の中で、お化粧をするのは、な ぜなんでしょう? 電車の中で、おに ぎりを食べるのは、なぜなんでしょ う? 『私、家で化粧をする時間も、 ご飯を食べる時間もない、ゆとりのな い人間です』と、自ら世間に宣言して いるようなものだと思います。ここは あなたのお家ではありません。私たち はあなたの家族ではありません。絶対 にやめるべきだと思います…」
そしてもうひとつ。以前取材で出会 った、老舗旅館を切り盛りする 70 代の 女将に「朝の時間をけちる人は、一日 を無駄にする」と言われたこと。 「朝の 10 分を惜しんで、ばたばたと出 ていくと、そのばたばたが次の焦りに つながり、連鎖して連鎖して、結局時間に追われる一日になるでしょう? 朝、余裕と自信を持って出かけると、 一日中ゆったりとした気持ちで過ごす ことができる。だから、朝の時間をけ ちる人を、私は信用しないの」
まずは駅のホームや電車の中でのハ ンドクリームをやめることから始めようと思う。習慣が変わると行動が変わ る、行動が変わると思考が変わる、思考が変われば、表情が変わり、見た目が変わる、そう信じて。
写真/興村憲彦