休日だったその日、「私」は早めの夕食作りに追われていた。あれを煮込んでいる間に、これを炒めて。あっ、そうだ、お皿やお箸も並べておかなくちゃ。頭の中で料理の段取りをしながら、まな板に向かっている、まさにそのときだった。カウンター越しにふと、夫がひと言。「ねえ、どうしてそんな不機嫌そうな顔、してるの?」。えっ!? 怒ってもいないし、いらついてもいない、もちろん退屈でもない。むしろ、上機嫌だったんだけど。思わず言い返してはみたものの、よくよく考えると合点が行った。無意識の私の顔は、口角が下がり、ほうれい線も深く刻まれていたのだろう。下を向いていたから、なおさら。それがいかにも不機嫌そうに見えたってこと。ああ、年をとるって、怖い。そう痛感させられた…。と、実はこれ、ある女性に聞いた話。まったくもう、と言いながら明るく話す彼女につられ、私たちは大いに盛り上がった。そして、まわりにこの話を伝えたところ、私も私もと、出てくる、出てくる…。
「私は下り、向こうは上り、長いエスカレーターですれ違っていたらしくて、『すごく疲れてるみたいだったから、あえて見ないふりをした』と友人に言われたの。ああ、声をかけてくれればよかったのに、って」「会社でパソコンに向かっていたときに後ろから声をかけられ、振り返ったら、はっと息をのんで『忙しそうですね、やっぱり後にします』と部下に言われて。ただメールを打っていただけで、全然、忙しくなかったんだけど、ね」「遅刻しそうと、焦って乗り込んだエレベーター、大きな鏡に映った自分を見て『あれっ、どこのおばあさん?』。ショック!」「同窓会で知らない間に撮られていた写真を見て、びっくり。私、本当に不機嫌そうなの!」などなど。大人の女の多くが経験していたのだ。当然ながら、共通していたのは、その「瞬間」、決して不機嫌ではなかったってこと。自分ではそんなつもりなど、まるでなかったってこと…。
年齢を重ねるほどに顔も体も、おそらくそれが引き金となって、心までも下向きになる。上向きに支えていたはずの筋肉が衰え、緩み、しぼみ、たるみ、下がる。すると、表情も姿勢も、結果、雰囲気も、マイナスの感情を語り始める。これが「無意識の不機嫌顔」。
だから、今、改めて肝に銘じたいと思う。化粧品はなしではいられない、美容医療も頼りになるだろう、でも、何より大切なのは、無意識を意識することだ、と。「若さ」に代わるのは「意志」。若さを失ったら、いつでもどこでも、四六時中、上向きでありたいという意志を意識し、きちんと神経の回路に乗せて、表情や姿勢に反映させなくちゃ。とはいえ、決して難しいことじゃない。つねに口角を上げているだけ、たったそれだけでいい。上向きの意志を積み重ねるうちに、顔はやがて上向きを記憶する。こうなったらしめたもの。きっと「無意識の上機嫌顔」ができ上がっているはずだから。
ちなみに私は、冒頭のエピソードを聞いて以来、つねに口角を上げるよう意識している。電車の中で座っていても、スーパーで精算をしていても、いつもいつも。すると…? たまたま取材したエステの施術の最中、エステティシャンから「頰の力を抜いてください」。肌を委ねながらも、無意識のうちに口角を上げていたのである。思わず苦笑、でも同時に、意志が確実に効いているのを実感した。この調子この調子、そう自分を鼓舞する毎日。
写真/興村憲彦