こんにちは、寺社部長の𠮷田さらさです。今回は、現在、東京都美術館で開催中の「没後70年 吉田博展」のレポートをお届けします。
吉田博は明治後期から昭和前期にかけて活躍した画家で版画家です。しかし、どんな作品を残したかを知っている人は案外少ないのではないでしょうか。吉田博の作品は、日本よりもむしろ欧米で人気が高く、故ダイアナ妃も二枚の作品を執務室の壁に飾っていらしたとのことです。どんな経緯でダイアナ妃が吉田博のことを知るに至ったかについては不明な点もあるようですが、ともかく、この芸術家が欧米の人々に好まれているのは確かなことです。
今回の展覧会の展示より。ダイアナ妃の背後の壁に二枚の吉田博の作品、「猿澤池」と「光る海」が飾られています。
わたしが吉田博を知ったのは、今から20年ほど前、寺社を巡る旅をテーマに記事を書き始めたころです。各地の名刹,古刹を訪ねる過程で、「新版画」と呼ばれるジャンルがあることを知りました。「新」というのは、江戸時代の浮世絵に対して、新しい時代の版画であるという意味で、その代表的作家が、スティーブ・ジョブズにも愛された川瀬巴水と、この吉田博です。新版画には著名な寺社を描いた作品が多く、すでに訪れたことがある、あるいは、これから訪れたいと思っている場所がとても美しく描かれていたため、わたしは新版画のファンになりました。江戸時代の浮世絵にも寺社はよく描かれているのですが、新版画に描かれた寺社は、より現在の姿に近い一方で、今とは違う風情も感じられて、何とも言えない懐かしさを呼び起こすのです。ついこの前のようでいて、実は遠い昔になってしまった日本の情景を味わえること。それが新版画の最大の特徴でしょうか。
しかし、当時、川瀬巴水に比べて吉田博の作品を見る機会は比較的少なく、今回の展覧会でようやく数多くの作品を見ることができました。巴水と描く対象が似ていても、まったく違う目で風景を観察して描いたものであることもわかりました。巴水の魅力が抒情性であるのに対し、吉田博の作品の魅力は、光と影の表現の見事さと、自然美の精密な描写だと思います。
雲井桜 明治32年ごろ (福岡県立美術館 展示期間 1月26日~2月28日)
吉田博は、初期には水彩画や油絵を描いていました。こちらは、吉野山の桜を描いた水彩画で、この年に始めて渡米した際にデトロイト美術館に買い上げられた作品と同一の構図です。やわらかな光の表現、微妙な空の色に引き込まれ、自分もこの風景の中にいるような気がしてきます。日本的な雰囲気でありながら、それまでの日本画とは違う手法である点が、西洋人にも理解しやすかったのでしょうか。この最初の渡米以降、吉田博の作品は現地で数多く買い上げられるようになり、アメリカンドリームを実現していったとのこと。
穂高山 大正期
こちらは油彩画です。吉田博は登山が大好きで、版画でもたくさんの高山の絵を残しています。穂高は特にお気に入りで、次男に穂高という名前をつけたほど。わたしたちは、登山をしなくても、テレビや写真で高山の風景を見ることができますが、カラー写真もまだ普及していなかった当時、普通の人が行けない場所の美しさをこれほど正確に伝えてくれる絵は貴重だったと思われます。
米国シリーズ ホノルル水族館 大正14年
アメリカンドリームを実現し、経済的にも豊かになった吉田博は、世界各地を旅しました。大正14年、木版画の画集を作ることを思い立ち、まずはこの作品に始まる米国シリーズを完成させました。大正時代の作品とは思えないほどモダンな構図です。
米国シリーズ ナイヤガラ瀑布 大正14年
水と光が作り出す一瞬の美を見事に描いています。この芸術家の目はカメラよりも正確に自然を捉えることができたのですね。
欧州シリーズより マタホルン山(右)、マタホルン山 夜 (左) 大正14年
絵葉書でもお馴染みの、スイスのツェルマットから見たマッターホルン。同じ版木を使い、色を変えて摺ることで、昼と夜を表現しています。これも、吉田博の作品で繰り返し使われる手法。今ならコンピューターを使えば簡単にできることですが、この当時としては、たいへん先進的なアイディアだったのでしょう。
欧州シリーズより スフィンクス(右) スフィンクス 夜(左) 大正14年
これも、同じ版木で表現した昼と夜。当時、こんなところまで旅していたなんて驚きです。
日本アルプス十二題 穂高山 大正15年
大正15年(1926年)は41点もの作品を作成した奇跡の年。登山が好きだった吉田博は、案内人を雇って山に野営し、高山特有の空気感を描くことに熱中しました。版画は、奥行きや陰影の表現に適さないものかと思っていましたが、吉田博の作品では、遠近感や光と影が、いともたやすいかのように表現されています。
瀬戸内海集 光る海 大正15年
ダイアナ妃が執務室の壁にかけていた作品。日が傾き始めた時刻の光を映す海面の美しさ。こういう色の海は肉眼では見えても、写真でもとらえることが難しそう。吉田博は、見たものを脳内に焼き付けて表現する特殊な能力を持っていたのでしょうか。
瀬戸内海集 帆船 大正15年
朝から夜まで、そして霧が出た時の様子を同じ版木で色を変えて表現しています。
手前の大きな帆船の左奥に小さな帆船があるのですが、それが、光の具合によって見えたり見えなかったり。やはり吉田博の目は、カメラ以上に正確に自然をとらえています。
雲井櫻 大正15年
この展覧会の最初に見た水彩画とほぼ同じ構図の巨大な木版画。こんなに繊細な桜と光がよく版画で表現できるものだと、ため息が出るほどです。
上野公園 昭和13年
吉田博は上京後、亡くなるまで東京で暮らしたため、東京の風景を描いた作品も残しています。これは、上野動物園内に今も残る五重塔です。昔は、こんなに風情があったのですね。
東京拾二題 神樂坂通 雨後の夜 昭和4年
わたしは学生のころ神楽坂通りに住んでいました。今はおしゃれなレストランやカフェが立ち並ぶ街になりましたが、当時は、このような街並みが、少しは残っていたと思います。
関西 猿澤池 昭和8年
日本各地の寺社風景も重要なテーマでした。正確に描かれているので、タイトルを見なくても、「ああ、ここ知ってる」とすぐにわかります。これは奈良随一の名所である猿沢池越しに見た興福寺の五重塔です。絵葉書にありがちな構図ですが、水面に映る建物の影が秀逸で、色使いも一味違ったおしゃれさです。ダイアナ妃の執務室に飾られていた一枚。
櫻八題 川越之櫻 昭和10年
桜の名所、川越の喜多院の境内。昔、この作品を見てここに行ってみたいと思いたち、桜の季節に訪ねてみたら、雰囲気が変わっていなくて驚いた記憶があります。
御室 昭和15年 展示期間 1月26日~2月28日
京都、仁和寺の山門。手前は、今は舗装された幹線道路になりましたが、石段や右手の樹木の感じなどは、今もほとんど同じです。
陽明門 昭和12年
日光東照宮の陽明門。この華麗な建造物の美を完璧に描くため、96回も版を重ねて摺ったとのことです。
印度と東南アジア ベナレスのガット 昭和6年
エキゾティックな国へも旅して多くの作品を残しました。精密に描かれた背景の中、人物が今にも動き出しそう。もしかすると、これが現代のアニメの元祖かも知れないと思います。
没後70年 吉田博展
東京都美術館企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)
2021 年1月26日(火)~3月28日(日)
※観覧予約は必要ありませんが、感染予防のため人数制限を行っています。
東京都美術館では、来館者、スタッフなど、美術館を利用するすべての方の安全と安心のため、「博物館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン(公益財団法人日本博物館協会)」に従い、新型コロナウイルス感染症拡大防止に関する取り組みを行っています。
「没後70年 吉田博展」公式サイト
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