こんにちは。寺社部長の吉田さらさです。
今回は、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館とその周辺の歴史的景観を巡る小さな旅のご案内です。
佐倉市は、江戸時代に建てられた佐倉城とその城下町を中心に発展した街で、国立歴史民俗博物館(通称、歴博)は、その佐倉城の広大な城址の一角にあります。
佐倉=桜ということで、桜の花が咲き乱れる美しい景観が魅力。歴博にも興味深い展示物がたくさんあり、たっぷり時間を取って訪れたいところです。
佐倉には、京成佐倉駅とJR佐倉駅がありますが、今回わたしは京成佐倉駅から行きました。駅前にバス停があり、簡単に歴博に行けます。街をぐるりと回ってみたい方は、レンタサイクルを使うのもよさそうです。
歴博の最初の見どころは、この大きな石仏です。
これは、大分県の臼杵市にある国宝臼杵石仏の中の「古園石仏群」という一群に含まれる一体、大日如来坐像のレプリカです。臼杵石仏が大好きなわたしにとっては、レプリカであっても、ここでこの像と対面できるのはとても嬉しいことです。
初めてこの像を見る人も、その迫力に驚かれるでしょう。臼杵には、このような見事な磨崖仏が何体もあるのです。
さて、館内に入ります。
歴博は国立大学共同利用機関として設立されたもので、研究者のための施設、研究の成果を形として展示する博物館という二つの性質を持っています。日本の歴史、民俗学、考古学に関する展示物が時代別に展示され、ビジュアル的な工夫も凝らされているため、とても面白く見られます。日本列島に人が住み始めたころから現代までの、日本人の営みが目で見てわかるようになっている、巨大なテーマパークのようなところです。
つぶさに見ていたら一日ではとても足りないので、目的を絞って来てくださいと、広報担当の方からアドバイスをいただきました。
今回はまず、開催中の特別展(~2022年5月8日まで)の「中世武士団―地域に生きた武家の領主―」という企画展示を見ました。今年はちょうどNHK大河ドラマで「鎌倉殿の十三人」も放送中で、中世の武士の生活に注目が集まっています。
でも、そもそも「武士」とはどういう存在なのでしょう。
武士とは職業戦士のことです。戦いが仕事の人々が700年もの長きにわたって政治の実権を握り、統治してきました。これは実は、東アジアでも日本だけに特有の現象なのだそうです。
武士は戦うだけでなく、さまざまな経済活動を行って財を蓄え、民衆のための宗教施設なども整えるなど、領主としての役割も果たしました。しかし、地方の武家のことは日本史の教科書にもほとんど書かれていないため、一般にはあまり知られていません。
今回は、石見益田氏、肥前千葉氏、越後和田氏という中世の武士団の活動を中心とした展示となります。専門的な研究資料も多く、やや難しい部分もありますが、大河ドラマでよく見る武士たちが、どのようにして力を持つに至ったかを理解する助けとなります。
紙本著色後三年合戦絵詞 摸本(部分) 東京国立博物館蔵 江戸時代
十一世紀後半に陸奥国で起きた後三年合戦を題材とした絵巻。
最初は十二世紀に後白河法皇の命によって制作されたが、現存しておらず、こちらは後世に作られたものの摸本。しかし、当時の戦闘の激しさが生々しく描かれています。
仏像好きなわたしにとって嬉しかったのは、地方の隠れた傑作仏像を見ることができたことです。武士たちは、民衆の救済を唱える宗教者たちと手を結び、地域の人々に「民思いのよい統治者だ」と認められることを目指しました。それが、仏教が広く地方に浸透して行った理由のひとつです。そのため、この企画展でも、何体かの地方仏が展示されているのです。
佐賀県重要文化財(右)木造持国天立像 (左)木造多聞天立像 円通寺蔵 永仁2年(1294)
佐賀県小城市にある円通寺というお寺に伝わる二天像。
作者の大仏師湛幸は、運慶の四代目の弟子です。
いかにも慶派らしい、勇ましく勢いのある作品ですね。
佐賀県重要文化財 三岳寺三尊像
(右)木造大日如来坐像 (中)木造薬師如来坐像 (左) 木造十一面観音坐像
三岳寺蔵 永仁2年(1294)
上の円通寺の二天像と同じく、慶派の湛幸の作の可能性が高いと言われています。
この三体も慶派らしい雰囲気が伝わるお顔立ちですが、衣の襞やフリルが特徴的。
ランチは、館内の「レストランさくら」で、歴博名物の古代米カツカレーをいただきました。日本人の食生活に関する展示もあるため、それにちなんで、古代米を使っているようです。
午後は、広大な歴博館内の展示を見てまわります。
総合展示はほとんどが時代順になっており、第1展示室から順番に見て行くと、日本の先史時代から現代までの歴史がわかる仕組みです。一般的な歴史の流れだけでなく、その中で日本人がどのように暮らしてきたかが、さまざまな形でビジュアル的に表現されています。
歴史は、人間の営みの積み重ねで形作られるものなのですね。
第1展示室から第6展示室までは、古代から現代までの展示物を歴史順に見られるようになっています。しかし、第4展示室だけは歴史順でなく、「民俗」というくくりになっており、現代のわたしたちの生活スタイルにもかかわるさまざまな展示物があります。広報担当の方のお勧めにしたがって、今回はこちらを重点的に見ました。
残念ながら一部が撮影不可でしたが、デパートで売っている華やかなお節料理や、馴染み深い化粧品のパッケージなども並んでおり、「そうか、わたしたちが今食べたり使ったりしているものも、長い目で見れば歴史の一部であり、民俗学の研究対象にもなるのだな」と驚きます。
もちろん、わたしたちがイメージする民俗学的な展示もたくさんあります。
各地に伝わる魔除けの風習、妖怪伝説など、いろいろ面白い。
これは伝説の生き物、河童です。
子供のころ、おばあちゃんの家に遊びに行った時、近くの川で会いませんでしたか?
達磨さん各種、招き猫各種。今も一般的に家庭に置かれる縁起物です。
もともとは、どんないわれがあったのでしょう。
こちらは気仙沼にあった古民家「尾形家」に関する展示です。
2011年の東日本大震災後の津波によって消失しましたが、大きな茅葺の屋根は残り、その下から、多くの生活用品や部材が発見されました。それらを集めて、造作、構成されています。部屋の奥に、世にも立派なお仏壇がありますね。
こういうものの部材をがれきの山から探し出して再構築された研究者さんたちの努力と情熱に頭が下がる思いです。
東日本大震災前の立派な尾形家。
実際にご家族が暮らされていただけでなく、貴重な民俗学の資料でもありましたが、残念ながら津波によって消失しました。
第4展示室内でも、現在、興味深い特集展示が行われています。
「亡き人と暮らす―位牌・仏壇・手元供養の歴史と民俗―」(~2022年9月25日〈日〉)。日本の一般家庭で、どんなふうにご先祖の供養をしてきたかがわかる展示です。
少し前まではどの家庭にもあった仏壇ですが、近年は、生活スタイルの変化により形を変えてきました。このコーナーでは、地方や時代によってずいぶん形が違う仏壇が展示されています。
家庭で使われる仏具や仏壇に供える造花、供物など。
確かにこの種のものも実家にありましたね。
しかし、これらを使ってご先祖を供養する風習も、やがては廃れて行くのかも知れません。
この特別展示を担当なさっている研究者さんは、造花や供物をご自分で買いに行き、自宅で保管なさっているとのこと。これもまた、その情熱に脱帽ですね。
訪れたのは4月の上旬だったので、歴博周辺には桜が咲き誇っていました。
こちらは、館内から窓越しに眺める満開の桜です。時間があったので、まわりを少し散歩してみました。佐倉城址公園は、広々として自然がいっぱいの癒しの場所です。
城下町の佐倉には、古い時代の景観があちこちに残っています。
こちらは「ひよどり坂」と呼ばれる古径(こみち)で、江戸時代とほとんど変わらない竹林に囲まれています。京都の嵯峨野に似た風景ですね。
この坂を上り切った先に、見学ができる武家屋敷もあります。
国立歴史民俗博物館の探訪と歴史の町佐倉のお散歩。とても充実した一日になりました。
これからの季節、東京近郊で楽しめる場所をお探しの方にお勧めのコースです。
ゴールデンウィークなどに、ぜひお出かけください。
国立歴史民俗博物館の公式サイトはこちらです。
𠮷田さらさ 公式サイト
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