50歳、まだまだ若々しく、美しい妻を亡くしたとき、夫は何を思うのだろう?
大岡大介さんの妻は、80年代から30年にわたり、ファッション・ジャーナリズムの真ん中で活躍したモデルの雅子さん。彼女は4年前、がん闘病の末他界した。
大岡さんは亡き妻・雅子さんが深く関わった人たちに生前の彼女についての話を聞き、遺された雑誌、テレビCM、映画の中に、その姿を追い求めた。
その映像が、1本のドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』となって公開される。
撮影/武重到 取材・文/岡本麻佑
大岡大介さん
Profile
おおおか だいすけ●1971 年6月9日、兵庫県生まれ。監督・プロデューサー。本業であるTBSテレビでの番組制作のかたわら、本作を製作。2000年~2008年、同社映画事業部にて洋画『ハンニバル』(01)『バイオハザード』(02)などの共同出資事業、邦画『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(03)『アフタースクール』(08)などの製作事業に携わる。2006年にモデルの雅子さんと結婚。2015年、雅子さんの他界に際して本映画の製作を決意。
雅子さん
Profile
まさこ●1964年7月30日、東京都生まれ。1984年、19歳でモデルデビュー。20代ではan・an、装苑、流行通信、30代はLEE、クロワッサン、ミセス、40代では家庭画報、美しいキモノ、エクラなどの雑誌やCMで活躍。映画『リング』(98年)で貞子の母・志津子を演じたことも。2014年『雅子 スタイル』(宝島社刊)を上梓。2015年1月29日、希少がん闘病の末に死去。享年50歳。
彼女を亡くして初めて、
モデルとしての雅子を知りたくなった
大岡大介さんは約3年の歳月をかけて、1本のドキュメンタリー映画を完成させた。ヒロインは、雅子さん。
2015年、希少がんと闘った末に亡くなった、彼の妻だ。
雅子さんは約30年という長い間、トップモデルとして活躍してきた。その映像を見れば誰もが『ああ、あの人』とわかるはず。透き通るような白い肌と、まっすぐな瞳が印象的な美しい人だった。
「この映画を作った一番の動機は、僕が、夫婦として共に生きながら、モデルとしての雅子をほとんど知らなかったことに気付いたからです。彼女はどんな仕事をしていたんだろう? どんなふうにキャリアを積んできたのだろう? みんなにスゴイって言われるけど、本当にスゴイ人だったの? って。
知らないことがいっぱいありました。だから、もし自分にその能力があるのなら、過去のすべての時間と場所に飛んでいって、すべての瞬間にいる雅子に会って、『僕が未来で一緒になる人だよ、よろしく、大好きだよ』って言いたい。自分が会っていないすべての時空にいる雅子を、全部独り占めしたい。そういう衝動に駆られたんです」
雅子さんは19歳でモデルデビュー。an・an、装苑、LEEなどの雑誌で長い間活躍してきた。
そんな彼女が病に倒れたのは13年のこと。5月に咳が止まらなくなり、入退院をくり返し、11月になって肺動脈にサルコーマ(肉腫)が見つかった。血液検査でも見つけにくい、10万人に1~2人と言われる希少がんだ。
手術を受け、退院。しかし14年秋に転移が発覚し、再入院。そして翌2015年の1月29日、闘病の末に亡くなった。
大岡さんがこの映画を作り始めたのは、それから間もなくのことだ。
「その年の6月から、まずは雅子をよく知る人たちに、片っ端からインタビューしていったんです。とにかく、何かせずにはいられなかった」
ふたりが結婚したのは、それより9年前の2006年9月。大岡さんは雅子さんより7歳年下で、テレビ局勤務。入社以来、ラジオ、アニメーション、映画製作などの部署を経験した後、現在は朝の情報番組のプロデューサーとして働いている。自分でカメラを回した経験はなかったものの、本作を作る決意をしてから技術を学び、撮影や編集などすべてのプロセスを自分で手がけたという。
「ゼロから映画を作りたい、と思いました。ある意味、唯一絶対の題材に巡り会ってしまったわけですから。しかも全部、自力で作りたかった。カメラの使い方を覚えて、編集ソフトの使い方を覚えて、構成も全部自分で考えて、アーカイブも全部、自分で許諾を取って、とにかく全部自分でやる。製作費用もクラウド・ファンディングとかスポンサーを探すことはせず、自分で出しています。会社からは許可を取って、仕事をしながら、空き時間を使って撮り始めました」
画面には、雅子さんと一緒に活動していたモデルたち、スタイリスト、ヘアメイク、編集者、映画監督、俳優たちが次々に登場する。仕事の場だけでなく、ふだんの雅子さんを知る人ばかり。しっかり者で細やかで、しかもサバサバッと気持ち良い性格の雅子さんの素顔が、懐かしい映像と共に浮かび上がる。その面々が口を揃えて言うのは、モデルという仕事に対して常に真摯に、ストイックに立ち向かっていた雅子さんの姿だ。
「わかったのは、彼女がモデルという〈職人〉だったということです。自分はこんな存在でいたい、こういうふうに撮られたい、と、自分が目指す姿を想定して、それを実現するためにひとつひとつの課題をクリアしていた。スキンケアなのか着こなしなのか意識の問題なのかわかりませんが、そのために毎日毎日、しっかりと生きることを自分に課していたと思います。職人であり、仕事人だった。そう思います」
そんな雅子さんの姿勢は病を得た後、1年と8ヶ月間の闘病期間中も変わらなかった。
「ある意味、意地っ張りというか、かっこつけたところは絶対にあって、周りの人に儚んでほしくない、哀れんでほしくない、という気持ちがあったと思います。最後の最後まで凛として、自分を律していた。それも無理にそうしているわけじゃなく、1日1日をふつうに、彼女らしく、ありのままに生きていたのだと思います」
映画には、雅子さんが亡くなった後の様子も映し出される。印象的なのは、雅子さんが遺した洋服や靴を、親しい友人たちに形見分けするシーンだ。どの服も靴も、きちんと手入れされ、大事にされていたことがわかる。
着る人を失った服や靴たちは、それを着ていた雅子さんを鮮烈に思い出させる。1枚の白いシャツが、まるで抜け殻のように見えてしまう。未来永劫、彼女はもういないのだという事実をつきつけてくる。
「服も靴も化粧品も、存在感がすごいんです。しかも大量に遺されていました。男の僕には、どうしたらいいのかわからなくて。雅子をよく知る皆さんが少しずつ思い出として持ち帰ってくれて、なんていうか、ありがたかったです」
淡々と、静かに、パートナーを失うことがどんなことなのかを、この映画は語りかけてくる。
(大岡さんと雅子さんの日常生活を語った、インタビュー後編はコチラ)
『モデル 雅子 を追う旅』
7月26日(金)から8月1日(日) UPLINK吉祥寺にて1週間限定公開。全国順次公開予定。
配給:フリーストーン
出演:雅子 インタビュー出演(登場順):安珠、田村翔子、藤井かほり、高嶋政宏、中田秀夫、石井たまよ、竹中直人ほか。
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