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吉川千明さん(前編)/美容の世界をあらゆる角度から学び、最高の知識で女性を救いたい

OurAgeの人気連載「ハッピー女神プロジェクト」を執筆してくださっているのは、オーガニックのスペシャリスト、吉川千明さん。「閉経と女性ホルモンが教えてくれたこと」など、まさに私たちの美容と健康の疑問にこたえてくれる記事が人気です。今でこそ、オーガニックを大切にする吉川さんですが、実はここに至るまでにはたくさんのターニングポイントを経てきたのです。前編は、キャリアのスタートのお話です。

吉川千明(よしかわちあき)/美容家、サスティナブルライフ水先案内人
1959年生まれ。自然や植物の力に着目し、オーガニックコスメをはじめ、スパ、漢方、食にいたるまで、ナチュラルで美しいライフスタイルを提案。オーガニックビューティの第一人者として知られる

 

美容とは関係ないキャリアのスタート

実家は、祖父の代から中央区にある鉄問屋だったという吉川さん。隅田川に架かる勝鬨橋の鉄は、吉川さんの実家が卸した鉄で造られたのだそう。大正時代から続く老舗でしたが、吉川さんが25歳の時につぶれてしまいました。

 

「時代は変わって商社の時代になっていましたからね。過去にすがったり、時代を読まないとダメなのだ、とこのときに学びました。この経験は、のちにとても役立ちます」

 

大学生の頃は就職など何も考えず、卒業式にみんな就職が決まっていてびっくりしたというくらい、人生設計がなかったと言います。

 

「それで、友人の紹介でリクルートにアルバイトに行ったんです。人事教育事業部といって、企業研修のトレーナーさんたちを管理するセクション。2年ちょっといたかな。最初は世間知らずで、トップのトレーナーさんが、書類の書き方から何から、手取り足取り教えてくれました。そこに『自ら機会をつくり、機会によって自らを変えよう』というプレートが一人に1個あったんです。これがね、あとで重要になるの。

 

そのあとに、アルフレックスというイタリア家具の会社の設計事務所に入って。美容は全然関係ないでしょ。そこで2年半くらいアシスタントをしてました。当時はお客様向けのプレゼンといっても、雑誌の切り抜きなんかをボードに貼ったりしていたので、私は毎日外国雑誌の切り抜き作業。天井くらいまで高く積み上げられたインテリア雑誌があって、それを朝から晩まで見て、素敵だな、と思う写真を切り抜いてました。名建築に家具の名作など、ものや空間に対する“美意識”のようなものを学んだと思います」

 

美容は、というと、時間を少し遡ります。

 

「学生時代から化粧品がものすごく好きで、“ずっと眺めていられる”という理由から、ソニープラザでアルバイトしていたんです、大学生の頃。誰にも邪魔されず、ゆっくり見たかったから。まだ二十歳そこらなのですが、海外のラグジュアリーブランドのものとかが大好きで、背伸びをして、あれこれ構わず顔に塗ってたんですね。そうしたら、肌がとんでもないことになってしまって。まだまだ必要がない年齢だったのに、最高級のアンチエイジングものを使っていたのだから、肌はびっくりしたのでしょう。それでまわりの人から勧められる聞いたこともないような怪しい(!)アングラなコスメを次々と使ってみるんですが、私が加減を知らなくてやり過ぎてしまうのか、どんどんひどくなっていって。お薬も使っていましたが、それでも良くならなかったんです。化粧品は、何にも入っていないような無香料無着色のものばかり選ぶようになっていました」

 

今の吉川さんからは想像できないような、美容初心者の時代。ところが、吉川さんの「学び力」が目を覚ましたのです。

 

エステの学校からジュリークに出会うまで

設計事務所を辞め、それからしばらくして結婚し、1991年に出産。カメラマンだった夫と、撮影スタジオとスタイリストやヘアメイクのブッキングエージェントを始めます。

 

「設立時は私が社長でスタートしました。でもやっていたことは、子育てや仮払金の精算をしたり、みんなのお世話を。でも『これから先、自分はどうするんだ。人の世話だけでなくて、自分の道も作っておきたいな』って考えたとき、やっぱり美容が一番、化粧品が一番だと気づいたんです。それで美容の勉強することにしたんです。

 

やるのだったら徹底的に頂上を目指した方がいいと助言してくださる人がいて、アドバイス通り学校に通うことに。中央区の佃に住んでいたのですが、銀座に滝川という理美容の世界では大手の会社のエステの学校がありました。子育て中だったけど自転車で通って、朝10時から夕方5時まで、計200時間の授業が毎日毎日あるという、厳しくもレベルが高い学校でした。人材育成に力を入れていて講師陣も超一流。皮膚生理学から解剖学、色彩学、栄養学、アロマテラピー、リンパドレナージュ。当時まだ聞いたこともないタラソテラピーという授業もありました。

 

あの頃は、骨の名前1本1本、すべて言えるほど勉強して、美容の全てを学びました。それから3年の現場での実地をして、講習を受け続け、CIDESCOというエステテシャンの国際ライセンスを取得。エステの国際ライセンスは本当に大変で、勉強をスタートしてから資格取得まで5年の歳月がかかりました」

その学校の栄養学の講師だったのが医学博士で管理栄養士の本多京子先生。ご主人は九段下にあった「ハーバートハウス」というアロマの学校を立ち上げた栗崎小太郎さんで、日本で最初にアロマテラピーを始めた人と言われています。

 

「本多先生が、『うちの主人が“これからはアロマテラピーの時代だ”と大学を辞めてイギリスに留学したの』とおっしゃって、その時にアロマという言葉を初めて聞きました。『アロマって何?』と調べ始めるうちに、人の紹介でニールズヤードレメディーズの梶原夫妻と出会いました。ご夫妻も直々にアロマテラピーを広げていらして、直接授業やお話しを聞く機会に恵まれ、その世界観を知ったときに“香りの世界はなんて素晴らしいんだろう!!これからは、自然の産物の時代がくる!“と直感しました。その頃、我が家は代官山で美容室をはじめていましたが、梶原さんの奥様に講習会をしていただいたり、アロマテラピーは本当に大好きで、すぐに美容室にも取り入れました。

 

ある日、美容の勉強仲間の友人がジュリークの製品をくれたんです。すごくいいから使ってみてって。その頃は、学生時代からの無茶なスキンケアで化粧品が怖くなっていたので、初めてのものを顔に乗せるのも嫌だったの。でも、その人が信用できる人だったから恐る恐る使ってみたんです。そうしたらすごく感じが良くてもうびっくり。クレンジングとトナーと、デイリーエクスフォリエイティングという特殊な洗顔料を使ってみたのですが、かぶれるどころか肌がどんどん良くなっていって。なんだか“肌がうるおって、元気になって、頰に紅をさしたような自分”がそこにいたんです。これがニールズヤードに続く、オーガニックコスメとの出会いになりました」

 

事業は爆発的に大きくなったけれど

自身の肌でジュリークを使い始めて、その良さを伝えたい、とマンションの1室で“一人エステサロン”をスタート。内装から全部手作りで、このときにアルフレックス時代に磨かれた美的感覚が大いに役に立ったのだそう。ところが、お客さんは誰もこない日が続きます。マンションの郵便受けにポスティングしたり、苦戦したそう。

 

「当時はインターネットもSNSもないし。ところがある日、美容ジャーナリストの倉田真由美さんがフィガロという雑誌で取材に来てくれたんです。それは小さな記事だったのですが、それで今度は予約が3ヶ月先まで埋まってしまって一気に忙しくなって、時間も人手も足りなくなることに! そのときにお店を手伝ってくれて、以降約10年サロンを支えてくれたのが、今のTe・Luce(テ・ルーチェ)のオーナー、宮澤輝子さんです。スタイリストの地曳いく子さんはご近所に住んでいたご縁もあって、うちの子どもと遊んでもらったり、家具を買いにつきあってもらったり、東急ハンズに材木を買いにつきあってもらったり、本当にいろんな方々にお世話になりました」

サロンは順調で、3ベッドルームある、大きな場所へ移転することに。

「ジュリークの製品も人気が出ますが、買えるところがないということで、いよいよジュリークショップ青山がスタートします。ところが‥‥」

後編に続きます。

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