18世紀のヴェルサイユ宮殿が六本木に甦る!
マリー・アントワネット展へ
こんにちは小野アムスデン道子です。六本木にある森アーツセンターギャラリーで、2017年2月26日までマリー・アントワネット展が開かれています。ヴェルサイユ宮殿監修のもと、約200点もの肖像画や当時の歴史を語る絵画、書簡、そして宮廷に花咲いた衣装、宝飾品そして家具や食器まで展示されていて見応えたっぷり。特に家具や身の回りの品々とデジタル技術を使っての、王妃のプライベート空間であった「プチ・アパルトマン」の再現は、まるで当時に迷い込んだかのような錯覚を起こしそう。
オーストリアのハプスブルグ家に生まれ、ライバル関係にあったフランスのブルボン家に14歳で嫁いでいったマリー・アントワネット。つまりは、政略結婚だったわけですが、青く澄んだ瞳、バラ色の頬、波打つブロンドの髪の美しいオーストリア皇女は、若きルイ15世の孫であり後に16世となるフランスの王太子の心を捉えたに違いありません。後の過酷な運命を知るよしもない若きマリー・アントワネットの肖像画はどれも輝くような美しさで、本当に池田理代子作の漫画のタイトル『ベルサイユのばら』そのものでした。
ヴェルサイユ宮殿は、パリから22kmほどの距離にあり、広大な庭に今でも鏡の間をはじめ、まばゆいばかりの宮廷文化を目の辺りにできる場所。本展では、そこでフランス王太子ルイ・オーギュストとオーストリア皇女マリー・アントワネットの結婚式の模様を描いた原画に基づいて、王家用の豪華なテーブル飾りを再現しています。それは、まるでテーブルの上に神殿が立っているかのような造りで、床は鏡、そこにドーリア式の列柱を立てたものでした。
そんな豪華な輿入れの後に乗馬や狩りに勤しんで,自由気ままに過ごし、ルイ16世として王が即位した時、王は20歳、アントワネットはまだ19歳だったのです。その後もパニエ付きのドレスに長いトレーンにことのほか愛したという真珠や羽根を飾ったファッションを楽しみ、贅を尽くした家具調度品を宮廷に集めたアントワネット。さらに、王から広大なヴェルサイユ庭園の中に、生まれ故郷のオーストリアを思わせる美しい私的な離宮トリアノンまで与えられていた王妃には、民衆の苦しい生活など思いもよらなかったのは仕方がなかったのかもしれません。
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約550個のダイヤモンドと真珠で作られたこれ以上ないという豪華な首飾りを、伯爵夫人の奸計から王妃が所望したというあらぬ疑いを掛けられた「首飾り事件」。このあたりから運命に暗雲が立ちこめ、雪崩のような革命の動乱に巻き込まれていきます。王妃を何とか助けんとするスウェーデンのフェルセン伯爵との物語は、『ベルサイユのばら』で胸を熱くした方も多いのでは。本展でも暗号を使って2人がやり取りした書簡が展示されていて、多くの人が見入っていました。王妃の首飾りの複製が飾られていましたが、まばゆいばかりのダイヤモンドは複製ながら目を奪われます。
革命によって、国王一家は ヴェルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮に移され、遂にはタンプル塔に幽閉。そして、まずルイ16世が、そしてマリー・アントワネットも断頭台の露と消えたのでした。その時に片方だけ脱ぎ落ちたとされる靴が現在も残って展示されているのには驚きました。最後の最後まで誇りと気高さを失わなかったというマリー・アントワネット。その歴史に翻弄されたかのような物語が目の前に繰り広げられるような「マリー・アントワネット展」。かつて『ベルサイユのばら』に胸を熱くした世代には懐かしくも感じられる、アントワネット役を宝塚の花總まり、フェルセン伯爵を声優の平川大輔が務める音声ガイドもあります。フランスの18世紀の王朝と革命の時代に浸れます。
また、本国のヴェルサイユ宮殿では、2016年9月、アラン・デュカス監修のコンテンポラリーなカフェ「オールOre」がオープンし、話題とか。いつかこちらにも足を運んでみたいです。
※ヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展では、「プチ・アパルトマン」を再現した展示以外は撮影禁止です。この記事の写真は、内覧会で許可を得て撮影したものです。
ヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実
取材協力/フランス観光開発機構 http://jp.france.fr
ヴェルサイユ宮殿美術館 http://jp.chateauversailles.fr