カフェ開業を決めて、看板メニューはパンケーキだわ!とワクワクしていた私。
パンケーキにも王道があるはずよ、きっと!と思い込んでいたのです。
生姜焼きとか、肉じゃがとか、コロッケみたいにさ、
本とかネットをあたってみれば、なるほど、こんな感じねっ、みたいな、
おいしくつくるコツとか、王道レシピがだいだい分かるんじゃないのぉ、と恐ろしく甘く考えていたのでした。
ところが、図書館に通ってデザート本をめくっても、
ネットでしつこく検索しても、
自分でパンケーキを焼いてみても、おいしくできない。
王道とか、コツに出会うことも、ぜんぜんできない。
そもそも、そんなものはないのかも・・・。
途方にくれた私は、こんなときこそプロの力をお借りしよう、と
知人のフードコーディネイターにレシピ開発を手伝ってもらうことに。
私のリクエストは、米粉入りの、ふわっとしてるけど、
ちょっともちっとした食事にもできる甘くないパンケーキ。
ほどなくして彼女が提案してくれたレシピは、なんと50種類以上。
小麦粉と米粉の配合バランスのほかに、卵と牛乳の量、
ヨーグルト入りとか、サラダオイル入りとか、砂糖と塩の加減とか、
レシピのバリエーションは、さらに広がる一方。
プロをもってしても、絞り込むことができない。とほほ。

試作中の何種類もの生地。

配合がわかるように、焼き上がったら付箋をつけて。
でも、とにかく、みんなで(といっても、フードコーディネイターと
スタッフと私の3人)試作しましょう!
頭をかかえていてもしょうがない、実際に作ってみよう!
意外にすぐにおいしくできたりしてね。←と、あくまで楽観的でしたが。
しかし、1日に試食できるパンケーキの量には、限度がある、
そんなには食べられなーい、という当たり前の現実にも気づくのでした。
レシピだけでなく、火加減や大きさ、こげ色、
ふくらみ具合、盛りつけ方も決めなきゃいけない。
試作は続く。パンケーキはどこまでも多様で、
道は果てしなく遠いのでした。くらくら。
ところで、話はちょっと飛びますが、昨年の夏、
アメリカ西海岸のポートランドに旅行したときのこと。
ポートランドは、ここ数年、世界中から注目されている、
おしゃれで、環境にやさしい人気の都市で、
「全米で暮らしたい都市」の上位にくいこんでいるほど。
そのポートランドで、パンケーキって、
こんなにも多様なのだわ、とまたまた認識
させられたステキな出会いがありました。
ポートランドの地元の友人が、
「パンケーキの老舗があるのですが、行ってみますか?
ナオミさんの好みかどうかは分かりませんが」。
「はい!もちろん、行きたいです」と私は即答。
「ほんとうに行きたいですか? 普通の、昔ながらの
パンケーキ屋さんですよ」と友人があまりに控えめなので、
私は、心の中で、期待しない方がいいのかも、と思ったり。

大きな看板が目印。ポートランドにある「パンケーキハウス」本店。

外観もインテリアもカントリースタイルのごく普通のアメリカのレストラン。清潔なオープンキッチンがありますが、パンケーキを焼いているところは見えません。

ウエイティングができるほどの人気。
で、友人が連れて行ってくれたのが、この店!
その名も「パンケーキハウス」。
外観も内装もアメリカのごく普通のレストラン。
ところが、パンケーキがすごい!これ!

名物のDutch Babyというパンケーキ。
エッジがいい感じにこげて、こんなに盛り上がっているとは。
Dutch Babyと言います。
エッジが盛り上がっているではありませんか!
こんなパンケーキ、初めて! なんだか元気いっぱい!
どんな風に焼くとこうなるのよぉ???
そして、このパンケーキが、普通に、昔からある、
というのが驚きでした。やはりパンケーキは、奥が深い!のです。
パンケーキハウスのほかの写真も紹介しますね。

付け合せは、メイプルシロップ、ジャム、粉砂糖、ホイップクリーム、そして、レモン!

ブルーベリーパンケーキは、ひとり分が6枚も!
生地にも、ピッチャーにもブルーベリーがたっぷり。

ベーシックなパンケーキは生地が薄め。でも大きい。

サイドオーダーで、うっかりハムとベーコンをひとり分ずつ頼んだら、このボリューム! なぜ?
話は戻ります。
まだパンケーキレシピは道の途中でありながら、私は、
カフェの玄関用に買った鉢植えのバラが満開になるから!、
という理由で、2008年の5月5日、突然に、しかしひっそりと
カフェをオープンしたのでした。私とスタッフがひとり。
「パンケーキレシピも他のメニューも、少しずつ作りあげていこう!
実践あるのみ!なんとかなるわるよっ!」と前のめり。
オープンしたときのメニューは、数種類のドリンクとサラダだけ。
ご近所にも友人にもまったく宣伝していない。
味にうるさい友人たちにも秘密にしておいた方がいい、という
悲しい状況だったのです。
オープンして数ヶ月、訪れる客は、ほとんどいませんでした。