すっかり寒くなりましたね。何かと忙しいシーズンです。
ついこのあいだ、大好きなイ・ジュンギさんのアジアツアー日本公演で超盛り上がってきました。俳優とはいえK-POPのライブみたいな歌とダンスにノリノリの3時間があっという間♫。翌々日(・・・)に筋肉痛となりましたが(トホホ)楽しかった〜
しかも新作アルバムを買って幸運にも当たった渋谷タワレコでのハイタッチ会に行くことができたのです。間近で輝く尊顔を拝し、勇気を振るって一言話しかけたら優しく返事をしてくれて♥、御手は柔らかく温かく・・・もう舞い上がりました。ファン想いで知られるジュンギさんからの心癒されるクリスマスプレゼントでした(ちょっと早めの)。
だが楽しいことはすぐ終わってしまう・・・次の楽しいことが早く来ないかな~と待ち焦がれる気分です。
ツアーは日本・中国・韓国の7都市を巡るのですが、日本開催でも各国からファンが来たりして、いろんな言葉が飛び交うアジア的インタナショナルな雰囲気があり、こういうの私好きなんですよね。昔から、旅といえばタイやラオス、カンボジアなどの東南アジア、そして韓国・・・というアジア好きな私にはピッタリのライブです。
サッカーに燃える姉妹
ところで、インタナショナルなスポーツといえば、なんといってもサッカーですよね。先日、Jリーグの最終戦間近のサッカー観戦に行ってきました。
私の韓流師匠であるヤスコさんとその妹のヨシコさんはコアなFC東京ファン。ほとんど毎週末、ホームの味の素スタジアムはもちろんのこと、アウェイでも北海道から九州まで28カ所遠征したという達人で、私は彼女たちのことをサッカー・アジュンマ(韓国語でオバサン)と呼んでいます。
世代的にはヤスコさんはコウネンキ乗り切った60代半ば。ヨシコさんはコウネンキ後期の50代後半ですが(バラして御免)、見てみて、この若さと活力!ぜひこのページで紹介したい、と思いました。
もともとはヨシコさんの娘のユミさんがFC東京の石川直宏選手のファンで、母親と叔母がそれにくっついて試合や練習を見に行くというスタンスだったのが、だんだん2人でも欠かさず応援に行く、というスタイルが定着。もう応援歴10年になるとか。このたびは「お友達招待デー」とかで私も連れて行ってもらいました。
さて、味スタ入り口。今日も応援ガンバロー、と気合いを入れる2人。年間入場パスで入り、慣れた様子でさっそく席の確保に。
この日はいつもより混んでおり、試合開始より3時間近く早めに入ったにもかかわらず、センター席はすでに満席で、やや脇のエリアとなりました。
若いユミさんが一緒のときは、立ち席で応援するそうですが、いないときは楽な座り席に、というのは、アジュンマだけにまあ仕方ないか。ユミさん許してあげて。
対戦相手はアルビレックス新潟。試合開始前、2人はFC東京のスターティングイレブンが一人ずつ呼び上げられるのに右手を振り上げて応え、すっかり応援態勢完了。応援ソングもしっかり歌ってました。
開始7分、河野のゴールで先制!
狂喜乱舞するアジュンマ~~!!
しかし、そのあとは新潟のゴールが続き、だんだん表情が難しくなっていく・・・。
ヤスコさん、熱が入るあまりに、「何やってんの、○カ~」「ダメじゃないよ〜」「どうしてそうなるの、まったくもう~」と叫んでいます。罵倒にも聞こえ。えっファンなのに? そんな責めなくたって。負けそうになるといつもこうだそうで。対してヨシコさんはわりと冷静に観戦。
新潟に3点取られた時点で、がっかりした顔も撮っておこうとヤスコさんにカメラを向けたら「あ〜も〜、こんな顔撮らないでよっ」と怒られてしまいました。目一杯、気持ち入れこんでるんですね。スミマセン。結局1対3で東京は負けてしまったのですが、帰路、居酒屋で打ち上げ、一生懸命応援したアジュンマに乾杯。久々にサッカーの試合を観ることができ、ヤスコさん、ヨシコさんに感謝でした。
「ところで、更年期はどうでした?」と唐突に質問してみました。
ヤスコさんは30代終わりに子宮筋腫を取る手術をしており、「更年期が早く来たのでは?」と思って尋ねたのですが、「え~あんまり感じなかった。ただ、汗はかくようになったかな。年取るとだんだん頭から汗かくようになるのよね」。ふーん、そういえばそうかも。
ヨシコさんは、更年期の症状らしきものを「全然感じたことない」のだとか。もともと体育大学出身でソフトボールの選手だったヨシコさんは、スポーツはするのも観るのも何でも大好き。そのほかにも趣味でフラダンスを長年続けており、いつも体を動かしているのが健康の秘訣なのだな、と納得です。
介護と震災をこえて
とはいえ、2人がこれまで順風満帆できたわけではありません。8年前、一人暮らしのお母さんが末期がんになり、ヨシコさんは夫や娘たちと離れて実家に住み込み、ヤスコさんは毎週末仕事が終わるととんぼ返りして介護する日々を約10ヶ月続けたのです。精一杯の介護ののち、愛するお母さんは自宅で2人が見守るなか旅立っていかれました。
しかも、3年前には東日本大震災のため、姉妹の故郷である福島県いわき市は、地震と津波の大きな被害を受けました。小名浜港から400メートルの近さにある実家は流されこそしなかったものの、津波が家のある路地までひたひたと押し寄せました。被災して家を失った親戚もおり、また、今も続く福島第一原子力発電所事故の影響など、故郷から離れているだけに心配は絶えず、しばしば帰っているといいます。
しかし、サッカー・アジュンマはめげません。
お母さんを見送ったとき、ヨシコさんが決心したのは「働こう」ということ。それまで比較的経済的に余裕のある主婦だったヨシコさんでしたが、理容店を持ち生涯働き続けたお母さんの姿に、「私も頑張らなくちゃ。お母さんが見てくれてる」と思ったそう。持前の行動力で即行、仕事を探して働き始めました。
そして、週末はサッカーのサポーターとして奮闘。また、まとまった休暇が取れるときは姉妹で海外旅行・・・と忙しい毎日を送っています。
「スポーツはほんとに心を元気にしてくれるの」という2人。気力も体力も十分!のサッカー・アジュンマの活躍はまだまだ続きそうです。