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そう簡単には痩せられない…

佐々涼子

佐々涼子

1968年生まれ。日本語教師を経て、ノンフィクションライターに。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)、他に『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』(早川書房)など

PHOTO©Hayakawa Publishing Corporation

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ノンフィクション作家・佐々涼子さんの好評連載第3回。とうとうジムデビューした佐々さん!トレーナーについて筋トレをスタートするも、つい"悪いクセ"が顔を出して……

担当トレーナー、ミツシマさんとのセッションは、最初に計測や雑談が入るので、トレーニングをするのは正味45分。ストレッチをして筋トレをするのだ。そういえば有名なパーソナルトレーニングジムのホームページにも、やはり筋トレと食事管理をすると書かれていたのを思い出す。

 

私は学生時代に水泳とスキーというシーズンスポーツをやっていたので、生活に筋トレのある生活は長かった。筋トレは、別に得意でも不得意でもなかったが、わざわざ好きこのんでやるものでもなかった。あくまで競技のために鍛えるものだったし、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、その当時を思い出してみても、筋トレをやって痩せたという記憶はないのだ。

 

もっとも当時は専門のコーチがいるわけでもなく、どこの筋肉を鍛えているなど意識したこともない。学校の校庭でゴムチューブを引っ張りながら、友達と担任にあだ名をつけて笑ってみたり、ウサギ跳びでグラウンド一周して吐きそうになったりと、誰が組んだかわからないメニューを漫然とこなす日々で、生まれてこのかた誰も筋トレをちゃんと教えてくれたことなどなかった。

 

ミツシマさんは、別業界からフィットネス業界に転職してきたという、人とのふれあいが大好きなトレーナーだった。絶対いい人にちがいない。で、話すと本当にいい人だった。

 

とにかく明るく、親身に指導してくれる。「筋トレで痩せるのかな」半信半疑ではあったが、運動不足の私には身体を動かすこと自体が嬉しかった。

佐々さん連載_photo

ホルモンの不調で苦しんでいた頃。血糖値が高く、大貧血。不整脈もあり、医師から再検査を勧められていました

 

彼の功績は、「フィットネスクラブ、こわい」という私に、ここに来る動機を与えてくれたことだ。彼はいつも、おどおどする私のことを、「キラキラッ」という効果音が聞こえてきそうな、完璧な笑顔で迎えてくれた。

 

でも、ひとつ困ったことがあった。
ミツシマさんは姿勢にものすごくこだわっていた。私がスクワットをすると、「んー」と言って私の後頭部とあごに手をやってフォームを直す。もう一度私が沈みこむ。また、「んー、ちょっと頭が」と言って、頭に手をやる。再度沈みこむと、やっぱり頭のポジションが気になるらしく私の頭に手をやった。

 

私は途端に、軽いパニックに陥った。

 

私は、人の顔色をうかがう癖がある。人の目が気になる優等生気質なのである。ミツシマさんの明るく元気な顔が曇っている。なんとかしなくちゃ、と頑張って言われた姿勢を取ってみる。「うーん違うなぁ」と首をひねるミツシマさん。こうかな?と、スクワットで沈み込む私。「まだ首が出ていますねぇ」と、頭を押さえるミツシマさん。「じゃぁ、こうですか?」と私。「うーん」と、ふたたび怪訝な顔をするミツシマさん。

何をやっても姿勢を注意される。太って身体は思うように動かないし、姿勢は不格好らしいしで、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 

トレーニングが終わるころには、「ご期待に添えなくてごめんなさい」という気持ちになってシュンとした。他人を喜ばせるためにやっているんじゃないのに、喜ばせられない自分が嫌だった。

 

今にして思えば、それが私の悪い癖であり、私の病の元凶だったのだ。いつもそうだった。人の期待に応えようとしているうちに、自分の身体に意識が向かなくなり、おろそかにしてしまう。だから仕事の時など、気づくと身体はとっくに限界を超えていて、突然体調が悪くなってダウンしてしまうのだ。

 

物心ついた頃からずっと、誰かの期待に応えることが、限界を超える大きな力となってきた。今まではうまくいってきた。だが、最近の私の不調は、その自分の持っているパターンを捨てる時が来ていることを示していた。

 

「まず、姿勢です」
と、ミツシマさんは言う。うなずく私。でも、何度やってもうまくいかなかった。

 

こんな感じで毎回、姿勢を矯正される。私は彼に頭を押さえられるたびに、ちゃんと教えてくれてありがたいという気持ちになるのだ。だが、肝心の身体はまだ野生を残しているらしく、粗野で野蛮で、撫でられるのが嫌いな行儀の悪い犬みたいな反応をした。

 

身体と心がばらばらで、消耗する。だんだん面倒くさくなってきた。で、結局こうなる。「ああ、カラムーチョが食べたい」

 

食事の写真を撮ってアプリで管理するようにと指導されたので、記録をつけはじめた。しかしなかなか思うようにいかない身体へのストレスで、またカラムーチョを食べてしまったりもした。そして、その事実は隠蔽されて闇に葬り去られた。

 

佐々さん連載‗photo

 

「体重が減ってきませんね」私が笑顔を作りつつ、遠慮がちに首をすくめると、ミツシマさんはちょっと傷ついた顔をして、こう言った。
「僕の受け持ちで8キロ痩せた人がいたんですが、その人の夕食を見ますか?」

 

ぜひ見てみたかった。成功している人はどんな食生活をしているのだろう。
パソコンの画面をのぞき込むと、そこにあった写真に私は衝撃を受けた。
プチトマト数粒に、チーズがひとかけら。パン半分。少なっ!

「正直、これぐらい少食じゃないと痩せないんですよ」
ミツシマさんはこう言った。

 

私は絶望に打ちひしがれた。「こんなの無理……」。厳しい食事制限のあとに何が起こるかを私は熟知していた。何度も、それこそ何度も、食事制限をしたことがある。

 

最初は我慢できるのだ。食事を少なくしさえすれば、みるみる痩せてくる。でも、無理やり押さえつけた食欲は決してなくならず、次第に圧がかかってついには大爆発。のべつまくなし食べまくり、せっかく痩せても、それを超えて増量した。そして、そんなことを繰り返しているうちに、自分の健やかな食欲が次第に壊れていった。

 

おなかが空いたら食べ、適量で満腹になりやめる。
小学生の時感じていたであろう、正しく健やかなその感覚を、私はもう何年も持っていなかった。おなかが空かないし、おなかがいっぱいにもならない。それは思うよりずっとしんどいことだった。

 

ちょっと筋トレをやれば痩せられるなんて、そんなうまい話はないよな。私はがっくりと肩を落とした。やっぱりこんなに食事を制限しないと痩せないのか。私は絶望のあまり、帰りに駅前でケーキを買った。

 

入会してから1カ月経った頃、ミツシマさんが忙しくなった。
「僕、エアロビの大会があるんですよ」「今度会社で研修があるんです」。それで2週連続休みにしたいという。

 

「あの、……振替ができると聞いたのですが……」
私がそういうと、彼は自分のスケジュールが書いてある紙をごそごそと取り出すと、キュートな顔を曇らせてこう言った。
「見てください。僕のスケジュール。ね?忙しいんですよ。僕には奥さんもいるし、ちゃんと休暇も取りたい。これ以上やったら過労死しちゃいます」。と、彼は自分の都合を並べた。

 

トレーナーも働き方改革だ。しかし、今回ばかりはさすがに、<知らんがな>と、心の中でつっこんだ。それは会社に言うべきではないのか。
「でも、長男の結婚式が迫っていて……」となおも言うと、ミツシマさんは、いいことを思いついたと言う風に笑顔になった。

 

「あ、そうだ。吉田に頼みましょう。彼ならなんとかしてくれると思います。聞いてみましょう」
彼は、スイートかつイノセントに、すっぱり私の手を離した。

 

彼の言う吉田とは、もうひとりの担当トレーナー、吉田慎さんのことである。彼はのちに私の人生における三大恩人の一人と称されることになる(2020年5月現在)。だが、当時の私が知る由もない。

 

その夜もまた交感神経と副交感神経がうまく切り替わらなくて、疲れているのにまったく眠れず、『ウォーキングデッド』の推しキャラがゾンビに喰われるまで延々とAmazonプライムを観続けて、明け方ようやく眠りについた。

 

 

(つづく)

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