ジムは担当制を取っていて、私にも栄養士の担当がついた。三番目の助っ人は栄養士の青木海君である。
トレーナーの吉田慎さんも美肌の持ち主だが、青木君もまた、肌のきめが細かい、というより、きめなんか存在しないんじゃないかと思うほどの美肌である。
青木君はこの時新入社員。最初に受け持ったのが私だそうで、例のダイエットクラス専用のショッキングピンクのポロシャツを着て、にこにこして待ち構えてくれているところなどは、まだ学生のようにも見える。
「肌、きれいですねえ」とつくづく感心すると、やっぱりにこにこしながら、肌に必要なたんぱく質の話をされてしまった。彼は山形大学で栄養指導を、筑波大学の大学院で栄養学を学んだ秀才。栄養素がどういう風に体の中で働いているかを研究している。
言わずもがなだが、私たちの体は絶えず新陳代謝を繰り返し、たったの3カ月ですべての細胞がすっかり生まれ変わってしまう。その材料が食べものだから、きちんと食べれば美肌にもなろうというものだ。
ダイエットは本当に難しい。食べなければ、どんどんやせてナイスバディになれるはずだとわれら素人衆は考える。そこでまずは食べないという方法に訴える。
2、3キロならそれでもやせられるかもしれないが、5キロ以上はまず無理。しかも食べない間に代謝が落ちて、ちょっと食べただけであっという間にリバウンドしてしまう。その時には筋肉が落ちて脂肪が増えてしまってシルエットはボヨボヨになる。
ダイエットに際して青木君は「食べるな」とは言わない。「栄養のバランスをよく考えて食べましょう」と言う。ここで強調しておく。「食べましょう」である。
彼の示す基本方針もまた極めてゆるやかだった。
1. 2週間を限度に夜の主食だけを抜く(これはスタートダッシュのため。カロリーを抑えやすく、効果が出やすい)。
2. 体重×30~35kcalが通常のカロリー摂取量として計算。そこから300Kcalを引いた数を目安とする。
(私の場合は標準体重を60kgとして計算。だいたい一日の摂取カロリーの目安は1800kcal。そこから、300を引くので、1500kcal~1600kcalぐらいにすれば体重が減ってくることになる。運動も始めたので、やせすぎたらカロリーを少し多めに取り、変わってこなかったら少し控えめにするか、有酸素運動をプラスする)
3. タンパク質は体重×1g~1.5g計算。つまり一日80~120g。運動の強度が上がってきたら、体重×1.5gまで増やす。タンパク質量についてはアプリで計算する。
4.お酒はなるべく飲まない
5.揚げ物はなるべく食べない
6.食事の写真を撮り、アプリに記録を残すこと。
拍子抜けするほどシンプルだ。最初は「え、ゆるくない?」と思った。
「こんなのでやせられるの?」「糖質全部カットや、月曜断食をしなくてもいいの?」
しかし、この食事指導は結果として私を助けた。
記録しはじめた最初のうちは、私の食事は牛丼だったり、ポテチやケーキだったりした。しかし青木君は厳しくとがめることが一度もなかった。
「僕は、何かを禁止したり、制限する指導をしたりするのは嫌いなんですよね」
しかし、こうも言うのだ。
「やせる人は、トレーナー任せにしないで、主体的に太る原因が何なのかを理解して、食事制限を自分のものにしていく人が多いですね」
彼が、ちょっと厳しめにダメを出すのは「食事を抜いた」時。反対に、うっかり多めに食べてしまったときには、「リカバーできますよ」と、励ましてくれた。
青木君がこんな調子だったので、私は安心して、だらしない食事のときも、きちんと食事をしたときも、淡々と記録していった。そうこうしているうちに、次第に足りない栄養素と余分な栄養素の区別がついてくる。
外食のカロリーと栄養を計算してみると、どうしてもビタミン類が少なく、味が濃い。つけ合わせのサラダだけではビタミンが足りず、主菜の濃い味付けにはびっくりするほどの砂糖と油が使われていることがわかった。
同じカロリーでも、自炊すると満足いくまで、たくさん食べられることにも気づいた。
そのうち不思議なことが起きた。
むくむくと自分を大切にしようという気持ち、いわゆる「自尊心」というやつが芽生えてきたのだ。
今までを振り返ると、自分の中では常に体と心が仲間割れをしていた。心が疲れると、体に不健康なことをする。体が不健康だと心が後ろ向きになるのだ。
ところが体を大切にする食事をすると、体のほうはそれに答えてくれるようになった。ぐんぐん健やかになり、それとともに心もすっきりして理性的な判断ができるようになったのである。
長い間、行方不明だった食欲もまた、きちんと腹八分を守って食べているうちに、ちゃんと戻ってきてくれた。
「おかえり、正しい食欲。今までどこへ行ってたんだよぉ」と、抱きつきたい気分だ。
私は毎朝、小学生の子どものようにおなかをすかせて起きるようになった。
料理は、自分との親密な対話になった。
「何を食べたい?」
自分自身にそう尋ねると、欲しいのは、野菜いっぱいの素朴でシンプルな食事だった。
私は長年、家族の料理を作ってきた。誰かの好みに合わせるうちに、自分は料理が下手だと思い込むようになったが、ふっと、なぜ、自分のための料理に、他人の評価が必要なのかなと、ジャガイモを剥きながら思った。
いいんだ、自分の舌を信じて。そう気づいたら、料理をする時間は、自分との穏やかで、楽しい対話の時間になった。すると、どうだろう。苦痛だった食事の支度も、台所に立っているだけでなんだか幸せな気持ちになったのだ。包丁で野菜を切る音、鍋でお湯を沸かす音、換気扇を回す音すら愛しかった。
そうだよな、なにもレストランで働こうっていうわけじゃない。自分の体にとって幸福なものを作れる私は、私にとって料理が上手というわけだ。
そのうちジャンクフードを食べると、体のコンディションが悪くなるのをきちんと感じ取れるようになった。それは、体が虚弱になったのではなく、きちんとセンサーが働くようになったしるしだ。
変化はそれだけにとどまらなかった。面白いことに食べ物が変わると、その影響は人生全般に及んだ。テレビやSNSなども、いやな気持になるコンテンツは避けるようになり、気の進まないつき合いからは身を引いた。飲みたくない酒を断るようになり、しらふでも平気で宴会に参加できるようになった。
愚痴も悪口もジャンクだ。他人の機嫌に振り回されそうになったら適切な距離まで下がって、快適なスペースを確保できるようになり、思考が整理されて、その結果、部屋がきれいになった。音楽の好みも変わり、暗いもの、落ち込むようなものを聞かなくなった。
自分を卑下しなくなったら、他人のあらについては昔よりずっと気にならなくなった。
当然、つきあいの悪い私からは、離れていく友人もいる。でも、誰かに面倒を見てもらわなくてももう大丈夫だった。自分で自分の機嫌は取れる。そういう自信がついたら、リラックスして、よく笑うようになった。
まるで、体の中にいい風が吹き抜けるようなすがすがしい気分だ。
毎日のように自分がどんどん変わっていく。今までの自分にしがみつかなくなったら、どこへでも行けるような気がした。
そうこうしているうちに、今度は外見まで変化してきた。内面と外見はセットなのだ。
(つづく)
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