Aさん(パートタイマー・59歳)の場合
■38歳:婦人科受診をきっかけに子宮筋腫が判明。ピルで様子を見ることに
■42歳:経血量がかなり増えて生活に支障が出るように
■47歳:開腹手術による子宮全摘出
■50歳:ホットフラッシュなど更年期症状が発症
■51歳:現在のパートナーに出会う
■59歳(現在):更年期も過ぎ、快適な日々
ピルのための診察で筋腫が判明
福祉関係の仕事をしているAさん、子宮筋腫がわかったのは38歳のとき。お子さんたちは長男14歳、次男10歳、長女6歳というまだまだ手のかかる年齢でした。
「当時、次男の少年サッカーの遠征についていくことが多かったんですね。遠征時に生理が重なるのは面倒だな、というのがあって、ピルを処方してもらいたくて近くの婦人科を受診しました。
ところがそこで、こぶし大の子宮筋腫があることがわかったんです。それまで経血量が多少多いかなくらいで、特に不調や異変も感じていなかったので驚きました。
医師には子宮全摘をすすめられたのですが、当時下の子二人はまだ小学生。
ひとり親なので何日も家を空けられなかったし、なんといっても子宮を取ってしまうことに抵抗が大きくて、手術は決断できませんでした」
ピルで様子を見るも、5年目から貧血が重くなり…
ピルで生理をコントロールしながら様子を見る生活を続けていたAさん。でも5年くらいたった頃から経血量がとてつもなく増えてきて、貧血が重症化。
「ピルは28日間飲んで5日空ける、というスパンで服用。飲むのをやめるとすぐ生理がくるのですが、くるともう大変。
1日目にドバッと、超大量の経血が出てくるのです。
もちろんくるのがわかっているからナプキンを当てておくのだけれど、例えば車の運転中にドバッと出てくると、ナプキンで吸収しきれなくて背中までびしょびしょに濡れてしまって。車には常にジーパンやショーツなど着替えを何組か用意しておいて、運転席のシートには普通の座布団+黒い座布団を重ねていました。
ものすごい量のレバー状の血の塊がいくつも出ていくので、貧血もひどくて。
夜中にドバッと感じてトイレまで行くと、もうフラフラでそこから動けない。布団に戻れないからその場で毛布をかぶって朝まで過ごす…なんてこともよくありました。
立って動く体力がないから、台所仕事のときには子どもの勉強用のキャスター椅子に座って、それでキッチン内を移動したりもしていました」
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「失血死レベル」と言われるほどの重度の貧血
貧血があまりにひどいため内科を受診したAさん。血液検査をしたところ、ヘモグロビン数値が5~7g/dL という、超重度の貧血との診断。
「一般的な成人女性では12g/dL以下を貧血、10g/dL以下が要治療らしいのですが、生理時の私の場合はそれ以下。
生理でないときは普通の数値で、生理になるととたんに急降下してしまうので『こんなに急激な下がり幅は失血死のレベル』と医師には言われてしまいました」
実はAさん、ピルの処方で婦人科には通い続けていたものの、処方箋を出してもらうだけで、子宮筋腫について相談することはなかったのだそう。
それもあり、貧血治療の必要性を知る機会が長いことなかったようでした。
当時はさらに、歩行困難の症状も出ていました。
「体が重くて痛くて、普通に歩けないんです。
長い横断歩道だと、青になってすぐ渡り始めても渡り切れなかったり、スーパーでレジからサッカー台にかごを移動させるのも無理。
車で帰宅すると家の中の子どもたちに電話をかけて、荷物を取りにきてもらったりしていました。
でも整形外科を受診しても、骨や筋肉には何も異常はないと言われて…。
筋腫が大きくなるとお腹が出てくることが多いらしいのですが、私の場合はお腹はまったく出なかったので、筋腫が育っていることに気がつきませんでした。
大きくなった筋腫が神経を圧迫して歩けなくなっていたというのは、手術をしてからわかったことでした」
10年目でようやく全摘を決意
Aさんがようやく手術に踏み切ったときには、筋腫の判明から10年がたっていました。
「当時、遠方に住んでいた実家の父が入院することになり、自分の家と父の入院先とを往復することが増えたんです。
なにかあったときにパッと動けないようでは困るから、ということでやっと手術を決めました。
10年もピルでごまかしてきた間に子宮筋腫が大きくなりすぎて、腹腔鏡手術も子宮鏡手術もできないとのことで、開腹手術一択。
摘出した筋腫は3kgもありました。
手術後は、翌日からもう病院内をスタスタ歩けるようになっていて、うれしくてどんどん歩いていたら看護師さんから『ベッドに全然いない』と逆に怒られるほど(笑)。
退院後は貧血もなくなり、体がラクになって普通に生活ができるようになりました。それはもう、人生が変わったといえるほどの快適さでした」
手術から4年後、今のパートナーと出会い、性生活にも問題はないそう。
「私が長らく手術をためらっていたのは、女性性の喪失というイメージのせいでした。
それでも、当時はお付き合いしている人もいなかったので全摘という選択をしましたが、ご夫婦だったりパートナーがいる方は、全摘に踏み切るのはより大きな決断だろうと思います。
でも、個人差はあると思いますが、実際にはそういうことはまったくありませんでした」
手術から12年たった現在、途中で更年期症状の治療などを挟みながらも、現在はそれもなくなり、快適な日々を送っています。
「手術後に体調が回復してから、子どもたちは以前ほどはいたわってくれなくなりましたが(笑)、私が元気になってほっとしたと思います。
手術前には生理用品代が1回で5000円以上かかっていて、それも痛手だったので、『なぜもっと早くやらなかったの!?』と当時の自分には言ってあげたいです」
取材・文/遊佐信子 イラスト/本田佳世