15年前に出版された小さな本がこつこつと売れ続け、ロングセラーになっている。
「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの童謡を作詞した、まど・みちおの『いわずにおれない』。
当時96歳だった詩人への連続インタビューと、2000を超える作品の中から厳選した詩、まどさん自ら描いた抽象画からなる。
子どもから大人まで幅広い世代に愛されている本は、どのように生み出されたのか。聞き書きをしたライターの細貝さやかさんにうかがった。
童謡「ぞうさん」の詩人、まどちおさんの言葉、詩、絵。
時を超え、私たちに伝えてくるメッセージとは!?
――『いわずにおれない』刊行の経緯を教えてください。
「まどさんに初めてお目にかかったのは1992年。
その秋に出版された『まど・みちお全詩集』(理論社)にからめて、当時、書評欄を担当していた集英社の女性誌で取材させていただいたんです。
〈ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね〉〈しろやぎさんから おてがみ ついた〉と子どもの頃から歌ってきたけれど、童謡以外の詩は知らなかったので、衝撃を受けました。
ひらがなとカタカナだけの平易な言葉で書かれた短い作品ばかりなのに、驚くほどの深さと広がりを秘めているんですから。
その後も何度か、新しい詩集が出たときにお話をうかがい記事にしていたところ、それを見た木造さんという書籍の編集者が『まどさんにじっくりとインタビューして本をつくりたい』と声をかけてくださって。
2005年の早春から月に1、2回のペースで取材を重ねていき、まどさんが96歳になった1カ月後、12月に出版できました」
100歳近くなるまで、ほぼ1日おきに郵便を出しがてら近所の散歩を楽しんでいたまどさん。
「毎日のように新発見に出合いますよ。見慣れた景色だと思っていても驚くことばかり。1日として同じじゃあないんです」
――まどさんのお話のエッセンスとも言える7つの章題が印象的です。
〈ぼくがボクでいられる喜び〉〈一匹のアリ、一輪のタンポポにも個性がある〉〈身近にある物たちも、いのちのお母さん〉〈宇宙の永遠の中、みんな「今ここ」を生きている〉〈言葉で遊ぶと心が自由になる〉〈体って不思議。老いだって面白い〉〈生かされていることに感謝〉。
「まどさんは、ありとあらゆるものを詩にしています。
象、キリン、蚊、ノミ、ミミズ、リンゴ……すべての命を人間と同じ重さで見つめながら。生き物だけでなく、ちびた石鹸や漬け物石といった無生物の詩も多い。
オナラや鼻クソ、老化による物忘れについてユーモラスに謳ったかと思うと、時間や引力、宇宙の深淵をテーマにした作品もある。
1度、ご自宅の近所を散歩するまどさんに同行させていただいたんですが、驚きと発見の連続でした。
靴紐にしがみついた蟻が道路に降りるまで動かず観察していたり、道端に生えていた紫蘇の茎の切り口が丸ではなく四角だと教えてくださったり……。
『限りある人間の能力じゃとても届かんぐらい、すべての存在が不思議で複雑精妙で珍しい』という言葉が、今も忘れられません」
この詩は「アリの命を言葉で写生しようとした」ものだそう。「小さな体でキビキビと一心不乱に働いているアリが、私には命の塊のように見える。命の不思議さ、まぶしさ、激しさを感じる」。すべての命を人間と同じ重さで謳っていたまどさんには「カのオナラ」という詩もある。
1994年、まどさんは日本人として初めて「児童文学のノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞に輝いた。当時、皇后だった美智子さまが、まどさんの作品を自らセレクトし英訳した『THE ANIMALS どうぶつたち』(すえもりブックス)という本で、その詩の魅力が世界に伝わったおかげでもある。
――聞き書きの場合、ご本人の語りだけで構成されることが多いですが、この本にはインタビューの際に細貝さん自身が感じたことも書かれていますね。
「取材時の表情や話しぶりなども入れたほうが、まど・みちおという詩人の本質や魅力を伝えられると感じたからです。
それに、まどさんはあきれるほど謙虚で、ふた言目には『こんなグータラでインチキなモーロク老人じゃ、なんのお役にも立てない。すんません』とか『同じことしか話せないので、もう放免してください』なんておっしゃる。
特に、第二次世界大戦中に戦争協力詩を2編書き、戦後それを忘れていたことを猛烈に恥じていらした。だから、ご本人の語りそのままだと、『すんません』が6割ぐらいの本になっちゃう(笑)。
『いわずにおれない』というタイトルだけ見て、お年寄りが上から目線で文句を言ってる本じゃないかと敬遠する方もいるようですが、それは違います。
自分は弱くて愚かな人間だと自戒し続けながら生きてきた謙虚さの塊のような、でも人一倍不思議がりで感動屋の詩人が、日々の生活の中で見つけたり気づいたりしたさまざまな素晴らしさを『言わずにおれなくなった』のが、この本に収録した詩と言葉なんです」
この本にはまどさんの絵も。まどさんがよく描いていたのは抽象画。右の「ぞう」のような具象作品は少ない。抽象画は「この世界で視覚が『名前』と『読み』と『意味』から自由になれる唯一の世界」だから好きだと語っていたそう。
――まどさんは100歳を過ぎても詩作を続け、2014年に104歳で亡くなられたそうですね。もしご存命だったら、今の世界を見てどんなことをおっしゃるでしょう。
「15年前、環境破壊が進んだりテロや内戦でたくさんの命が失わたりするのを嘆きながら、こんなことをおっしゃっていました。
『人間っちゅうのは、もう無限に便利でラクで自分が気持ちいいようになってほしいと考えるけれど、このままだったら自分たち自身を、そして地球のすべてを滅ぼしてしまうかもしれません。
自分が目先のことしか見えないちっぽけな存在であることを肝に銘じておかなければ』
『私たちは自分が食いしんぼうなのは心得ていても、隣の人やほかの生き物もそうだっちゅうことは忘れてしまう。それをちゃんと覚えておったら、この世に中はずいぶんよくなるのに』。
そんな言葉にハッとさせられると同時に、まどさんの語りには、私たち誰もがかけがえのない存在なのだと思えてうれしくなるような力がある。
コロナ禍や災害の激甚化もあって暗い気持ちになりがちな今だからこそ、この本を手に取っていただけたらと思います」
いただいたハガキや手紙の一部。ちょっと震える字でしたためられた文章も、まどさんらしく謙虚でユーモラス。細貝さんは宝物として大事にしているそう。
★『いわずにおれない』(集英社) 詳細はこちらから。