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突然の死の直後、葬儀もお墓もない、本人が望んだ送りかたを迷いなく選んだ。夫・水野誠一さんが語る、木内みどりさんの「あかるい死にかた」(前編)

2019年11月18日、木内みどりさんの突然の訃報は、大きな衝撃だった。
まだまだ若い、60代。出張先での突然死。
ひまわりみたいな笑顔しか浮かばない、
元気で明るいイメージの彼女が、突然この世を去るなんて。
遺された家族は、その死をどう受け止め、どのように送ったのか。
木内さんの思い出とともに、生涯のパートナー、水野誠一さんに、話を伺った。

 

みずの せいいち●1946年生まれ、東京都出身。株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役。株式会社西武百貨店社長、参議院議員、新党さきがけ政策調査会長などを務めた

 

10年前から言っていた、「私のほうが、あなたよりも先に」

「その前日、僕は出張で上海に行っていて、夜の飛行機で帰ってきたんです。夜中に家について、翌朝起きて、仕事があるので会社に行く準備をしていたところに、電話がかかってきた。みどりが亡くなった、と言うんです。言われた瞬間はもちろんたいへんなショックだったけど、それと同時に頭の中のどこかで〝ああ、やっぱり〟と思いました。彼女は10年ほど前から常日頃、『あなたより先に私が死ぬような気がする』と言っていたから。ああ、現実になってしまった、という思いがありました」

 

木内さんが愛用していたスニーカー。これを履いてどこにでも行った。最後に出かけた広島への出張は、片道のまま、永遠の旅となった(撮影/田村玲央奈)

 

 

木内みどりさんと水野誠一さんは1988年、木内さんが37歳のときに再婚。映画やドラマで活躍するだけでなく、『天才たけしの元気が出るテレビ』のレギュラーなど、大忙しだった時代だ。翌年、長女頌子さんが誕生している。
「彼女はまったく女優らしくない人で、有名人らしいことが大嫌いな人でした。僕が西武百貨店の社長をしているときも、サロペット姿で子どもを小脇に抱えて店に現れては、忙しいものだからぱぱっと買い物だけして、とっとと帰ってしまうような、そんな人でした」
30年を超える夫婦の暮らし。息の合ったふたりの間には会話も多く、その中に自然に、前述の『私のほうがあなたより先に』という言葉があったという。
「彼女の父親は、病院に入院中の事故で亡くなっていますし、僕の母親もある日突然救急搬送されて、間もなく亡くなった。彼女の母親も入院して10日も経たずに旅立っています。みんなさほど長患いせずに、世間で言うところの“ピンピンコロリ”で亡くなっていて、子どもたちにまったく迷惑かけない、理想的な死にかただねって話をしていました。彼女は実際、40代で尊厳死協会に入会していますし、僕自身も入っています。遺書もずいぶん前から書いてありました。死というものに対して、覚悟ができていた、ということですね」

用意されていた遺言状。白洲次郎氏にならい、葬式も戒名もなし。散骨は緑豊かな山中で

遺言状というのも、1枚の白い紙。書かれていたのは、次のような言葉で始まる20行足らずの走り書き。始まりはこうだ。

 

死にそうになったら

延命治療なし

人工呼吸 ×

死んだら 読経・戒名なし・・・(後略)

 

延命治療はしないこと、死んだら読経戒名なし、葬式もなし、遺骨は墓に入れずに散骨すること、と、めっぽう潔い。語りかけるように軽やかに、それでいてきっぱりと書かれている

 

「実は僕の姉が、白州次郎さんの長男に嫁いでいるんです。白州次郎さんの『葬式無用、戒名不用』という遺言はとても有名ですが、みどりも僕も、こういうシンプルなスタイルでいこうと、それは決めていたんです。
連絡を受けた当日、私と娘で広島までみどりを迎えに行きました。そしてその翌日、現地で火葬にしてもらいました。死に顔をみんなに見せるなんて絶対にいやだ、と、みどりは言っていましたからね。私と娘と駆けつけてくれた友人と4人、近くの居酒屋で食事して、それが通夜。翌日我々は火葬場に行き、旅先で平服のままなので周囲からは浮いていましたが、骨になった彼女を連れて東京に戻りました。

みどりは好きな仕事をして、打ちあげで楽しく仕事仲間と会話して、散歩しながらホテルに戻り、お風呂に入ってからの突然死(急性心臓死)です。これこそきっと、彼女の理想としていた死にかただろうと、なんとなく娘も私も、納得しました」

原水爆反対のために作られたキャサリン・ハムネット(英国人ファッションデザイナー)のTシャツで。彼女とはロンドンで出逢い、親交を深めていた(撮影/田村玲央奈)

 

 

死にかたが明るければ、送る方がメソメソしてもしょうがない

実際に、仏事は一切なし。木内さんが敬愛していたダライ・ラマ法王を通じて学んだチベット仏教の教えによれば、人は誰でも49日過ぎれば輪廻転生できるという。そのためには、スッキリとこの世に未練を遺させずに送り出さねばならない、とも。それを受けて、「死を単なるこの世からの消滅と捉えるのではなく、再生のための旅立ちと捉えたい」と水野さんは受け止めている。

 

遺言によれば

「家族、友人知人のみで

自宅で おいしいつまみ、おいしいお酒、

好きな音楽かけて送り出してほしい」

 

とあった通り、数日後に自宅で小さな集まりを開いた。ただ、多くの人が木内さんのことを語れる場を求めていたこともあり、「木内みどりさんを語りあう会」「木内みどり お別れの会」を、2020年2月13日に行った。

水野さんによれば「ひとつだけ、本人の遺志に反した」というものではありながらも、笑顔に包まれた会場を見て、「みどりもきっと許してくれたでしょう」と振り返る。

 

 

「木内みどりさんを語りあう会」で、娘の頌子さんと。桃井かおりさんらが会で語られた言葉も、後述の本に収められている(撮影/田村玲央奈)

 

 

 

散骨の場所も、本人が気に入っていた、緑豊かな、とある山の中。
「真っ白な骨の粉を大自然の中に撒かせてもらいました。旅行好きで、それまでに69ヶ国を訪れていた彼女の骨は、風に乗って、世界中に飛んで行った。後には何も残さない。これが、彼女の死生観なのだと思います。シンプルです。これはひょっとしたらこれからの日本人にとっても、ひとつのサンプルになるんじゃないでしょうか」
そういう思いから水野誠一さんと娘の頌子さんが協力して世に出したのが、『あかるい死にかた』という本だ。木内みどりさんが生前書いたエッセイやイラスト、水野氏、頌子さん、親しい友人たちのコメントがまとめられている。一冊を通して彼女の生きかた、そして死にかたが、生き生きと浮かび上がってくる。

水野さんは言う。
「死にかたが明るければ、送るほうがメソメソしても、しょうがないんですよ」

 

 

「彼女の理想の死にかたでした」。そう言えるのも、長い間二人で話しあい、信じ合っていたからこそ。水野さんと娘の頌子さんの決断に迷いはなかった

 

 

木内みどりさんは、いったいどんなふうに生きて、こんな「あかるい死にかた」にたどりついたのだろう? 水野さんのお話は。後編に続きます。

 

木内みどり きうちみどり●1950年生まれ、愛知県出身。劇団四季を経て女優・タレントとして活動。1988年、水野誠一氏と結婚。東日本大震災以降、脱原発集会の司会など積極的に社会・政治問題に関わった。2019年11月逝去

 

『あかるい死にかた』(集英社インターナショナル 本体1700円+税)

 

(後編へ続く 取材・文/岡本麻佑 撮影/露木聡子)

 

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