10代の頃の夢が50歳でついにかなった!
1983年に化粧品会社のコーセーで社内ベンチャーという形で、プロを育成する「ザ・ベストメイキャップ・スクール」を開設しました。その2年後の1985年、スクールの場所を八丁堀から渋谷に移転してすぐにうれしい出来事がありました。
運とご縁に恵まれて、東京・青山劇場のこけら落とし公演の大舞台に登場する、70人を超えるキャラクターのヘアメイクを担当することになったのです。これには私をはじめ、スクールのスタッフや学生たち総出で当たりました。
私は10代のときに演劇にのめり込み、舞台のメイクの仕事をしたいという夢があり、ずっと抱き続けてきました。まさにその夢がかなったのです。1985年、私が50歳のときです。
※10代の頃の話は第5回参照。
そしてその年に社内初の女性取締役に就任。6年後の1991年、56歳のときにコーセーを円満退社しました。
退社した年に「美・ファイン研究所」を設立。「美しい顔・からだ」と「輝く心」を社名に表現し、私が生み出した「ハッピーメイク」のテクニックを美容ビジネスや教育など、さまざまな場面を通じて提供する会社を発足したのです。
その後の1994年に、プロを育成する「フロムハンド小林照子メイクアップアカデミー(現フロムハンド メイクアップアカデミー)」を設立。これは私を理解してくれる同志と共同で起こした会社です。
「フロムハンド」では、メイクアップやエステティックの理論と技術だけでなく、美容業界のマーケティング、ネイルアートやセラピーの技術研究などの授業も盛り込みました。写真はその授業風景です。
一般的な美容学校を卒業すると美容室に就職するのが通例でしたが、「フロムハンド」の卒業生の就職先は、化粧品メーカー、広告、マスコミ、ファッション、ブライダル業界とジャンルは実にさまざまで、仕事の舞台は日本にとどまらず世界に広がっています。
私が舞台メイクをする人になりたくて上京した当時は、メイクを勉強する場所がありませんでした。30代からは、美容やメイクのことを総合的に勉強できる学校を作りたいとずっと思っていました。コーセー社内で設立した「ザ・ベストメイキャップ・スクール」に続いて、「フロムハンド」でも、この夢もかなえたことになります。
夢は諦めなければ、必ずかないます。夢を口に出して、努力を続けることが重要です。
私が目指すのは「アート&ビジネス」。お金をもらうプロを育成することです
私はプロを育成するうえで、いつも言っているのが、お金を堂々ともらえるプロになってくださいということです。
日本人はお金の話をするのは「はしたないこと」と思う人が多いようです。なかには、「お金のためにやっているのではない」と、それがさもよいことのように口にする人もいます。
働くことは自分の価値や技術をお金に換えるということです。プロのスキルを持っているのなら、それに見合う値段があるはず。もちろん最初からボランティアで参加している場合は例外です。
「交通費とお弁当が出れば満足」といった、中途半端なプロになってはいけません。そのためには、自分の価値を堂々と言えるような、本当のプロのスキルを身につけなくてはなりません。一度、その技術を習得したあとも、常に知識と技術を更新し続けることが必要です。
「この人に仕事を頼んでよかった」と言ってもらえるプロになってほしい、そんな思いでスクールを運営しています。
そして、1997年、62歳でリバイタライズサロン「クリーム」を設立。これは「美・ファイン研究所」の長年の経験を結晶化させたリラクゼーションサロンで、実際の空気感、肌感、声を聞く現場としての役割もあります。オープン以来、高い技術とホスピタリティで芸能人や著名人の方にも愛されています。
そして、2010年、75歳のときに「青山ビューティ学院高等部東京校」を開校。写真はその学校のポスターです。
ここでは、トータルビューティの技術、高校卒業資格、それに希望者には美容師免許の3つが取得できます。現代の子どもは早熟化していて、オリンピックでも15歳でメダルを取る時代です。メイクや美容にいち早く興味を持つ若い才能を育てています。
若い人と接していると、時代の違いを感じます。私の若い頃の憧れは欧米の文化が主流でしたが、今の高校生の興味は、メイクもスキンケアも日本と韓国です。アジアの時代であることを実感します。
年齢を重ねても、常に時代をとらえて先取りする感性はとても大事です。「自分が若い頃はこうだった」と自分の価値感を押しつけていると、「ふと振り返ったら誰もついてきていない」なんてことになりかねません。
人には誰にもやるべき「天命」がある!
一方で、私にもお金を抜きにして行ってきた活動があります。それはエンゼルメイクです。エンゼルメイクは亡くなった人に施すメイクのことです。
この活動では、看護師さんに亡くなった方へのメイク方法を教えるとともに、必要なメイク道具一式を詰めたBOXを提供しました。写真はメイクの実演風景です。
道具調達にはさまざまな支援をいただきました。最初は無料で行っていましたが、その後は有料のセミナーになったのですが、看護師さんたちは全国から来てくださいました。エンゼルメイクの活動は、多くの看護師さんや病院に理解されて普及していきました。
私は誰にでも「天命」、人生でやるべきことがあると思っています。なぜ、ここに生まれてきたのか? お世話になっている地球に、日本に、次世代の人たちに何を残すのか?
私は70歳を過ぎた頃から、こうした天命について考えるようになりました。そして、私の最後の仕事として、2019年、84歳のときに「アマテラス アカデミア(ATA)」という私塾を開設しました。
これは、現場力を持った、未来の女性リーダーを育てることが目的です。1年15人×10年で、2030年までに150人を育成するのが目的です。1年間の講座を通して、自分の天命や使命を知り、美的センスを身につけ、女性同士の連帯力を養います。
今までに受講した人は、医師、看護師、鍼灸師、教師、公認会計士、農業、Webデザイナーなど、職業はさまざま。応募資格は専門性を持っている25~39歳の女性です。毎年40~50人の応募者がありますが、その中から選考のうえ15人に絞ります。受講料は無料です。
皆さん内省して、自分の与えられた役割や適性に気づき、自分の道を切り開いています。塾生の中には、ネイリストから市議会議員になって活躍している人もいます。
自分は何をするために生まれてきたのか? 自分のそれまでに歩んだ道を振り返るとだんだん見えてきます。今まで何をしているときに楽しかったか? 誇らしいと思ったことは? 生きがいを感じることは?
こうした問いに、なかにはこれまでやってきたこととは違う、昔の夢を思い出すかもしれません。そうしたことを一度きちんと整理して、自分が心から好きで楽しいと思うことを仕事やライフワークにし、世の中にお返しするといいと思います。
【お話しいただいた方】
1935年2月24日生まれ。コーセーで長年美容を研究し、1985年初の女性取締役に就任。56歳で起業し「美・ファイン研究所」、59歳で「フロムハンド小林照子メイクアップアカデミー(現フロムハンドメイクアップアカデミー)」を設立。75歳で高校卒業資格と美容の専門技術・知識を習得できる「青山ビューティ学院高等部」を設立し、美のプロフェッショナルの育成に注力する。84歳で設立した女性リーダーを育てる「アマテラスアカデミア」を自らの使命とし、現在はふたつの会社の経営に携わっている。著書に『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『なりたいようになりなさい』(日本実業出版社)など多数。
イラスト/killdisco 取材・文/山村浩子