最近「承認欲求」という言葉をよく聞きます。要は人から称賛されたり、認められたいというか…「目立ちたい!」「ほめて!」「いいでしょ!?」ってなカンジで、早い話がチヤホヤされまくりたい! という欲求で、わりと否定的な場面で使われる場合が多いです。「あの人、承認欲求が強すぎてうざい」とかね。
でもね、世の中で成功した人って、成功したいって頑張ってる時点で、承認欲求が強いとも言えるよね。だから、承認欲求が強いということは、それだけ目標に向かって頑張るからいいことなんだけど、なんか…最近の人を見てると気になる。なんか…低くない?
つまり、承認欲求の敷居がかなり低くて、チョロそうに見えるんだよね。ちょっとほめられたら、すっかりいい気になって、それで満足する人が多そうな気がする。
例えばXやインスタグムで、「いいね」が100個ついたら、それだけで得意になったり、1000もついた日にゃあ小躍りしてもう有頂天。そうなると「もっと“いいね”が欲しい!」と思って、割と簡単に手に入る方法、つまり過激な投稿をしたりしてね。
内容のグレードを上げる努力じゃなくて、“いいね”をもらう努力。あの小さなスタンプが承認欲求を刺激して、見栄と欲望の海に導き、人を狂わせるのよ〰〰‼️怖い、です。
でも、よく考えてみてよ。「いいね」ってスタンプを押されるだけで、そんなに浮かれていいのか!? そこまでの価値があるのか!?
幼稚園の先生に「たいへんよくできました」ってスタンプを押してもらうようなものだよね?
何か特別な技術やスキルを発表したことによる評価だったらいいけど、たいしたことない投稿でも、今どきはめちゃくちゃ「いいね」が無駄についたりしてるから、みんな勘違いしまくるんじゃないかな。
それで承認欲求が満たされてしまうなら、人は正しい努力をしなくなると思う。そして簡単に手に入ったものは、たいして貴重にも思わないから、簡単に失うのよ。そもそも最初の目標設定が低いのかもしれない。
一条の人生の目標は「日本一の少女漫画家」‥‥イヤイヤイヤ、ではなく!
第一目標→「漫画だけで生活できる こと」
第二目標→「連載を持つ」
第三目標→「一条にしか描けない漫画を描いて、匠になる」
最終目標→人生が終わる時「私えらい!よくやった!と、己の承認欲求を自らで満たす」オホホ✫素晴らしきかな私の人生✫ですね。
もちろん承認欲求が無駄に高すぎるのも問題だけど、SNSで得られる満足が本当に自分の人生にプラスになっているのか、今一度、考えてみよう!記事が続きます
「プライド」
取材・文/佐藤裕美
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