気持ちよく暮らす「生活のしきたり」
しきたり75:公共トイレは次に使う人のことを考えて、始末する
季節の行事のすごし方や、親戚・ご近所とのおつきあい。恥ずかしくなく普通に暮らすため、カジュアルな決まり事を覚えましょう!全部で84の「しきたり」を生活研究家の阿部絢子さんが教えてくださります。
このパート【気持ちよい暮らしをするための、社会生活の「決まり」】では、暮らしを快適にするためのしきたり68~77をご紹介しています。
●気持ちよい暮らしをするための、社会生活の「決まり」●
気持ちよく、暮らしを快適にするための、社会を緩やかにかたちづくっているルールがあります。このルールは、誰が決めたわけでもないのですが、いわば長い歴史の常識がつくり上げてきたようなもの。それに逆らって暮らしても、きっと心地よさは得られないでしょう。少々はずれても、大きく添っていれば気持ちよく、暮らしていられるはずです。そんなルールを社会マナーとでも呼び、私たちはうまくルールに合わせてきました。
しきたり75
公共トイレは次に使う人のことを考えて、始末する
自宅は自分の好き勝手な状態にしておいても、誰も文句は言いません。しかし、公共のものとなると、文句のひとつも言いたくなってしまいます。
特に公共トイレです。主に駅や公園などですが、どうしてあそこまで汚くできるのでしょう。始末が悪いのもほどがあります。自宅でもおそらく、あのようないい加減な始末をしているのでしょう。
ある一人暮らしの人の家にも似ています。一人暮らしですから、次に使うのも自分です。自分が始末しなくても、気持ち悪くなければ、そのままです。これと似ています。
公共の場所で、次に使う人のことが考えられない、想像ができない。ここにはルールがありません。いつでも、どこでも、どんなときでも、次の人が使うことを想像する。これがありません。
想像力の欠如、とひと言で言ってしまえば終わりですが、いつのころから想像力が失われたのでしょう。公共の場所こそ、きちんと始末すべきがマナーですのに。
誰かがしてくれると思っているのです。誰かは、たぶん母でしょう。母に任せて、父はもちろん、娘、息子も知らんぷり。家庭は本来みんなの共同作業をしていくところです。共同作業に参加していなければ、心地よい暮らしにも参加することなどできません。家庭での共同作業が身についていなければ、公共の場を心地よくしようなどという想像力すら働かないのは当然です。
家庭での共同作業も、仕事で忙しい母に任せっきりにするのではなく、父をはじめとして、子どもたちも全員参加の作業を行うことです。作業ができれば、自分一人でも、始末はきちんとできるようになるはずです。すべては心地よく暮らすための作業でもあるのです。公共の場だからといって、なおざりにするのだけはやめたいと思います。
次回は、しきたり76:ゴミのポイ捨てはよその子であっても注意する、についてです。