年齢を重ねるほどに美しく__
〝大人磨き〟はこれから
第2回 前には出てこないのに存在感が透けて見える。心の度量のある女。
あるプロサッカー選手のこんなエピソードを聞いた。
土砂降りの雨の中、行われた試合。ユニフォームもシューズもずぶ濡れで、見えない、聞こえない、走れない、蹴れない。何もかも思い通りにいかなくて、結果、試合に負けてしまった。
「今日は、本当に大変だったよ」。
試合を終え、不機嫌に言った彼を迎えた母親がひと言。
「あなたのところだけ雨が降ってたの? 全員が同じ条件だったんだから、全然大変じゃないでしょう」
笑い飛ばしながら、何事もなかったかのように、さあご飯ご飯、と促したという。大物の母は、やっぱり大物。この人がいるから、彼の才能はすくすくと育まれ、同時に彼は調子に乗らなかったのだろう。世界を舞台に活躍する本物のアスリートを育てた女性の「度量」を見せつけられた思いがした。
私だったらたぶん、勝った負けたと一喜一憂し、無駄な気を遣って、空回りするんだろうな…肝が据わった女ってかっこいい、心底そう思ったもの。
最高齢で世界最高峰、エベレスト登頂者となった三浦雄一郎さんの妻、朋子さんの「ご苦労さまでした。なるたけ早く下りてきたほうがいいと思いますよ」。
iPS細胞の開発でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の妻、知佳さんの「研究、やめたら?」。
そういえば、流行語とともに脚光を浴びた『半沢直樹』の妻、花の「ぜってー負けんじゃねーぞ」もそうだろう。我が道を極める自由で真っすぐな男の傍らには、それ以上に大物の妻がいる。決して前には出てこないのに、存在感が透けて見える、そんないい女がいるのである。
そう、「妻力」という言葉で注目されたのもまた、女ならではの度量だったのだ。女性は年をとるほど図太くなるといわれる。妻になって安心するからか、母になって強くなるからか。いや、女性としての経験値が何に対しても動じなくさせるからなのか。
私自身、「昔はこうじゃなかったのに」と自分の振る舞いや心の動きにはたと気づき、ひやひやしたり苦笑いしたり。でも都合よく考えれば、これって実は度量の裏返しなのじゃないか。若さを失うのと反比例して増えるものがあるとしたら、それは度量。許せなかったことがまあいいかと思える、不安だったことが大丈夫大丈夫と言える…ただ、その表れ方が負の貫禄や厚かましさになる場合と、大らかさや包容力になる場合と、大きくふたつに分かれてしまう。
そして、ふたつを分ける決め手はおそらく、愛情のベクトル。自分に向くか、他人に向くか、すなわち、「自分好き」か「思いやり」かの差。ほんのちょっとしたことで、近づきたくないおばさんか、傍らにいてほしい女性かが決まる、きっとそういうこと。
今という時代、美容は驚くほど進化を遂げていて、見た目を5歳も10歳も若く見せるのは簡単だ。でも、本当の大人の美しさは、見た目の若さだけじゃないことを私たちは知っている。だから、愛情のベクトルをまわりに向けて、今よりもっと度量を大きくすること。そこに女としての、そして人としての色気が宿る。この人のそばにいたい、そう思わせる色気が。
ちなみに、ある男性のつぶやき。
「パックとかダイエットとかする前にさ、『お疲れさま』って上機嫌に迎えてほしいよ。それだけできっと、惚れ直す。ここに帰りたいって思うのに、ね」
見た目の若さより、心の度量。もう一度肝に銘じたい。
撮影/江原隆司