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新しい時代の新しい美意識「明治美術狂想曲」

吉田さらさ

吉田さらさ

寺と神社の旅研究家。

女性誌の編集者を経て、寺社専門の文筆業を始める。各種講座の講師、寺社旅の案内人なども務めている。著書に「京都仏像を巡る旅」、「お江戸寺町散歩」(いずれも集英社be文庫)、「奈良、寺あそび 仏像ばなし」(岳陽舎)、「近江若狭の仏像」(JTBパブリッシング)など。

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こんにちは。寺社部長の吉田さらさです。

 

今回は、最近お気に入りの美術館、静嘉堂@丸の内で開催中の特別展「明治美術狂想曲」(~6月4日〈日〉)のご紹介です。

 

静嘉堂は、岩﨑彌之助(三菱二代目社長)とその息子の岩﨑小彌太(四代目社長)の父子二代によって創設されました。

岩﨑彌之助(右)、小彌太(左)の彫像

 

こちらの美術館が開館したのは昨年(2022年)のことです。それまでは世田谷の岡本にある静嘉堂文庫美術館で収集品の一般公開をしていましたが、創設130年を記念して、丸の内の明治生命館1階に静嘉堂@丸の内を開設。それ以降、岩崎﨑家に伝わってきた美術品がこちらで展示されるようになりました。

 

明治生命館は昭和に建てられた西洋式の名建築で、重要文化財に指定されています。静嘉堂@丸の内の内部にあるホワイエも美しく、まるで、ウィーンかどこかの美術館に来たような気分になれます。

静嘉堂@丸の内のホワイエ

 

 

さて、今回の特別展「明治美術狂想曲」のお話です。

狂想曲とはどういう意味なのでしょうか。

 

明治時代は政治体制が大きく変わり、美術にとっても激動の時代であったということのようです。そもそも「美術」という言葉ができたのも明治初頭のこと。開国と同時に西洋文化がどっと流れ込んできて、それまでの日本文化は否定されました。その一方、西洋ではジャポニズムブームが起きていたため、西洋人が好みそうな派手な美術品がどんどん作られ、価値観が大きく変化していきました。

日本美術にとっては、ある意味、ひじょうに興味深い時代とも言えるようです。

 

 

第一章「美術」誕生の時

明治5年、新政府がウィーンの万国博覧会に参加するため、その出展基準を翻訳する際に「美術」という言葉が作られました。もちろんそれまでも、わが国には世界に誇る素晴らしい美術がたくさんありましたが、それを表す言葉がなかったとは不思議なことです。

河鍋暁斎 地獄極楽めぐり図 明治2~5年(1869〜72)

 

日本橋の小間物商が14歳で亡くなった娘の追善供養のために河鍋暁斎に依頼した画帖。娘が阿弥陀三尊に導かれてあの世を旅し、極楽で往生するまでのストーリーを絵にしています。

ユーモラスで楽しい場面が多く、これなら若くして死んでしまった娘も幸せになれそうだと思わせる内容です。

 

山本芳翠 岩﨑彌太郎像 明治時代(19世紀)

 

静嘉堂を創立した岩﨑彌之助の兄、三菱一代目社長の岩﨑彌太郎を描いた油絵。

西洋式の油絵は、明治初頭から日本の美術界にどんどん広まったようです。

 

 

第二章 明治工芸の魅力

明治初頭には、ジャポニズムが流行していたヨーロッパへの輸出向けの派手な工芸品が盛んに作られました。超絶技巧ではあるが、中には「これは日本の伝統的な美意識とちょっと違うのでは?」と思うものもありました。

明治10年代になると、行き過ぎた西洋化への反省も見られるようになり、「観古美術会」という展覧会が開催されて、旧大名家などに伝来してきた逸品が出品されました。

 

薩摩焼 色絵金彩麒麟鈕香呂 明治9年(1876)

 

1867年、パリの万国博覧会で日本古来の美術品は大人気となり、ジャポニズムブームが起きました。中でももっとも人気だったのは薩摩焼で、その後、西洋人の好みに合わせた輸出用の製品がどんどん作られるようになりました。

こちらもその中の一例。華やかでかわいらしいが、どことなく中国風でもありますね。

 

国宝 建窯 曜変天目(稲葉天目)南宋時代(12~13世紀)

 

静嘉堂と言えばこの曜変天目(稲葉天目)。丸の内に開館してから、国内に三つしか現存しないこのお宝を目にする機会が増えて喜ばしいことです。

実はこちらも、明治13年の第一回観古美術会に出品されたものでした。

 

 

第三章 博覧会と帝室技芸員

当時の美術家にとって博覧会は貴重な作品発表の場で、岩崎彌之助氏も資金援助を行っていました。皇室による美術の保護奨励制度により「帝室技芸員」に任命された美術家もいました。

こうしてわが国は、西洋の真似ばかりではなく、日本独自の美術を育てる方向に向かって行ったのです。

重要文化財 橋本雅邦 龍虎図屏風 明治28年(1895)(右隻)5月7日まで展示

 

京都の岡崎で開催された第四回内国勧業博覧会に展示された作品。岩﨑彌之助の出資で制作されたものです。日本の伝統絵画の画題でありながら、どことなく西洋絵画の影響も感じられます。この作品は、近代絵画ではじめて重要文化財に指定されました。

 

橋本雅邦は明治22年より東京美術学校で教鞭をとり、次世代を担う日本画家を育てました。明治23年には、皇室によって「帝室技芸員」に任命されています。

 

 

第四章 裸体画論争と高輪邸の室内装飾

明治28年の第四回内国勧業博覧会では、黒田清輝が出品した女性の裸体画が物議をかもしました。

裸の絵は公序良俗に反するという意見が多かったため、警察が介入し、下腹部を布で覆って展示することに。これは、のちに「腰巻事件」と呼ばれるようになりました。

黒田清輝 裸体婦人像 明治34年(1902)

 

こちらがその腰巻を巻かれてしまった裸体の女性像。裸だけでNGというのは今ならありえないことですが、近年も、アートの展示に関していろいろと物議をかもすことはありましたよね。この作品は、のちに岩崎家に買い取られ、高輪邸のビリヤード場に飾られていたそうです。その際はもちろん、腰巻を巻かれることはありませんでした。

 

 

 

静嘉堂@丸の内では、ミュージアムショップを覗いてみるのも楽しいです。

驚くのは、かの曜変天目をモティーフにしたグッズの種類が多いこと。缶バッジやマグネット、一筆箋などの小物だけでなく、おしゃれなスカーフや手ぬぐいも魅力的です。

 

こちらはほぼ実寸の曜変天目ぬいぐるみ。曜変天目をこよなく愛する人が、毎日、手に持って愛でるためのものでしょうか。

ショップ営業日に1日10個限定で、この日はもう予定数終了でした。

欲しい人は朝いちばんにお出かけください。

 

 

特別展 明治美術狂想曲 

静嘉堂@丸の内 

2023年4月8日(土)~6月4日(日)

詳細は、公式サイトをごらんください。

 

𠮷田さらさ 公式サイト

http://home.c01.itscom.net/sarasa/

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