今、話題の本『ミシンと金魚』
著者インタビュー 永井みみさん
永井 みみ (ながい・みみ)
1965年神奈川生まれ。ケアマネージャーとして働きながら執筆した『ミシンと金魚』で第45回すばる文学賞を受賞
あたしはいったい、いつまで生きれば、いいんだろう。
鍵かっこなしの老女のひとり語りがずんずんと胸に響き、いつのまにか物語に引き込まれていく。昨年、すばる文学賞(第45回)を受賞した永井みみさんの『ミシンと金魚』が大きな反響を呼んでいます。この作品の主人公は、認知症を患う「カケイさん」という老女。昔のことは鮮明に覚えているのに、今の記憶はどんどんこぼれ落ちていく。そんな混濁した現在と過去の出来事が、カケイさん独特なユーモラスな口調で語られていきます。行きつ戻りつしながら、しだいに浮かび上がるカケイさんの人生は、痛ましく、壮絶そのもの。
自分を介護してくれるヘルパーさんたちを、なぜカケイさんは、みんな一緒くたに「みっちゃん」と呼ぶのか。「ミシンと金魚」とはどういう意味なのか。物語の後半に明かされる秘密に、胸がつぶれるような思いがこみ上げます。
作者の永井さんは、今も現役のケアマネージャー。生々しい介護現場の圧倒的なリアリティーは、その経験から生み出されたもの。今、なぜこの物語が多くの読者を魅了し、感動を生んでいるのか。永井さんご自身にお聞きしました。
<前編はコチラ>
混濁した記憶の回路を描きたかった
──「認知症の人のリアリティがすごい」「まるで認知症の人の頭の中を覗いているみたい」といった感想が多く寄せられています。ただ認知症の方のお世話をしているだけでは書けない世界です。すごい人間観察力ですね。
永井 認知症の方は、長期記憶といって、昔のことは覚えているけど直近のことは忘れてしまうという特徴はあるんですが、はっきりと区分けされているわけじゃない。ある瞬間、スイッチが入るというか、回路が繋がるときもあるんですよ。すごくつじつまが合っていて、直近のことも覚えているときもあれば、同じことを翌日は覚えていなかったりとか。
そのスイッチがどう働くのか、よくわからないんですが、すごく覚えているところと、まったく忘れちゃうところが、まだらになっていて、ある時急に記憶の回路がつながったりする。そういう感覚は描きたかったなと思います。
──OurAge世代は40~50代。まさに自分の親が認知症になってショックを受ける世代ともいえます。永井さんの経験から何か助言できることがありますか。
永井 やっぱり元気な時を知っているからこそのショックですよね。ただ、仕事で携わっている人間からすると、介護保険などを使ってプロの人にいったん入ってもらうのがいいと思います。
身内だからこそ「なんで、あの母が……」と落ち込んでしまうんですけど、「みなさん、そうですからね、大丈夫ですよ」と、プロの人が言ってくれると安心するし、みんなそういう道を通っていくということを教えてもらえる。その人その人に問題行動があったときも、原因や対処方法を冷静に教えてくれると思いますので、そこはすぐにでもプロに相談する、それがいちばん悲劇にならない方法だと思います。
──さすがの経験値ですね。参考になります。ただ、認知症の人を主人公にしたこの作品を「介護文学」と呼んだり、永井さんのことを「ケアマネ作家」というのは、ちょっと違う気がします。
永井 ありがとうございます。じつは私もそう思っていて。「ケアマネ」とか「介護」というくくりで言われちゃうと、いや私ごときがと思うし……そう、ではないんです。介護や認知症の話を書いたけれど、それは小説の一つのテーマとしてであって、これから他のテーマにも挑戦したいし、できればカテゴリーやジャンルにはめ込まれたくないという気持ちがあります。
二度の生死の境をさまよった経験
──永井さんは、この作品をほぼ書き上げた時に、コロナにかかり、死線を彷徨うほどの苦しい体験をして、そのあとで原稿を書き直したそうですね。
永井 はい。自分が死ぬかもしれないという体験をして、初めてカケイさんの心境に近づけたというか、カケイさんの死と向かい合うことができたと思っています。自殺でも孤独死でもない、自ら選び取る意志が宿った最期を書こうと。玄関の向こうにオートバイがやってきて、ここで声をかけたら助かるかもしれないけれど、あえて声をかけない。彼女が選んだ死……。カケイさんならきっとこんな死を選び取るだろうという情景が見えたんですね。
──「花はきれいで、今日は、死ぬ日だ。」という言葉には、胸が詰まります。はっきりとカケイさんの意志が感じられますね。
永井 じつは私、コロナで死にかけたときのつらい体験とは別に、23歳くらいのときに急性十二指腸潰瘍になって、十二指腸に穴が開いて腹膜炎を起こし、救急車で運ばれたことがあるんです。あと10分遅かったらもうダメだったと、後から言われました。その時のことですが、手術室に入った途端に「なんでこの手術室は花柄の壁で、花柄の天井なんだろう」と思ったんです。
──えーっ!それはよくいう臨死体験的なものですか。
永井 あれは何だったのか、今でもよくわからないんですが、全身麻酔から覚めた時は、手術室も部屋も真っ白な壁だった。でも花柄の壁は確実に見ているし、その記憶ははっきりとしている。臨死体験の記録を読むと、「お花畑」ってよく出てきますよね。もし自分の体験が、臨死体験だったとして、やっぱり最期は花なのかな、という感覚はずっとあったんです。
──でも最期に見るのが花ならうれしいし、怖くなさそうです。
永井 ね、そうなんですよ。あのお花再びみたいな(笑)。
老いはちっとも怖くない
──老いと死については、文学における永遠のテーマのような気がします。現実を見れば、私たちも確実に年を取るし、老いていく。認知症になる未来もあるかもしれない。そのことについてどうお考えですか?
永井 老いの感覚って、初めての体験で思い知らされるんですよね。たとえば、40代くらいまでは、膝が痛いことのつらさがわからなかった。でも最近は、「膝が痛い」ってこんなにつらいんだって(笑)。そんなことがすごく実感としてある。母が「私の年齢にならなければわからないよ」と、よく言っていたのが、あ、こういうことなんだなとわかった。
ただ、仕事上でいろんな方を見てきたので、そこまで落ち込まないというか、「あ、こういうことなのかな」と思えるので、老いていくことはあまり怖くはないですね。むしろ、この世代じゃなくて、その先の世代にいたいなと思う。
──若く見られたい人がほとんどなのに、それは珍しい心境ですね。たとえば、70代くらいの世代に仲間入りしたいとか?
永井 そうです。お話していても、私は70代くらいの方たちのほうが話が合うんです。カラオケに行っても歌う曲が一緒で。「あれ、何年生まれ?」と聞かれて「いや、同世代ですよ」って言うんですが(笑)。私は、向こう側に行って、向こう側の若手でいたい(笑)。
──向こう側の若手はいいですね(笑)。
永井 偏差値の高い学校に入っちゃうと、下の方で右往左往するけど、低い学校に入ったら、ちょっとエリートな感じ。そんな感じかもしれない(笑)。団塊の世代の人たちも、半端ない競争社会を生きてきているので、パワフルで、話をするのは楽しいです。
──70代と言わず、永井さんには、長く生きてきた人への尊厳、敬意が感じられますね。そんな眼差しが、カケイさんという魅力的なおばあさんを生み出した気がします。一冊の本の中でこんなに笑って泣いた体験は初めてです。次の作品がすごく楽しみです。
永井 そう言っていただけると励みになります。私は小さい頃、おばあちゃん子だったし、その祖母のことや、近所にいたおばあちゃんとか、そういった方々のイメージをちゃんと覚えておきたい。お仕事の介護で出会う方の中にも、私がお手本にしたいなと思う方が時々いらっしゃるので、そういう方の言葉や表情を、自分の中で大切にしていきたい。そしてそういうものを、作品の中に生かしていけたらと思っています。
『ミシンと金魚』
定価:1,540円(10%税込)
著者:永井 みみ
【第45回すばる文学賞受賞作】
花はきれいで、今日は、死ぬ日だ。
暴力と愛情、幸福と絶望、諦念と悔悟……認知症を患う“あたし”が語り始める、凄絶な「女の一生」。選考委員絶賛!圧倒的才能が放つ衝撃のデビュー作。
撮影/中野義樹 取材・文/宮内千和子