国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」がスタートしたとき、絶対行く、と心に決めました。なぜなら今回はマティスの最高傑作といわれる、南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂を体感できる空間が再現される、と聞いたから。
私は、2010年(ということは14年前か。時が経つのは早い…)にロザリオ礼拝堂を訪れたことがあります。そのほんの数カ月前は、まさか自分がヴァンスを訪れることになるとは思ってもいませんでした。
でも「マティスの教会」のことは耳にしていました。ちょうど訪れたという友人から「素晴らしかった」という話を聞いていたのです。「あなたが行ったら、きっとおいおい泣くわよ」と言われ、いくら私が泣き虫だからって、教会に入ったくらいじゃ泣かないわよ、大げさな…と憤慨したものです。
ところがその数か月後、急遽、南仏に行くことが決まりました。じゃあその後でニースに行ってみよう、ニースからならヴァンスにはバスで行けるらしい、その「おいおい泣く」教会に行ってみようじゃない、と軽い気持ちで計画したのです。
訪れたのはちょうど7月。夏のニースは光あふれる、本当に美しい街でした!
↑ニース名所“プロムナード・デ・ザングレ”、海岸沿いの遊歩道です。観光客も住民も、海を眺めながら思い思いに散歩を楽しんでいる姿が印象的でした。その後、2016年にトラックが暴走するというテロが起こり、あまりのことに言葉を失いました。あんなに美しく平和な場所で、そんなむごいことが起きるなんて…
↑“プロムナード・デ・ザングレ”の夕景。映画のワンシーンのようですよね
↑夕方の旧市街のにぎわい
↑ニースといえばニース風サラダ。卵、じゃがいも、オリーブたっぷり、このボリューム!おいしかった…
↑夏だったので公園も花が咲き乱れていました
ニースからヴァンスまではバスで1時間ほど。案内所で「チケットはいくら?」と聞いたら「1ユーロ(*当時。現在は値上がりしているもよう)」と言われ「うそでしょ!?」と思わず突っ込んでしまいました。当時のレートでは130円ほど!そんなに安いってあり!?
たどり着いたヴァンスは山間の小さな村でした。観光客の姿もまばらで、住民の姿も見えず、道に迷って途方にくれたことを覚えています。見かけた少年に声をかけるも、彼は英語が話せず、身振り手振りで道を教えてもらい、やっとロザリオ礼拝堂に到着。
↑中の撮影はできなかったので、外観だけ撮影
ロザリオ礼拝堂に入れたのはほんの数時間でしたが、人生の中でも忘れられない数時間となりました。友人の予言通り、私は号泣していたのです…。
時は流れて2024年、東京。
「マティス 自由なフォルム」にやってきました!
アンリ・マティスといえば、別名“色彩の魔術師”。鮮やかで豊かな色彩、単純化されたフォルムには、目を奪われずにはいられません。特に魅力的なのは、晩年の「切り紙絵」作品群ではないでしょうか。大胆でモダンでいきいきとした美しさ。見るだけでなんだかウキウキしてきます。作品から生きる喜びが放たれている感じがします。
(以下の写真は「撮影OK」なエリアのものです。©Succession H.Matisse)。
↑アンリ・マティス«花と果実»(1952-53年)ニース市マティス美術館蔵©Succession H.Matisse
アメリカ人コレクターの依頼で、ロサンゼルスの豪邸のパティオを飾るための壁面装飾として制作されたそう。現在は、ニース市マティス美術館が所蔵、入館するとすぐ目の前に展示されているそうです。
↑アンリ・マティス«ブルー・ヌード Ⅳ»(1952年)オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)©Succession H.Matisse
このシンプルな力強さよ!マティス82歳のときの作品です。
そして…私の目当て、ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部空間の再現。
↑ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内部の祭壇の再現
後ろのステンドグラス、「生命の木」のモチーフになっているのはサボテンなのだとか。
↑«聖ドミニクス»タイル壁画の再現
礼拝堂の祭壇のそばにあります。子どもが描いたのか、と思うようなシンプルな絵。
↑«聖母子像»タイル壁画の再現
同じく、礼拝堂の壁画です。こんなにのびのびと楽しそうに描かれた聖母子像なんて見たことありませんでした…。
↑アンリ・マティス«薔薇色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)»(1950-52年)ニース市マティス美術館蔵©Succession H.Matisse
カズラとは、ミサの際に司祭が着る式服のことだそう。カラフルで楽しい式服…これ、教会で着ていいの!?
とにかくすべてが、“教会”のイメージを軽く飛び越えてくるのです。こんなに明るく素直でシンプルで、楽しそうな空間ってある!? これが教会なの?
14年前、ヴァンスのロザリオ礼拝堂で、私はびっくりしていました。資料など何も見ずにいったものですから、驚きはかなり大きかったです。そしてステンドグラスの光に包まれているうちに、涙が…。なんというか、子どものように泣いてしまいました。
今考えると、ステンドグラスのピュアな色合いの光に包まれて、単純な線だけの壁画に囲まれて、安心したからかな、と思います。そう、幼子に戻ったような、守られているような安らかな気持ち…。そんな気持ちになれるなんて、まさに教会にふさわしい空間だと感じました。
今回の展覧会をきっかけに、ヴァンスを、ロザリオ礼拝堂を訪れてみたい、という方が増えるといいなと思います。もちろん、私のように号泣するとは限らないですし、人によって感じ方はそれぞれですよね。でも最晩年のマティスが心血を注いで作り出した空間、偉大なアーティスト本人に「この礼拝堂は私にとって全生涯の仕事の到達点であり、莫大で真摯で困難であった努力の開花です」と言わしめた空間に身を置くことを、ぜひ体験してみてほしいです。
最後に作家・原田マハさんの短編集『ジヴェルニーの食卓』より、マティスをよく知り、今やロザリオ礼拝堂の修道女となったという設定の女性が語った言葉を。これは原田さんからのメッセージだと思います。
マドモアゼル、あなた、いままでにヴァンスのロザリオ礼拝堂にいらしたことはある?
あら、ないんですのね。だったら、人生の「楽しみの箱」がひとつ、まだ開けられずに残っているようなものよ。