亡き妻・木内みどりさんのエッセイやイラストをまとめ、彼女の死生観や生き方を
一冊の本『あかるい死にかた』として世に送り出した水野誠一さん。
30年あまりの結婚生活を通じて、ふたりは互いに影響を与え合う、刺激的な存在だったよう。
夫の目から見た、木内みどりさんのヴィヴィッドで前向き、そして潔い生き方とは? 好評の前編に続いて後編をお送りします
みずの せいいち●1946年生まれ、東京都出身。株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役。株式会社西武百貨店社長、参議院議員、新党さきがけ政策調査会長などを務めた
きっかけは311。水野さんの懸念が現実になって・・・
女優としてさまざまな映画、ドラマ、そしてバラエティ番組でも活躍していた木内みどりさん。元気で明るくて、サバサバっとしていて、エネルギッシュ。そんなイメージが先行するけれど、ある時から彼女は脱原発、核廃絶、反戦などの社会活動にも積極的に参加するようになった。
「きっかけは、311でした。」
疑問に思ったら、動く。言いたいことは隠さない。そんな木内さんはフットワーク軽く、いろんな集会に出かけたり、時には司会役も買って出たりした。お手製のNO NUKESワッペン付きの帽子で(撮影/田村玲央奈)
「もともと彼女は僕が政治に関与するのに猛反対だったのですが、僕はやってみたいと思い、参議院議員になりました。その最後の年、2001年に今度は空港建設反対の市民から推されて静岡県知事選挙に出たんです。勝算は薄かったけれど、それでも出たのには理由がありました。
僕の父(水野成夫氏)が、その設立に地元出身財界人として関与した浜岡原発が、静岡にはある。南海トラフ地震がもし起こって、マグニチュード8クラスの揺れがきたら、30年前に作った浜岡原発の炉が無事なはず、ないでしょう。議員時代からもう一度安全の再確認をするべきだと僕は言っていたけれど、誰も相手にしてくれなかった。静岡知事選に出て、息子である僕がそれを主張すれば、より大きな注意喚起になると思ったんです。
知事選に出ると伝えたときも彼女はビックリして、反対だったのですが、ああいう性格ですから、不条理なことは正していかなければならない、と、現地で応援してくれるようになりました。結果、予想よりたくさんの人が票を入れてくれましたが、現職の知事に負けました」
しかしその10年後の2011年、東日本大震災が起こり、福島の原発で事故が起きた。
「そのときです、みどりが、『本当にごめんなさい』、と僕に言ったのは。
私はあなたの言っていたことを、ちゃんと理解していなかった。でも、あなたが心配していた通りのことが、現実に起こってしまったのね、と。
それから彼女は人が変わったように、原発は何が何でも止めなければいけない、と言い出して、活動を始めたんです」。
小さい頃から活発だった木内さん。納得のいかないことに従うのをよしとせず、高校も1年生で辞めたという。そんなまっすぐな魂を持ち続けた稀有な人
『あかるい死にかた』に収録された彼女のエッセイの中には、こんなフレーズがある。
『2011年3月11日以降、わたしはすっかり覚醒したのだと思います』
『原発は要らない、戦争しない、力の弱いひとを支え寄り添う社会になるため自分のできることをしたい』
そんな彼女の原動力になっていたのは、彼女がいつも口にしていた、ひとつの言葉。
「『ノックしないドアは開かない』と、よく言っていました。誰かが昔、口にしていた言葉なのかもしれませんが、彼女はすごくこの言葉、気に入っていたんです。頭の中で原発が心配だとか戦争反対だと思っていても、何も変わらない。でも運動に参加することは、ドアをノックすることなんです。行動しないことには、何も変わらないんですよ」
気さくに誰とでも語り合い、労を惜しまず手伝う、そんな姿にたくさんの人が共感し、支えられた。
「常識を疑え!」。いつもみどりはそれを実践していました
そしてもうひとつ、木内みどりさんが夫・水野誠一氏に大きな影響を与えたことがある。
「それはね、常識を疑え、ということです。」
”常識を疑え”というのは自身のモットーでもあるが、「元はみどりに教わったんです」と微笑む水野さん
世の中には常識とされることがいっぱいあるけれど、原発にしろ日常のしきたりにしろ、それは本当に正しいことなの? 必要なことなの? 誰のためにやっているの? と、彼女はいつも常識を疑っていた。どう考えてもおかしいと思うような常識なら、従う必要はないんです。
墓は要らない、葬式不用、というのも、そのひとつです。”単に常識だから従うべきなんて変じゃない?”というのは、彼女から教わりました(笑)。僕自身、『否常識のススメ』(ライフデザインブックス)という本も出したし、仕事においてもモットーとしてきました。『過去においてそれは常識だったかもしれない。でも今、いったん考え直してみよう』、と。」
それは、まさに今求められていることかもしれない。
「コロナのようなことが起きて、この先、さらに時代の常識は変わっていく。変わるべきなんです」
大人になっても絵は上達する?と思い立って木内さんが2017年に1年かけて実行した「1日1枚絵を描いてツイッターにアップする」プロジェクト『私にも絵が描けた! コーチはTwitter』。反響も大きく、のちに自費出版もした。上が元日、下は248日め。1年で目に見える進歩を成し遂げる姿には、驚き共感する
生きかたも、死にかたも、自分の頭で考える。常識に囚われることなく、本当に自分がそうしたいと思うやりかたで、日々を生きていく。
政治運動だけじゃない。絵を描いたり、映画を観たり、車に乗ったり、服を選んだり。日々行うことのすべての基準は、常識なんかじゃなく、自分自身。自分で選んで、自分が楽しんで、自分が自分らしくあるために、毎日を大切に生きていく。そうしてきたからこそ、木内みどりさんの生きかたと死にかたは、明るいものになったのだろう。
木内みどりさんの突然の訃報、そしてその後の顛末も含めた「死にかた」は、私たちに多くのことを教えてくれているようだ。
「木内みどりさんを語りあう会」会場の一角に飾られた在りし日の一コマ。人生を楽しむ木内さんの姿に、乾杯を返したくなる (撮影/田村玲央奈)
木内みどり きうちみどり●1950年生まれ、愛知県出身。劇団四季を経て女優・タレントとして活動。1988年、水野誠一氏と結婚。東日本大震災以降、脱原発集会の司会など積極的に社会・政治問題に関わった。2019年11月逝去。
『あかるい死にかた』(集英社インターナショナル 本体1700円+税)
取材・文/岡本麻佑、撮影/露木聡子