松本千登世 /丁寧の半歩前

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松本千登世

1964年生まれ。美容エディター。客室乗務員、広告代理店勤務、出版社勤務を経てフリーランスに。自らの経験に基づいた審美眼によって語られる、エッセイや美容特集がつねに注目の的。近著に『もう一度大人磨き 綺麗を開く毎日のレッスン76』(講談社)がある

母の背中を見るたび、いつも思っていた。「昭和の女たち」は、本当によく働くなあって。7~8年前の話。久しぶりに上京したのだから、母にゆっくりくつろいでほしいと娘としては思うのだけれど、慌ただしい生活が見える私の部屋が気になって仕方がないのだろう。着いたばかりだというのに、一時たりともじっとしていない。荷物を置くや否や、雑誌を片づけたり、床を拭いたり、靴を磨いたりと、動く、動く…。そんなある日、仕事を終え、家に帰り着いた私に、母が「シーツにアイロン、かけといたから」。えっ、大変だったでしょう?   もともとしわが目立たない素材だし、寝てしまえばどうせしわができるのだから、アイロンなんてかけなくたって同じ。そもそも、誰かに見せるわけじゃないのだし。そう言うと母がひと言。「だって、寝るときに、気持ちいいでしょう?」

こんなこともあった。二人してほんの少しおしゃれをして、皇居が見えるホテルのラウンジでお茶を飲んだとき。帰りぎわに化粧室に寄ったら、母が手を拭き終わったペーパータオルで、水滴が飛び散った洗面台をささっと整えている。それをぼんやりと見ていた私に気づいて、「だって、次の人が、気持ちいいでしょう?」

 

 

実はここ最近、ずっと、家が老いていくのを感じていた。整理整頓や掃除といった「当たり前」がおろそかになって生じた小さな乱れや汚れが、結果、老化の跡として深く刻まれていくような気がしていて、焦りと後ろめたさを覚えていたのだ。でも、でも…!   実際は目に見えない何かに追われ、まるで「日めくりカレンダー」を乱暴に引きちぎるように、瞬く間に過ぎていく日々。「忙しいから」と言い訳をしながら、当たり前を後回しにするという…。恥ずかしながら、これが私の現実。

 

 

今という時代、どこか「丁寧」ブームだ。ひと手間やプラスαを大切にすること、すなわち、当たり前だけで終わらせない、もっと先にあるゆとりや余裕を尊ぶこと。それが自分自身をいたわり、慈しむことにつながる…。何を隠そう、私自身も、美しい女性たちに丁寧の価値を学ぶたび、自分に言い聞かせるように「丁寧に暮らしましょう」「丁寧に生きましょう」と、文字にしてきたのも事実。その実、丁寧にまったく手が届いていない自分に、コンプレックスとストレスを抱えていたのに。当たり前ができていないもどかしさと後ろめたさで心が埋め尽くされていたのに。だからこそ今、母がつぶやいた何気ない「だって、気持ちいいでしょう?」が、頭の中をぐるぐると巡るのである。アイロンをかけるのは5分、洗面台を整えるのは5秒。思えば、あっという間だ。もう一度当たり前に向き合ってみよう、もう一度。

 

 

そう気づかされてからというもの、私は、ひとつひとつの作業を脳内タイマーで時間を計りながらこなしている。拭き終わった食器を片づける5秒、取り入れた洗濯物をたたみしまう5分、洗面台の鏡を拭く5秒、デスクまわりを整える5分、靴をそろえる5秒にお風呂を磨く5分。あれっ、意外と速いじゃない? そして、当たり前が当たり前になるほどに、そのスピードは速くなって、日常に溶け込んでいく…。

 

 

あえて、断言したい。「丁寧の半歩前」でいい。たった数秒、たった数分。これこそが、清々しい人生を紡ぐ、些細でいて大切な習慣なのだ、と。

 

 

写真/興村憲彦

 

 

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