撮影/内田有紀子 ヘアメイク/レイナ 聞き手・構成/村上早苗
<プロフィール>
しのだ・せつこ 1955年東京都生まれ。’90年、『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。’97年『コサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、’15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、’19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞など、受賞歴多数。そのほか、『廃院のミカエル』『弥勒』『肖像彫刻家』など多数の著書がある。
デイサービスは断固拒否の母が
目を輝かせたのは…
「母が認知症を発症したのは、20年ほど前ですが、一般にイメージされる”介護”はなかったですね。実家は母のテリトリーなので、手を出そうものなら、ものすごい剣幕で怒られて。汚れた下着がタンスや押し入れに山のように入っていても、冷蔵庫にカビがはえた食品がびっしり並んでいても、母の前では片づけられない。だから、空き巣のように忍び込んで、こっそり持ち出し、自宅で洗濯しては何事もなかったかのようにタンスに突っ込んでおいたり、容器ごと破棄したり」
ここ数年は、自宅から近くに住む篠田さんの家に来て、朝から夕方まで過ごしていたというお母様だが、「一日中、顔をつきあわせているのはきつかった」と、篠田さん。
「もともとネガティブなところがあって、恨みつらみが多い人でしたが、それが増幅していったというか……。私が公務員を辞めて作家になったのが、よほど心配だったんでしょうね。『小説家なんて、日雇いといっしょじゃないか』とか、『一時はいいかもしれないけれど、いずれ食っていけなくなる』などなど延々と言っていました。私が、どんなに『大丈夫だから。心配いらないよ』と言っても、思い込んだらもうだめ。そういうダークサイドに入ってしまった時は、外に連れ出すんです。きらびやかな世界にね」
そのきらびやかな世界とは……、100円ショップ。
「店内に、びっしり物が並んでいるだけでわくわくするんでしょうね。目を輝かせるわけです。どれも100円だから、こちらも、『いいよ、いいよ、好きなもの何でも買ってあげるよ!』って(笑)。
ショッピングモールのフードコートも好きでしたね。ザワザワして、賑やかで、きれい。何より、周りにいるのは自分と関係のない人ばかり。人づきあいが嫌いな母にとっては、その距離感も心地良かったみたいです。ひとりで来ているお年寄りも多くて、私たちに話しかけてくれるんですよ。母も、見ず知らずの人とその場限りの交流ならOKなんですね。私としては、つかの間でも、母子カプセルから連れ出してもらえるのが、すごくありがたかった」
逆に、お母様が断固拒否したのが、デイサービス。あの手この手で見学に連れて行っては、「こんなところに親を放り込むのか!」と激怒される、の繰り返し。デイサービスですらこれほどハードルが高いのだ。ホームへの入所は半ば諦めていたという篠田さんだが、その機会は、思わぬ形でやってくる。
「一昨年の11月、母が体調を崩して、かかりつけの病院に連れて行ったところ、思いのほか重症で、そのまま入院。その流れで、同じ敷地内の老健に入所することになったんです。
もちろん、母は入院すること自体、抵抗しました。でも、その時私が思ったのは、『ああ、これで一晩ぐっすり眠れる』ということ。意識していなかったけれど、私自身、限界だったようです。
病気は自分の身に起こることだから、痛みも気分もけっこうコントロールできちゃうんですよね。けれど、高齢者、とくに認知症の介護は、相手次第だからそうはいかない。介護を担っている人は、意識しているかどうかは別にして、相当追い詰められているんじゃないかと思います」
次々に襲い来る現実をバッタバッタとなぎ倒し…!?
確かに、読者の中にも、介護によって心身共に疲弊している人がいることだろう。それを口にするのが許されない空気が、まだまだある。それは、「壮絶な介護の果てに、親子の絆が深まった」、「親を介護できて良かった」などと、家族愛のストーリーで締めくくられることが多い介護エッセイやドラマなどの影響も少なからずあるかもしれない。
けれど、このエッセイには、美談の類いはまるでない。描かれているのは、困惑や憤りを含めたリアルな心情と、「次々様相を変えてくる現実」に対する具体的な対策だ。
老健からの退所勧告を受け、新たな入居先を探してグループホーム12箇所を巡ったエピソードでは、それぞれの施設の特徴や、入所待ちの事情、施設長の言葉など、実体験が記されている。それは、同じ悩みを持つ介護者にとって、きっと参考になるに違いない。
「介護も病気も、こちらの予想通りには中々いきません。結局、今目の前にある現実に、その都度対処するしかないんですよね。母のこの先は見当もつきませんし、自分の病気についても今後どうなるのかわかりません。最善の行動などありえないけれど、最悪の結果を回避できれば、まずは上等。そんな心持ちで、その都度粛々と対処するだけです」
『介護のうしろから「がん」が来た!』乳がんと介護という重くなりがちなテーマを、作家ならではの観察眼とリアルな描写で綴った痛快ドキュメント。WEBサイト「よみタイ」に連載されたものに、篠田さんの乳房再建を担当した形成外科医との対談も新たに収録。読み物としてのおもしろさに加え、情報収集にも役立つ充実の内容だ。(本体1300円+税 集英社)