今回は乳腺全摘&同時再建を行なった菅原三千代さんにお話を伺いました。
母であり妻でありすでに祖母でもあり、そしてバリバリ仕事もこなす素敵な50代。そんなイメージの菅原さんは乳がんをきっかけに自分が変わったという方。乳がんなんて怖くない! そう思わせるオーラに包まれていました。
手術や治療内容に
妥協しない!
あきらめない!
その姿勢がいちばん大事
菅原三千代さん
Michiyo Sugawara
1961年生まれ。
レストラン営業企画
ラッキーとアンラッキーが
背中合わせだった「その年」
「2012年は私にとって怒濤の年。あの1年で起こったことは、まるでジェットコースターのようでした。
鼻の病気で手術入院していたとき、前年には良性といわれた胸のしこりを検査すると、悪性だという診断。
しこりを切除する乳房温存手術をなんの疑いもなく受けたところ、4分の1も乳房がなくなり、変形してしまったんです。これが温存? と悲しくなりました。さらに悪いことに術後の病理検査で『断端(切除した標本の端)陽性』と診断され、再手術で全摘をすすめられたんです。しかも放射線を当てなければいけないから、その後の乳房再建は難しいと。私は死ぬの? 治っても一生片方の胸がないままなの?と考えて、呆然としてしまいました。
ほかの大きな病院でセカンドオピニオンを受けても同じ意見。それでもあきらめきれずに行ったクリニックで、全摘&再建できますよと言っていただいたときには、感動で『これで再発してもいいっ!』とさえ思いました。
お孫さんにとっても、いつまでも一緒に遊んだり出かけたりできる、自慢の若いおばあちゃんですね♪
全摘&同時再建手術の後、ステキな仲間との出会いがあったそう。
どん底からいきなり
ハッピーワールドへ!
同じ年の年末、念願の手術を受けました。思ったより簡単に手術はすんで、その数日後、患者の方々が集まる会があることを知り、仲間に入れてもらいます。そこでは、同じ乳がんを経験した女性たちが、ものすごく明るく話をし、なんと再建できれいになった胸を見せ合ったりしているのです。『一人じゃないんだ!』という気持ちでいっぱいになりました。それからは、積極的にその患者会のイベントなどに参加し、いつのまにかボランティア活動にも参加するようになっていました。その患者会の部屋では、泣きながら入って来た迷える患者さんが、帰るときにはニコニコ笑って出ていくのが普通。私も、今では人に笑顔を与えられる側になれたことを誇りに思っています。
乳がんを取ってきれいな胸を作ってもらい、素敵な人たちと出会えたことで、自分も変われた気がします。いろんなことに感謝できるようになり、生きていることや人との出会いにありがとうが言える。乳がんになる前は、人の幸せをうらやましがったりしましたが、今は心から喜べます。
もし、最初に悪性と診断されていたら、よい先生にもたどり着いていないし、患者会『KSHS』とも巡り合っていない。そういう意味では、私、乳がんになって逆によかったのかも、なんて思っています」
患者会のボランティア活動に参加。乳がん検診の啓発運動も活動のひとつ
菅原さんの乳がんの経過
■2011年夏:左胸1.2㎝のしこりが良性と診断。
■2012年6月:鼻の病気で手術入院していた際、乳がんの検査もしてもらい、そこで悪性と診断。
■2012年8月:同病院で切除手術。病理検査にて断端陽性との診断。再手術で全摘&放射線治療をすすめられる。セカンドオピニオンやリサーチの日々で、1回で手術できる全摘&同時再建を知る。
■2012年12月:全摘&同時再建手術。
■2013年1月~現在:ホルモン治療&定期検診。1年に1回はPET検査。
次のページでは菅原さんを支えた「KSHS」についてご紹介します。
「 KSHS」乳がん体験者の会
「KSHS」代表の溝口綾子さん。彼女ももちろん乳がんの手術&再建の体験者です
「KSHS」というネーミングは「キチンと手術・ホンネで再建の会」の略。乳がんになっても何もあきらめず、ポジティブに生きることを目指す人が集まっています。どこの病院にかかっている人でも参加は可能。2016年7月31日(日)には「第6回全国大会」を開催しました。著名な医師が多数登壇する貴重なイベント。詳細は公式HPで!
http://www.kshs-japan.net
※記事の体験・感想はあくまで個人の感想です(ルポ部分)。 気になる症状がある場合は、必ず医師にご相談ください。
次回は乳がんと診断されたときに覚えておきたい教訓をご紹介します。
撮影/露木聡子
構成・原文/蓮見則子