がんサバイバー素敵女医の「私の場合」:関口由紀さん
今や2人に1人はなるともいわれる「がん」。 女性泌尿器科の関口由紀先生にお話しを聞きました。
乳がんリスクは低いと思っていただけに、自分がなったときは驚きました
関口由紀さん
Yuki Sekiguchi
56歳 女性泌尿器科 女性医療クリニック LUNA ネクストステージ
関口先生の経緯
●42歳のとき、左胸の乳がんに
●部分切除+放射線+ホルモン療法(タモキシフェンを7~8年服用)を経験
●治療による閉経をしたため、骨密度が65歳のレベルまで低下。その後、6カ月に一度のデノスマブ注射で年齢相応の数値に
●51歳のときに、腹部脂肪の幹細胞を胸に入れ、形を整える施術を
●がんの検査は1年に一度、乳房超音波、マンモグラフィ、子宮がん検診、経腟超音波検査、腹部超音波検査、上部・下部消化管内視鏡検査を。2~3年に一度PET検査を受けている
5年前に、幹細胞を入れて胸の形を整える施術を
「42歳のとき、左胸に乳がんが見つかりました。マンモグラフィを撮ったところ自分でもわかるくらいの石灰化が。出産して3年ほどしかたっていない時期で、母乳も1年あげていたし、がん家系でもない。リスクはないだろうと思っていただけに驚きました」
そう話すのは関口由紀先生です。
「しかも私のあと、母方の伯母たちがたて続けに乳がんになり、なかには亡くなった人も。さらに一昨年、父方のいとこが45歳で乳がんで亡くなり、両家とも乳がん家系だったことが判明したんです。これはショックでした」
関口先生の場合、ステージはⅡに近いⅠで、大きさは3㎝。リンパ節転移はなく、ホルモンへの依存性のある治療しやすいがんだったそう。部分切除と放射線治療、乳がん治療薬として用いられる抗エストロゲン薬のタモキシフェン(ノルバデックス)を服用するホルモン療法を7~8年継続しました。
「そのまま閉経したほうが再発のリスクが減るとのことで、5年という目安を超えて飲んだのですが、やめてからも最後の1年は月経がありました。ホルモン療法による更年期症状は開始後の1~2カ月だけ。意欲の低下程度でしたね。治療が終わったときに骨密度が65歳のレベルにまで落ち込んだため、私の場合は6カ月に一度、デノスマブ (皮下に注射する骨粗しょう症の治療薬)を打つように。現在は数値が年相応に戻り、YAM値(若い人の骨密度を100 %としたときの数値)は80 %です」
手術は乳輪に沿って切る手法をとったため、胸の傷は最小限。加えて「こんな技術がありますよ」とすすめられたことをきっかけに、5年前にお腹の脂肪から幹細胞をとって両胸に入れ、放射線治療で白くなった乳輪をアートメイクで整える施術を受けました。
「胸の形が本当にきれいに整って気持ちもアガりました。こんなにいいなら早くやっておけばよかった(笑)」
現在は年に一度、乳房超音波、マンモグラフィ、子宮がん検診、経腟超音波検査、腹部超音波検査、上部・下部消化管内視鏡検査を受け、2~3年に一度はPET検査を受けています。
「日常的には、入浴時に石鹼をつけた手で乳房をチェックしています。あとは抗酸化サプリメントも5種類。がんというより健康維持のため、日々ポジティブに過ごすよう心がけています」
イラスト/ミック・イタヤ 取材・原文/上田恵子