(左)ハーバード大学、ソルボンヌ大学客員教授で、昨年、高野山大学客員教授にも着任した根来秀行さんと、(右)高野山大学副学長・密教学科教授の松長潤慶さん。密教と医学の意外な関係性を語り合います。
瞑想が深まると心が安定し、寿命を延ばせる!
いし 今朝は土砂降りでしたけど、取材前にはピタッとやんで。もしや密教の神通力で止めました?
松長 いやいやいや(笑)。
いし 字面からして謎めいていますが、密教は仏教のひとつなんですよね?
松長 そうですね。密教は仏教の発展形としてインドで誕生し、その後、チベットや中国に伝わりました。いくつか宗派がありますが、私は真言密教の僧侶で開祖は弘法大師・空海です。空海は平安時代初期に遣唐使として中国に渡って真言密教を学び、帰国したのちにその教えを広めていきました。
いし 4月13日から奈良国立博物館で空海の展覧会が始まっていますね。国宝約30件、重要文化財約60件の豪華なラインナップとか!
松長 そうなんです。空海生誕1250年を記念した特別展で高野山大学も学術協力しています。
「空海 KUKAI — 密教のルーツとマンダラ世界」
海と陸のシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った密教伝来の軌跡を辿り、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かす。多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現。各地で守り伝えられてきたゆかりの至宝を一堂に展示。空海と真言密教の魅力が満載のスペシャルな展覧会です。
奈良国立博物館で4月13日(土)から6月9日(日)まで開催。
https://kukai1250.jp/index.html
根来 僕もぜひ見に行きたいです。僕は特に信仰している宗教は無いのですが、実は僕の家系のルーツは、真言宗の宗派のひとつ新義真言宗の総本山「根来寺」なんです。高野山大学客員教授のお話が来たときは、ご縁だなあと思いました。
松長 本当にご縁ですねぇ。
根来 松長先生にいろいろ教わって、医師・医学者の立場で、密教についての理解を深めていきたいと思っています。密教は「秘密仏教」の略称で神秘的な印象がありますが、密教の教えとはどんなものですか?
松長 密教は宇宙や大自然に向き合う仏教です。自分も他人も動物も植物も宇宙も仏も、命を持たないとされるものすべてを含め、本来は皆一体ととらえます。見え方は違っていても、みな等しく価値がある。密教の教えは自他の区別をつけないんです。
根来 神を唯一の存在ととらえるキリスト教やユダヤ教、イスラム教のような一神教との大きな違いですね。
松長 そうですね。現実の世界ではさまざまな対立があり、現在も戦争が続いていますが、密教では自我意識をなくせば対立は存在しないと考えます。そのための精神統一の修行が密教における瞑想です。空海の思想も自らの瞑想体験に深く根ざしているんです。
根来 密教の瞑想は自我のとらわれを解放するための修行なんですね。
松長 自分の中にも宇宙があって、自分自身も仏である。この真理に辿り着くことが密教の瞑想が目指す最終形態です。真理は万人に平等に示され、自身を高めることによってすべての存在が仏を感じられるのです。ちなみに仏教では瞑想のことを「瑜伽(ゆが)」と言います。サンスクリット語の「yoga」が由来で、健康法の「ヨガ」はこれを英語読みしたものです。
いし なるほど、現代のヨガはポーズばかり注目されがちですが、もともとは瞑想がルーツなんですね。
根来 松長先生は高野山大学の副学長で、科学や医学、芸術、哲学など、多角的に密教を検証する試みを積極的に行われているんです。僕も昨年9月に開催された高野山特別講演会で「最先端医療と瞑想」というテーマでお話ししました。
松長 その節は、はるばる高野山まで来ていただいてありがとうございました。
根来 初高野山だったんですけど、降り立った瞬間から心地よくて、特別な“気”を感じました。
松長 高野山は人と自然がつながりやすいエネルギースポット、今風に言うとパワースポットですね(笑)。1200年前、お大師さまが真言密教の瞑想の道場として高野山を開かれました。1000m級の山々に囲まれた山上の盆地で、蓮の花のような地形をしています。
いし まさに浄土ですねえ。
松長 密教では「人間は自然の中の一生物で、自然に即して生きていかないといけない」と考えます。お大師さんも、晩年に近づく頃から高野山におこもりに。ついには「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん」(この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)という深い祈りを持って、永遠の瞑想「入定(にゅうじょう)」に入り、即身成仏(そくしんじょうぶつ)されました。
いし 生きたままミイラに…。
松長 勘違いされている人が多いのですが、即身成仏は現実の体のまま、現世において悟りを得て仏となることで、自己の本質にある「仏性(ぶっしょう)」に気づくことを言うんですよ。
いし わ、誤解してました!
774年生まれ。幼少より神童の誉れ高く、四国や奈良で修行を重ねて仏教を学び、20歳で僧侶に。31歳で私費の留学僧として唐へ渡り、密教の国師恵果和尚を訪ねると、「あなたが来ることはわかっていた。私はすべてを授ける」と後継者に認定される。密教の奥義をたった3ヶ月で習得した空海は、恵果から密教で日本の人々を救うように託され、20年の予定の留学を2年で切り上げ帰国。高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建立し真言宗を開宗した。62歳で入定し没後、朝廷より「弘法大師」の名を授かり、今なお「お大師さん」の愛称で親しまれている。
俳優の佐藤二郎さんが探偵所長を演じるNHKの人気番組「歴史探偵」でも「空海」が取り上げられ、松長潤慶さんが講師として出演します。<NHK総合 2024年4月17日22時放送予定>
松長 人間ですから体は当然死を迎えますが、空海も瞑想の果てに高野山の大自然の中に溶け込んで仏になられた。高野山の奥之院の霊廟(れいびょう)には、今も深い瞑想に入られているお大師さまのために、朝夕2度の食事が運ばれています。お大師さんは見えないけれど、いてはるということです。
根来 四国のお遍路さんの笠などの装束には「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれていますが、あの“二人”とは自分と弘法大師だそうですね。
松長 ええ。しんどいお遍路道を常にお大師さんがそばについてくれてはるということです。
根来 目に見えないけれど、何か大きな働きを感じることはありますよね。
松長 最先端医学の第一線でご活躍の根来先生からみると、空海の入定はどうとらえられます?
根来 「究極の抗加齢」ということに近いのかなと思います。ヒトは生殖細胞から分化して分裂を繰り返し、体を構成する体細胞ができてくるわけですが、組織や臓器の細胞のもとになる体細胞の根幹には、様々な細胞となりえる幹細胞があります。この幹細胞のように、何にでも分化できるようなピュアな細胞に戻れたら、究極的な抗加齢ということになります。最先端医学的に細胞レベルで入定というものを考えると、そんなイメージです。もちろん生物学的には完全に加齢に逆行して元に戻ることはありませんが、老化細胞など体に不要な部分を排除したり、細胞分裂を遅らせたりすることによって、寿命を延ばすことができるかもしれません。
いし 瞑想で寿命をコントロールできるかもしれないってことですか!?
根来 ですね。例えば「命の回数券」と呼ばれるテロメアは、遺伝子の端っこにあって細胞分裂するごとに短くなる。でも、寿命を制御する長寿遺伝子を活性化して、体を冬眠しているような静かな状態にもっていくと、不要な分裂が抑えられ、テロメアの短縮が防げるんですよ。
松長 体験的には瞑想が深まると細胞から体が鎮まる感じがします。
根来 テロメア関連の発見でノーベル賞をとったJack Szostak(ジャック・ショスタク)先生はハーバード大学の教授仲間で親しい友人のひとりですが、テロメアの長さを維持する一番のポイントはストレスの軽減だと言っています。その彼が精神安定のために習慣にしているのも瞑想なんです。実際、瞑想によってストレスが軽減されると、テロメアが延伸することがわかっています。
松長 最先端科学を研究するノーベル賞受賞者も瞑想にハマっているのは興味深いですねえ。
いし 瞑想の効果にますます期待がふくらみます! 次回も瞑想が脳や心にどう働きかけるのか、さらに語り合っていただきます。お楽しみに!
松長潤慶さん
Junkei Matsunaga
高野山大学副学長・密教学科教授。空海や真言密教の教えを通じ、人生を幸せにするための考え方や哲学を説くかたわら、国内外で密教文化を精力的に研究。専門は密教図像学。東京大学先端科学技術研究センター主催の科学文化学術会議「高野山会議」にも尽力するなど多方面で活躍
いしまるこ(いし)
瞑想中に迷走しがちなぐうたらライター。実家の宗派は真言宗で十三佛真言をうっすら唱えられる。薬師如来の真言「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」がお気に入り
撮影/角守裕二 イラスト/浅生ハルミン 構成・原文/石丸久美子