(左)ハーバード大学、ソルボンヌ大学医学部客員教授で、昨年、高野山大学客員教授にも着任した根来秀行さん、(右)高野山大学副学長・密教学科教授の松長潤慶さん。
雑念も煩悩もあるのは当たり前。追い払おうとするとかえって取りつかれます。
いし いよいよ密教の瞑想を伝授していただきます。前回、お話がありましたが、密教の瞑想は自然と一体化することを目指すので、本来は自然の中で行ったほうがいいんですよね。
松長 そうですね。休日に山や川や海を訪れて、自然の中でひとり黙々と歩を進めていると、どなたでも自然とのつながりを感じると思います。それだけでも十分瞑想になりますよ。
いし ひとりで行くのがポイント?
松長 お友達と一緒だとついお話に夢中になったりして、気が散りますでしょ?
いし 確かに。瞑想どころじゃなくなるかも。
松長 ソロキャンプとか流行ってますけど、ソロ活動は瞑想的には大正解なんです。
いし なるほどー。
松長 何度か自然の中で動く瞑想を体験していただいたら、屋内での瞑想にも集中しやすいと思います。家で瞑想する場合は、デジタル・オフして、できるだけ自然の環境に近づける工夫をしてください。屋内での瞑想の最大の欠点は風がないこと。扇風機の人工的な風では意味がないので、瞑想の間は窓を開けて、風を通すようにするといいですね。
いし 密教のお寺ではお香を炊いてますよね。
松長 お香を炊くのはすごくいいですよ。お好きな香りでけっこうです。
根来 白檀の香りがリラックスする働きがあるといっても、自分にとって苦手な香りだったらかえって自律神経が乱れて逆効果ですから、好きな香りがいいですね。
いし なるほど。では瞑想を行うのに適した時間帯はありますか?
松長 みなさんの活動が始まる前の早朝瞑想がおすすめ。静かだし、空気もきれいですから。そして、瞑想前は呼吸を整えることがとても大切です。根来先生も呼吸の研究をなさっていますよね。
根来 ハイ。僕は脳波、自律神経、ホルモンの動きを総合的に計測して、独自の呼吸法を編み出しました。メジャーリーガーや青学の駅伝チームのコンディショニングにも協力しているのですが、パフォーマンスを上げるには呼吸法が大きなカギになるんです。
松長 今年の箱根駅伝は青学の圧勝でしたね。瞑想前におすすめの呼吸法はありますか?
根来 瞑想前なら4秒吸って4秒止めて8秒吐く「4・4・8呼吸法」がおすすめです。横隔膜の自律神経が刺激されて、リラックスの副交感神経が優位になります。幸せホルモンのセロトニンも分泌され、瞑想に入りやすくなります。
松長 副交感神経が優位な状態で瞑想することで、自然のエネルギーを受けやすくなりますか?
根来 そうですね。不規則でストレスフルな生活をしている現代人は、緊張の交感神経が過剰になりがち。瞑想で自然界にちゃんと向き合うことで、暴走していた交感神経が落ち着き、バランスよく副交感神経が上がって、人間本来の力が引き出されると思います。
ホルモンバランスも安定するので、更年期の不定愁訴などにもいいですよ。
いし 初心者が座って瞑想を行う際のお作法は?
松長 両足を組むのは難しいでしょうから、片方の足をもう片方の足の股にのせる半伽趺座(はんかふざ)で足を組んでみてください。前後・左右にゆっくりと体を揺らすと重心が安定します。片足も難しければ正座や胡坐(あぐら)でもOKです。手は法界定印(ほうかいじょういん)を結びます。左の手のひらの上に右手の甲を重ね、両手の親指の先をくっつけて、お腹の前に置きます。眼は半眼にして、鼻先の斜め下に視線を落とします。
これが基本の形ですが、椅子に座って行ってもかまいません。背中を反らせないように楽に背骨を伸ばし、無理のない姿勢でリラックスして行ってください。
いし では具体的な瞑想のやり方ですが、初心者でもできる密教の瞑想法を教えてください。
松長 密教の瞑想の基本は「止観(しかん)」です。ひとつの対象に心を定め落ち着かせる、一点集中の瞑想です。集中する対象は呼吸でも音楽でも何でもいいのですが、おすすめはろうそくの炎を見つめること。人間って、火が好きですから(笑)。真言密教の護摩行も仏さまの前で火を焚いて祈祷します。炎を上げながら拝む護摩祈祷は、人々の煩悩を焼き尽くし、願いを仏さまに届けるという意味があるんですよ。
Step1
密教瞑想「止観」
● 数息観(すそくかん)
目を閉じ呼吸に注意を向けます。「吐く→吸う」の出入息をひとつとして心の中でカウントします。「ひとーーーー」で息を吐き、「つーーーー」で吸う。といった具合に、ゆっくり同じリズムで10まで数えます。口を軽く開いて、胸にたまっているもやもやした不浄な気を吐き出すような気持でゆっくり息を吐き切ると、新鮮な空気とともに清らかな気が霧のように鼻から入ってきて体中を満たします。途中で雑念が湧いたら、呼吸に集中を戻し、1から数え直します。
● ろうそく瞑想
ろうそくに火をつけ、部屋を暗くします。姿勢を整え、自然に呼吸しながら、炎のゆらめきを半眼でじーっと見つめます。雑念が生まれたら、炎に意識を戻します。慣れてきたら、炎がざーっと空間内に広がっていき、またざーっとおさまってくるイメージをするとさらに瞑想が深まります。最後は目を閉じ、炎の残像が消えるまで心でみつめます。
松長 次の段階が「観法(かんぽう)」。ありのままに観察する瞑想です。お釈迦さまも観法で悟りを開きました。マインドフルネスは観法の基本「四念処(しねんじょ)」の一部を切り取ったもの。本来は無意識にやっていることを意識下に戻し、ひとつひとつ確認して正しく行動していきましょうという気づきの修行です。代表的な観法「阿字観(あじかん)」「月輪観(がちりんかん)」はさらに高度。掛け軸に描かれた梵字(ぼんじ)の阿字や満月に没入してひとつになり、さらに仏や宇宙との一体化を図ります。
いし 仏や宇宙と一体にーー。ム、ムズイですね…。
松長 最初はムズイです(笑)。阿字観や月輪観については、まずは適切な指導者のもとで手ほどきを受けるのがベストです。高野山には阿字観をはじめとする密教瞑想を、経験豊かな僧侶の指導のもと体験できるお寺もありますよ。お堂にはいい気が集まってくるので、宿坊に泊まって、朝の勤行(ごんぎょう)に参加するのもおすすめです。
Step2
密教瞑想「観法」
● 月輪観(がちりんかん)
満月を表す円が描かれた掛け軸を、座ったときに満月が目の高さになる位置に置きます。半眼で満月を穏やかに眺め、月がいっぱいに広がっていくイメージをふくらませ、最大に広がったらしだいに元に戻していきます。最終的には宇宙と一体となる感覚を得ていきます。
● 阿字観(あじかん)
月輪観同様、満月の中に阿字を置いた掛け軸を眼前に行います。阿字は命の本源、万物の始まりであり、大日如来を表します。半眼で阿字を観ながら、自身と仏が一体となるさまを実感します。
満月の中に阿字を置いた掛け軸がずらりと並んだ高野山の阿字観の場。
松長 観法は全身全霊を集中させて、エネルギーをしっかり高めていくことが必要なんですよ。
いし エネルギーないからなあ〜。やっぱり空海はエネルギッシュだったんでしょうねぇ。杖で岩をついたら清泉がこんこんと湧き出るようになったとか、両手両足と口に筆を持って一気呵成に書を書いて唐の帝を驚嘆させたとか、全国各地に空海伝説が残ってますもんね。
実際、空海の偉業は数多い。治水事業の指揮をとり、決壊ばかりして人々を苦しめていた香川県の満濃池をたった3ヶ月で修復。日本初の庶民のための学校・綜芸種智院を開設。三筆の一人でもあり、空海の書は国宝として現存。
松長 お大師さんは相当やんちゃやったと思いますよ。
根来 でないとあんな瞑想は成し遂げられませんね。
根来 エネルギーが満ちてこそ利他的になるというのはまさにそうですよね。僕はメジャーリーガーやプロ野球選手のアドバイザーもしていて、メンタル強化に呼吸法や瞑想法も伝えていますが、精神が充実してくるとチームプレーがうまくなり自分の成績も上がるんです。逆に精神が不安定だとポテンシャルも下がり、成績が悪いことを人のせいにしがちです。
いし エネルギー不足の人も瞑想を続けるうちにパワーが出る?
松長 確実に。前回でもお伝えしましたが瞑想が深まれば、真剣に人を助けたいと思うようになりますから。本気で人のお役に立ちたいと思った人のパワーはすごいですよ。
いし でも瞑想中に雑念が出たら?
松長 それは煩悩のことですか?
いし 煩悩だらけで無になれず…。
松長 止観は雑念を除く瞑想なので繰り返し練習するといいですよ。何かに集中しているときは雑念が起きないでしょ。最終的に、雑念をなくすのは利他心なんですよ。利他心がないと雑念が起きる。
いし アイタタタタ…。
松長 人間だから雑念を持つのは当たり前。雑念を悪者にして追い払おうとするとかえって取りつかれます。雑念も煩悩も人間の生命力。認めてあげて、そのエネルギーを人のために使っていけばいいんです。
瞑想の最後には「皆が幸福でありますように」と祈ってください。自身も含めて幸福を祈る。瞑想の質がまったく違ってきます。お大師さまも「未来永劫人々が幸福になりますように」という深い祈りをもって永遠の瞑想に入られました。
根来 自分だけの瞑想ではないと。そこが利他につながるんですね。
松長 はい。皆の幸福を祈り、生きとし生けるものに慈悲の心を抱いて、座したまま合掌し、一礼して瞑想を終えます。
最先端医学も密教瞑想も目に見えないものの求道です
根来 松長先生は毎日瞑想されてるんですか?
松長 毎日の勤行には当然瞑想の部分があって、読経自体は40分くらい。勤行のあともしばらく座って20〜30分瞑想します。私も出張のときはホテルの部屋で行います。
いし 瞑想が深まると悟りの境地に達するそうですけど、どんな感じですか?
松長 その質問、カルチャーセンターとかでよく聞かれます。「先生は悟ってはるんでしょ?」って(笑)。でもね、悟りは人それぞれで、言葉で説明できるものではないんですよ。
ただ、基本的には慈悲心が湧いてきます。個人主義の現代人は利己主義に走りがちですが、瞑想で自他の区別がなくなって利他心が育つと、慈悲心が起きるんです。お大師さんの即身成仏がまさにそれ。自然に溶け込んだ私は自然の一部として自然界ネットワークのために生きる。これが慈悲の本質で、自然界の一部である本来の自分を取り戻すのが、瞑想の大きな目的です。
いし 自分自身からも自由になるんですね。
松長 密教の瞑想はリミッター外しやと思うんです。赤ちゃんは大人をはるかに上回る聴力を持っていて、大人には聞き取れない周波数の音を感知することが科学的に証明されていますが、現代人は論理的思考をつかさどる左脳ばかり酷使して、感覚をつかさどる右脳の働きが鈍くなっている感じがするんですね。宇宙の大部分は解明されてないそうですが、密教の瞑想で自然のエネルギーに即していく(ぴたりと合う)と、自我のリミッターが外れ、ガチガチに固められていた五感が解放されて、見えていなかったものが見えたり、聞こえるはずのない音が聞こえたり、感知していなかったものが浮かび上がります。その感覚が自然界に溶け込むということなんです。
いし 瞑想で自我のリミッターを外せば、もっといろいろなことを感じることができるということですね!
根来 とらわれないことの大切さはよくわかります。遺伝子も数%のアミノ酸配列以外は、ジャンクDNAとされてきましたが、それは現代科学の知識にとらわれた利己的な解釈です。最新の研究では、ジャンクDNAの部分にも、まだ確認されていない機能があるという可能性が示されつつあります。
松長 「縁起の法」というお釈迦さまの教えでは、「あらゆる物事は単体で存在することはなくてすべて因果関係で成り立っている」とおっしゃっているんですね。根来先生の研究されてることも「ネットワーク」やないですか?
根来 そのとおりです。自律神経、ホルモン、毛細血管、細胞呼吸、時計遺伝子など、人体にはどんな最先端のコンピュータより複雑で精緻な機能が備わっていて、これらが絶妙なネットワークで協調することで、生命は維持されています。このネットワークバランスをいかに整えていくかということこそが、健康の本丸です。
近年の医学は細分化の流れで断片的になりがちで、臓器ばかり見て人を見ないとう批判をしばしば受けてきました。ですが、最先端の医学ではもっと全人的に体を見るのが潮流です。
ネットワークから本質を探求していくという点において、最先端医学と密教哲学は親和性がありますよね。今後ともぜひ共同研究を進めていきましょう。
松長 ぜひぜひ。今後あるべき価値の創造に発展させたいですね。大阪万博では密教の曼荼羅世界をメタバースで体験する展示も構想中です。その前に、現在開催中の空海展にぜひいらしてください。空海がプロデュースした現存唯一の国宝曼荼羅など、この機会を逃すとなかなか見ることができない貴重な展示がたくさんありますよ。
いし いろいろ楽しみです〜。アワエイジでもまた続編をお願いいたします!
「空海 KUKAI — 密教のルーツとマンダラ世界」
海と陸のシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った密教伝来の軌跡を辿り、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かす。多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現。各地で守り伝えられてきたゆかりの至宝を一堂に展示。空海と真言密教の魅力が満載のスペシャルな展覧会です。
奈良国立博物館で4月13日から6月9日まで開催。https://kukai1250.jp/index.html
高野山東京別院に
奈良県立医大東京キャンパス誕生!
高野山真言宗の総本山金剛峯寺の東京別院に、2024年、奈良県立医科大学医学部の東京キャンパス開校が決定。同校の客員教授でもある根来秀行さんの発案です。「高野山大学とも連携し、東京別院を拠点に、瞑想をはじめとする、さまざまな最先端医学の研究活動を行っていきます」
高野山東京別院
東京都港区高輪3-15-18
松長潤慶さん
Junkei Matsunaga
高野山大学副学長・密教学科教授。空海や真言密教の教えを通じ、人生を幸せにするための考え方や哲学を説くかたわら、国内外で密教文化を精力的に研究。専門は密教図像学。東京大学先端科学技術研究センター主催の科学文化学術会議「高野山会議」にも尽力するなど多方面で活躍
『ハーバード&ソルボンヌ大学 Dr.根来の特別授業 病まないための細胞呼吸レッスン』『ハーバード&パリ大学 根来教授の特別授業「毛細血管」は増やすが勝ち!』(ともに集英社)など著書多数
いしまるこ(いし)
瞑想中に迷走しがちなぐうたらライター。
密教瞑想を始めてちょっとずつ煩悩を減らし中。
撮影/角守裕二 イラスト/浅生ハルミン 構成・原文/石丸久美子
◆「瞑想」でストレス軽減、長寿遺伝子が活性化して寿命も延ばせる!?/根来秀行教授×高野山大学・松長潤慶副学長「密教の瞑想を医学する」<1>
◆「瞑想」によって脳の過活動を抑えられれば、免疫力が上がり慢性疲労や更年期症状も改善する/根来秀行教授×高野山大学・松長潤慶副学長「密教の瞑想を医学する」<2>