タレントの原千晶さんのがん体験のつづきをご紹介します。子宮頚部の円錐切除術を行なった後の病理検査の結果、「子宮頸がん」であることが判明した原さん。医師から子宮全摘の再手術をすすめられたのですが、ある迷いが生じてしまい……。
2度目となる子宮体がんの手術から先日、10年を迎えた原さん。「もう10年たったんだという不思議な気持ちはありますが、もうこれで安心、すっかり大丈夫とは言いきれません。それががんという病気だと思うし、だからこそ、今を大事にしていきたいですね」
原 千晶さん
Chiaki Hara
女優、タレント。1974年生まれ。’94年に21代目「クラリオンガール」でデビュー。2005年、子宮頸がん、’09年に子宮体がんと診断される。治療後は、がん啓蒙活動をはじめ精力的に活動中。著書に『原千晶39歳 がんと私、明日の私、キレイな私。』(光文社)など
経過観察をサボったことで
子宮体がんの発覚が遅れ、
生命の危機が目の前に。
「主治医が言っているのだから、子宮全摘をしたほうがいい、ということは頭ではわかっていました。でも、周囲の同じ年齢の女性たちを見ると結婚や妊娠といった未来の話をしているのに、“どうして自分だけが”としだいに心が閉じてしまって…。決定していた手術日の前日に、なんと手術をキャンセルしてしまったんです。今考えると本当に身勝手で、とんでもない判断でした」
子宮を失うことを決断できない原さんに、主治医は「子宮を温存するなら、1カ月に一度の検診は必ず受けにきてください」と、念を押したといいます。
それからは主治医との約束を守り、1カ月に一度の検診を欠かさず受けていた原さん。しかし、2年半を過ぎた頃から、しだいに病院から足が遠のくようになってしまいました。
「なんで自分だけ毎月検査をしなくちゃいけないんだろう。みんなは楽しそうなのに…という気持ちが再び強くなって、検診に行くことをやめてしまったんです」
たまたま“円錐切除術”からしばらくは体調がよかったことも、検診をやめてしまった要因に。ところが、最初のがんの告知からそろそろ5年目を迎えようとしていた2009年の秋、立っていられないほどの激しい腹痛に襲われたのです。その前から徐々に生理の調子も悪くなり、水のようなサラサラとした無色のおりものも増えていたといいます。
「異変には気づいていながら、気づかぬふりをしていました。そこに激しい腹痛が起きて、さすがに、これはまずいかもと。でも、検診を勝手にやめたクリニックには気まずくて行けない。仕方なく、都内のがん専門医に行くと、“これはひどいなあ”と最初につぶやかれました。
ああ、なんてことをしてしまったんだろう、と後悔で涙が止まりませんでした。意を決して『子宮全摘の覚悟はできています』と医師に伝えると、『それではすまない可能性もありますよ。膀胱やリンパに転移していたら、手術自体ができないこともあります』と、最悪の事態もありうることを告げられたのです」
診断結果は、子宮体がんがかなり進行したⅢC(※がんの進行度はステージ0~Ⅳ期まで5段階。がんの大きさ、リンパ節や他臓器への転移により判定される)。子宮体部にできた新たながんが頸部にも広がり、リンパ節への転移も確認されました。
結局、検診をしてくれていた前の主治医が2度目の手術も担当することになり、2010年1月13日に子宮全摘の手術を行うことに。手術は6時間にも及んだといいます。
「子宮体がんがわかってすぐに、子宮頸がんのデータが必要で、以前の主治医の元を訪れたんです。そのときはもう本当に申し訳なくて、前の手術のこと、検診をサボったことを心から謝罪しました。でも、先生のほうから、“僕が原さんを必ず元気にする。一緒に頑張ろう”と励ましてくれました。
ああ、私はなんでこんなにすばらしい先生の治療を信じられなかったんだろうと。そして、治療を進めるためには、医師との信頼関係を築くことも必要なんだと痛感しました。そのためには、こちらも医師の言葉に耳を傾けて、がんと向き合わなくてはいけないと、徐々に気持ちも変わっていきました」
原さんは、リンパ節への転移などもあり、手術後16日目から抗がん剤の投与をスタート。トータルで6クールの抗がん剤投与を、約4カ月間かけて行いました。脱毛はもちろん、全身に電気が流れるような強いしびれに悩まされるなど、抗がん剤治療は手術以上につらいときもあったと振り返ります。
次回はがんサバイバー体験記①/原千晶さんのその後をご紹介します。
撮影/塩谷哲平(t.cube) ヘア&メイク/田代ゆかり(Happs) 取材・原文/伊藤まなび