今やがんは2人に1人の時代。病院、治療法、仕事、お金のこと、その時に慌てずに向き合うために、がんサバイバーの女性たちの体験に耳を傾けてみませんか。今回は美容ジャーナリストの山崎多賀子さんにお話を伺いました。
がんサバイバーの体験記 CASE 2
山崎多賀子さん
(美容ジャーナリスト)
乳がん
「今は、がん治療も通院で行う人が増えてきた時代。だからこそ、外見のケアも必要だと思っています。見た目が元気になると不思議と気持ちも体も元気になる。そんな自分の経験や美容の知識を、アピアランスケアでも生かしていきたいと思っています」と山崎さん
山崎多賀子さん
Takako Yamazaki
1960年生まれ。会社員、編集者を経て美容ジャーナリストに。自らの乳がんの体験を綴った雑誌連載をまとめた『「キレイに治す乳がん」宣言!』(光文社)を刊行。アピアランスケアをはじめ、乳がん関連のセミナーや講演、支援活動、執筆など幅広く活躍
不正出血で訪れた婦人科で
"まさか"の乳がんの疑いが発覚!
再々検査で確定診断に。
山崎さんが乳がんと告知されたのは、44歳のとき。生理前の不正出血もあり、婦人科で女性検診を受けたことがきっかけだったといいます。
「婦人科検診自体10年ぶりで、40代はマンモグラフィもセットになっていたので一緒に検診を受けたんです。そうしたら、“乳房に気になる部分があるので再検査を”と言われて。エッ⁉ と思いながら再検査を受けるもなかなかはっきりわからず、3度目の検査でやっと乳がんと診断されました。医師から告げられたのは、かなり早期であるということ。少しホッとしていると、『ただ、病巣が広範囲なので乳房の全摘をすすめます』と告げられました。早期なのになぜ…? と頭が真っ白になり、医師と何を話したのか、はっきり覚えていない部分もあります」
呆然としながら帰宅する途中、まずはご主人に電話をした山崎さん。
病状の説明と医師から告げられたことを取り乱しながらも伝えると、「でも、よかったじゃない。幸いなことに早く見つかったんだから死なずにすむでしょ。どのみち人間の致死率は100%なんだから」と落ち着いた声で話してくれたといいます。
「夫の話を聞き、そのとおりと"腑に落ちた"んですね。早期なんだし、取ってしまえばいい。このタイミングで発見されてラッキーだったと。私のがんはしこりにならず広がるタイプだったので、気づかずにいたら進行していたはずと、前向きに治療に向かうことができました」
そこから乳がんや乳房再建の情報をリサーチ。セカンドオピニオンを受け、乳がん患者の方も紹介してもらって体験談などを直接聞く機会も作ったといいます。
「不安感を取り除くためには知識を得ることが大事だと思い、早くから自分が乳がんであることも公表し、周囲からの情報収集に努めました」
次回はがんサバイバー体験記②/山崎多賀子さんの手術後の葛藤をお伝えします。
撮影/フルフォード海 ヘア&メイク/木下庸子(プラントオパール) イラスト/緒方 環 取材・原文/伊藤まなび