トレーニングは全部で60分。最初の20分ほど、ストレッチや体幹系の動きをして、そのあとはオーソドックスな筋トレをする。ベンチプレス、スクワット、デッドリフト(バーベルを床から、身体の前面に添わせるように持ち上げて立つ。その姿勢からスネの位置まで下ろす)の、いわゆるビッグスリーと呼ばれる三種目を中心に、あとはローイングや、ヒップリフトなどを取り入れる。
「うぬぬぬぬ。むりむりむり、死ぬ死ぬ死ぬ」
私はのしかかるバーベルの下、うめいていた。私がやっているのはベンチプレス。ベンチの上にあおむけに寝て、ウェイトをつけたバーベルを、胸の上で押し上げる動きだ。
こんな重いものが胸の上にあるなんて異常だ。おかしいだろう。こんな重いものを人はなぜ好きこのんで持ち上げるのか。
安全バーがあって、胸に落ちてけがをする恐れはないものの、こわい。1セット8回から12回。1セットの終わり際には、力が残っておらず、最後の1回は生きた心地がしない。
「いやー余裕っすね、佐々さん」
私はすっかり落ち武者スタイルになった髪を振り乱しつつ、ベンチから必死に上体を起こした。
「い、今の見てました? 死ぬ死ぬって悶えてたじゃないですか」
新トレーナー、吉田さんは首を振る。
「ふーっ、あやうく佐々さんの言葉にだまされるところだった。危ない、危ない」
私は「何言ってんすか?」と叫ぼうと思ったが、体力も残っておらず、言葉も継げない。
吉田さんは続ける。
「この重量を扱い慣れていないだけで、しっかり上げられてましたよ。こわいと思っているだけで、実際はまだ行けますよ。もっと重いのも大丈夫そうです」
「そ……、ハァハァ(『そうですか?』と言いたい)」「そ……ハァハァ(『そうは思えないけど』と言いたい)」
「自分で自分に制限かけちゃだめです。できる、できると言い聞かせてください。できます、絶対に」
いいことを言う。本当にできるだろうか、私にも。
「はい、あと1セット」
私は天を仰いだが、確実に白目をむいていたはずだ。
昨今、なぜ筋トレで痩せるのが流行しているのか。ちょっと前までランニングやエアロビクスの有酸素運動が主流だった。それでももちろん痩せるのだろうが、ランニングなどの有酸素運動では、筋肉まで落ちてしまい、代謝が下がってくる。
ダイエットのコツは、きちんと筋肉を残したまま、余分な脂肪を落としていくことなのだ。なにしろ筋肉はたくさんのエネルギーを消費するエンジンのようなものだ。私がもし身体なら(という言い方も変だが)脂肪から先に使って筋肉は温存しておきそうなものである。頭が悪いんじゃないのか、身体は。
脂肪は熱を加えただけですぐにとろとろ溶けそうなイメージがあるし(※ラードを思い浮かべています)、筋肉よりは使いでがありそうではないか。頼むから脂肪から消費してくれよなと思う。
だが、大昔から人間は、食べ物にそう簡単にありつけない環境で生きてきた。筋肉なんかつけていると、身体は重いし、燃費は食うし、最悪の場合には餓死してしまう。
そこで摂取カロリーを控えた場合、身体は食糧難に備えて燃費の悪い筋肉も手放し、省エネモードに切り替わるようにできているらしい。エコである。賢い! そう考えてみると、やっぱり賢いじゃないか、身体。
考えてみると、おなかいっぱい食べられるようになったのなんて、ここ数十年のこと。
我々は生き残るために飢餓に強くできているのである。そう考えてみりゃ、そりゃあ難しいよな。ダイエット。そこで我々は自然の摂理に抗しつつ、食事で脂肪を落としながら、筋トレで筋肉を育てて代謝を落とさず、メリハリのある体を作るというわけ。
そこで、効率よく全身の筋肉を鍛えられるのが、ベンチプレス、スクワット、デッドリフトのビッグスリーなのである。とはいえ、このトレーナー、容赦なしである。
ベンチプレスの最後のセットのあと数回というところで、もう力が入らない。
「上がる、上がる」と、掛け声をかけてくれる吉田さん。
「うぬぬぬぬぬぬぬ。ぬあああああああああ」
もう限界だ、ダメだと力が抜けた時、なぜかバーベルは宙に浮いていた。
ハンドパワー……。じゃなくて、吉田さんがアシストしてくれていた。
「急に力を抜いたらだめです。危ないです」
30キロのバーベルを、表情を変えないで持ち上げている。重かろうに。
このアシストで、自分の考える体力の限界より、ちょっと上のところまで追い込まれると、次回からは、頭の中の制限がはずれるのか、今まで上がらなかった重量を自力で上げられるようになっている。
私は、椎間板ヘルニアの大きな手術をしており、腰に地雷を抱えている。しかも、大学時代のスキー部の時に、じん帯と半月板を損傷しており、ちょっと無理をすると古傷が痛んで、日常生活すら送れなくなる。
いつも故障した箇所を日常的に気にしながら生きてきた。だからこそトレーナーの匙加減がものを言う。毎回限界を超えて追い込まれているはずなのに、決してどこかを痛めるということがなかった。それはちょっとした奇跡だった。60分後には、きちんと足腰が立たないぐらいまで疲弊している。
「はい、おつかれさまでした」
私は声が出ないので、とりあえず頭を下げる。
「ところで食事指導はもう終わりましたか?」
「いえ、まだです」
「食事の記録はつけていますか?」
「あー、えっと……」
写真を撮って、アプリにアップしろと言われたが、相変わらず食事は乱れまくっていて、映えない。まったく映えない。恥ずかしくて写真になんかとても、とても。しかも、ベトナムとフィリピンにも取材をしに行く予定があった。
「栄養士の青木に連絡をしておきます。栄養指導をしてもらってください」
三人目の助っ人、青木海君、登場である。
(つづく)