第5話 金欠と低気圧不調
夫が支払っていた住宅ローンを自分で支払い始めると、通帳の残高はいつもカツカツだった。買い物のほとんどを通販でしている今、月末に利用金額の知らせが来るたび、びくびくしていた。
名義変更をすると住宅ローンだけでなく、不動産にまつわる税金も支払わねばならず、その金額は、結構きつかった。その上、マンションの管理費も、白金だけに安くはなかった。
さらに、古いマンションだから、去年は風呂釜が壊れ、大枚をはたいた。今年に入ってエアコンも壊れ、とうとう美穂は定期預金を解約した。リモートワークになってから一日中家にいるので、光熱費や水道代も驚くほどだった。
そもそも、天井に埋め込まれた古い大きいエアコンは、電気を食うだけでなく、修理代も洗浄代も高かった。買い替える際、三割減となったボーナスでは足りないことに、まず衝撃を受けた。残業代が付かないのも辛い。
洗濯機や食洗器も老朽化しているが、買い替える余裕がないので、直し直し使っている。その修理費もいちいち痛かった。色々考えると、借りた方が安い、という元夫の意見は正しかったと思う美穂であったが、引っ越す気にはなれなかった。
今更、この年になって、借家暮らしに戻りたくはなかったし、物件探しも引っ越しも全て面倒だった。
「そんな金も気力もないしね・・・」
同僚の中には、今後もずっとリモートワークだろうから、都内に高い家賃を払って借りることもないと、都外に引っ越した人もいた。
「同じ家賃で、こんなに広くて、環境も良くて最高だよ」
とラインで埼玉の田園風景を送ってくれたが、別に羨ましくもなかった。
美穂は最早、ここでこのままうっかり死ねたら、それが本望だと思うようになっていた。
PCR検査もしていないから、自分がコロナに感染しているかどうかはわからなかったが、
「無症状で、コロナ突然死、とかないのかな・・・」
と常々思っていた。酔っぱらって、気持ち良く突かれている時に、突然死ねたりしないかな。イク、イクゥツ、とか言いながら、ホントに逝っちゃうやつ・・・。
毎月末、通帳の残高とカードの利用金額との見比べっこは、大きなストレスだった。特にこの1年、タイミング悪く入用が多く、金は羽が生えたように無くなっていった。心療内科の診察代と薬代に加え、歯も悪くなってきたから、その治療代も追い打ちをかけた。
離婚後、酔っぱらって歯を磨かず寝てしまうことが多かった美穂は、歯槽膿漏で虫歯だった。会社近くの歯医者に通ってはいるが、治療しても治療しても、一向に良くならない。
美穂は心の中で、あの藪医者、と呼んでいた。
数カ月前、奥歯に激痛が起こり家の近所の歯科医院を受診すると、
「明日抜歯して、インプラントにしたほうがいいですね」
とあっさり言われた。
「そんな急に・・・」
と怯える美穂に、
「ここまで悪くなると、それしか治療法はないです」
と歯医者は言った。
馴染の藪医者に行く気力もなく、また、行っても良くならないような気がしたから、美穂は四十万支払って、奥歯をインプラントにしたのだった。
それからだ。激しい片頭痛に加え、色々な不調が起こって来たのは。梅雨に入るとひどい肩こりと怠さに襲われ、鼻が詰まった。
全部治療した歯の側なので歯科医に聞くと、
「治療とは関係ないと思われます。内科を受診されたらいかがですか?」
と言われた。
しかし、コロナ禍で医療が切迫している中、大きい病院にも行きたくなかったし、その気力もなかった。かかりつけの心療内科で頭痛薬を出してもらい、近所の耳鼻科で点鼻薬をもらった。
しかし、具合は良くならない。
あまりの体調の悪さに、このまま仕事を続けられるのか、ローンを払い続けられるのか、不安になって来た。働けなくなったら、実家の世話になるしかないのだが、出戻りの娘に父はどんな罵声を浴びせるのだろうか。それを思うと、たまらない気分になった。
そんな時、タイミングよく同僚の一人が、どこかでルームシェアできないかと言い出した。それは、出社日にたまたま居合わせたメガネ君の一人で、美穂と同年代のシステムエンジニア菅野だった。
五十代にもなって実家住まいの独り者で、家で仕事するのはもうキツイ、と言うのだ。
「年老いた両親と築半世紀の古家で一日中はね・・・。気分転換できないし、子供並みに干渉されるんですよ」
とカフェテリアで茶飲み話をするから、
「あ、うちで良かったら一部屋空いてますけど」
と気軽な調子で申し出たのだ。
「え、でも・・・」
菅野君は怯えた顏をした。が、美穂はひるまなかった。
「二年前に離婚したから夫の部屋が空いてるんですけど、ここから自転車で10分ぐらいのマンションだから便利ですよ」
間貸しして少しでもローンの足しにできればありがたいし、システムエンジニアが家にいれば、仕事の上でも鬼に金棒だ。美穂は久しぶりに、希望の光、のようなものを見た。
長梅雨で毎日じとじとしていたが、気分はすっかり、梅雨明けだった。
「今日仕事終わったら、下見に来ませんか?」
疑心暗鬼な中年メガネ君ではあったが、
「そんな急に、いいんですか?」
美穂の誘いに、乗ったのだった。
◆次回は、7月22日(木)公開予定です。お楽しみに。