第4話 退屈過ぎる日々
まだ暑かったころ、親友の瞳が、わけあって何十年ぶりかに下町の実家を訪ねた。
スカイツリーや浅草寺の写真をラインで送って来て、
「お土産買って来たから、レターパックで送っとくよ」
と言う。
翌日、かなり無理やりな厚さのレターパックが届いた。
「レターパックって普通、三センチ以下とかなんかじゃなかったっけ?」
郵便を受け取った母親に、貴美子は言った。
「これ、七センチぐらいない?」
中に入っていたのは、見るからに甘辛そうな佃煮と、割れ煎餅だった。
「あら、ごはんのお供にぴったりじゃない」
と母親が言えば、
「どうせ割って食べるから割れ煎餅でいいんだよな」
と夫が応える。
この二人は同居以来ほんとうに仲が良く、むしろ本当の親子よりも睦まじかった。貴美子の父が死に、築五十年にもなる古屋を夫が建て替えて、母との同居が始まった。それまでは夫の実家と職場に近い埼玉に住んでいた。
夫の通勤には不便になったが、狭い団地に親子三人で住んでいた頃より、夫も前より幸せそうだ。小さくても庭のある戸建てに住み、母もいて家族という形が整った生活で、田舎者の夫はほっとしたのだろう。
東京都のはずれといっても一応都内だし、住宅ローンは安月給には辛いものがあるが、「東京に戸建てを」という多くの人が憧れる生活を、夫は簡単に手に入れたのだ。
土地代ゼロ円。
夫は幸せかもしれないが、その家で毎日繰り返される退屈な日々を、貴美子は慈しむことができなかった。
夫は割れ煎餅をサクサク食べながら、家の中をウロウロしている。
時々冷蔵庫を開け、アイスを取り出して食べている。まるで夏休みの小学生みたいだった。
「もー、歩きながら食べるのやめてよ~。掃除が大変なんだから~」
貴美子はもう爆発しそうだ。
母親は夏にはワクチン接種も済み、副反応も出ず元気だった。
カロナールやら松葉茶やら色々準備していたが、何も必要なかった。しかしワクチン後もそばにいられたことで、貴美子は大きな安心を得た。
やはり面倒でも一緒に住んでよかったと。
貴美子の結婚後、いっときは急激に年を取り、驚くほど食が細くなっていた。父親が生きていた頃はまだいろいろ食べていたのだろうが、母親一人だと、焼きシャケ半分でお腹がいっぱいになってしまうので、どんどん食事が粗末になっていた。
たまに訪ねて冷蔵庫をあけると、佃煮やら瓶もののしょっぱいオカズが数点あるだけ。ごはんもジャーの中で黄色くなっていたから、そのまま一人にしておくのも心配だった。自分の母親が孤独死などという悲劇はありえない。それが同居を決めた理由でもあった。
父親は、退職後元気に毎日ラジオ体操をしていたそうだが、ある日、母が買い物に出かけて帰ってくると、トイレから出たところで倒れていたのだという。あわてて救急車を呼んだが既に息はなかった。
「心臓が悪かったから、先生には手術を勧められていたんだけど、お父さん病院嫌いでしょう。手術してれば、もうちょっと長生きしてたかもしれなかったんだけどね」
母親は残念そうに言っていたが、父が死んでからの方が明るくなったし、前より元気だった。
代々役人一家の父は厳格で、家ではふんぞり返って何一つしなかった。
貴美子も、小さいときは優しかった覚えがあるが、小学校高学年頃から厳しく躾けられるようになった。女だから、家のこともちゃんとお手伝いしなければいけないし、勉強も、頑張っていい成績をとっても、褒めてはもらえなかった。
大学に入っても門限は七時。当然、呑み会参加や友達との夜のお出かけも許されず、夕飯までには帰って来るという生活だった。姉は父親と折が悪く、秋田の全寮制の大学に行ってしまった。就職も結婚も秋田でし、帰って来ない。
もちろん、母親の面倒を見るつもりもないから、貴美子が実家を建て替えて同居するという話には、大賛成だった。会ったのは父親の葬式が最後か。何かないと滅多に連絡もしてこないし、貴美子もしなかった。
だから母にとっても、夫は血の繋がってない大切な家族なのだ。一緒にテレビを見て笑ったり、突っ込みを入れるぶんには、いいパートナーと言えるだろう。
しかし貴美子は、もうその一見幸せそうに見える退屈過ぎる生活に、耐えきれなくなっていた。
◆mist シーズン4、シーズン1、2、3のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆次回は、11月16日(火)公開予定です。お楽しみに。