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横森理香 連載小説「大人のリアリティ小説~mist~」シーズン4 幸福という名の地獄 最終話 久しぶりの美術展

横森理香

横森理香

作家・エッセイスト。1963年生まれ。多摩美術大学卒。 現代女性をリアルに描いた小説と、女性を応援するエッセイに定評があり、『40代 大人女子のためのお年頃読本』がベストセラーとなる。代表作『ぼぎちんバブル純愛物語』は文化庁の主宰する日本文学輸出プロジェクトに選出され、アメリカ、イギリス、ドイツ、アラブ諸国で翻訳出版されている。 著書に『コーネンキなんてこわくない』など多数。 また、「ベリーダンス健康法」の講師としても活躍。 主催するコミュニティサロン「シークレットロータス」でレッスンを行っている。 日本大人女子協会代表

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都内に家を持ち、友人からは羨ましい生活と言われるが、窮屈さは増す一方の貴美子。夫との関係、母親の骨折、コロナ感染。日々の出来事の中、人の心を最後に救うものとは。作家・横森理香が贈る、一見幸せそうに見える大人女子たちのセツナイ内情を描く小説「mist」。シーズン5最終話です。

横森理香小説

最終話 久しぶりの美術展

 

「早くもロスだよ、ロス」

貴美子は瞳にライン電話した。

「見直せばいいじゃん。私なんて五回目見てるよ」

「うそっ」

「見逃したところとかあるし、見返すたび味わいが違うからさ、楽しめるよ」

 

貴美子は流石だと思った。自立する女はやることが違う。

 

でも貴美子は『愛の不時着』が終わってしまった今、何を楽しみに生きて行けばいいのかわからなかった。

 

貴美子を元気づけようとして、瞳が誘った。

「気分転換にさ、庭園美術館行く? 今、『英国王室が愛した花々』展やってるよ」

「行く行く!」

瞳は庭園美術館の年間パスポートを持っているから、二人までは無料で入場できた。

白金の美しい、広々とした美術館だ。そこなら、貴美子も安心だと思った。

まだ日中は暖かいので、庭園も散歩したかった。

 

母親のコロナは重症化することなく、来週退院の予定だった。帰ってきたらまた色々お世話が大変だろうし、井上さんともとうぶん出かけられないだろうから、話し相手にもならなきゃならない。

貴美子も出かけるなら今がチャンスだと思った。

 

 

久しぶりのお出かけ、しかも都心だ。

心配性の貴美子は、久しぶりの電車で白金まで赴くため、不織布のマスクを二重にして出かけた。

 

会場の入り口では検温と手指のアルコール消毒があり、ソーシャルディスタンスを取りながらの入場だったが、平日の昼間だったせいか、人もまばらだった。

貴美子はほっと胸をなでおろした。

 

入場受付に、瞳はいた。貴美子に気づき、手を振っている。

貴美子には手を振られるまで、誰だか分からなかった。

美容院に行っていないから髪が伸び、白髪もそのままで、そしてまた太り、だいぶ老け込んでいたからだ。

 

「ぷっ、完全防備だね」

貴美子の姿を見て、瞳は笑った。

「ほら、要介護の高齢者帰ってくるから、私がなるわけにはいかないし」

 

先生からは、治ってももう階段は登れないでしょうと言われていた。

家はバリアフリーになっていたから改装する必要はなかったが、地域総括センターに連絡して、介護認定を受ける手はずを整えているところだった。

 

実際に母と会えてないから、本当はどういう状態なのか分からなかったが、もしかして貴美子にとって、これが最後のお出かけになるかもしれなかった。

だとしても、いいよ。「愛の不時着」をお母さんと一緒に見直せばいい・・・。

 

 

「会場内では感染予防のため、会話は控えてください」と書いてある。

貴美子は瞳と、静かに会場を回った。

それでも貴美子は、瞳に久しぶりに会え、大好きな展覧会に来れ、嬉しかった。

子供でもないのに、瞳と手をつなぎたい気分だった。

 

 

幸せを噛みしめたその夜、貴美子は珍しく夢を見た。

亡き父と子供時代の自分、そして姉で、どこかの川岸にいる。対岸の夜景を見に父が二人を連れて来てくれたのだ。暗い中、コンクリートの堤防の上を歩いて行き、対岸のネオンがつくのを待った。

 

おもちゃのような街のネオンは、暗くなると一斉につくようだった。遊園地みたいなネオンがついたとき、貴美子は叫んだ。

「わー! お父さん、すごいねー!」

「きれい・・・」

と姉も呟いた。父も嬉しそうだった。

その夜景は行ったこともない、香港の夜景のようでもあった。

 

暗い帰り道、姉はどんどん一人で先に行ってしまった。貴美子は怖くて歩けなかった。

父の手を探って握ろうとすると、父は、

「お前の手は小さすぎて、お父さんの手からすり抜けてしまうから、手首を握りなさい」

と言う。

言われた通りにすると、貴美子は安心して歩くことが出来た。

 

しかし、姉がジャンプして飛び越えた堤防の最後を、貴美子は怖くて飛ぶことが出来なかった。

すると父が、

「一度そこに座って、ゆっくり下りれば大丈夫」

と言う。そうやって貴美子は、無事下りることが出来たのだった。

走り去った姉の姿はもう見えない。

さっきまで手首をつかんでいた父の姿も、いつのまにか消えていた。

 

横森理香小説

イラスト/押金美和

 

◆mist シーズン4、シーズン1、2、3のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆お読みいただきありがとうございました。シーズン5も、お楽しみに。

 

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